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聖域

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 四郎兵衛は真面目な顔をしている。その顔色は灰のように白く、唇は紫色になっている。
 悟円坊には、眉間にしわを寄せてこちらをにらんでいる四郎兵衛が、

『この大将、泣いてござるな』

 と見えた。

『恐ろしゅうて震えてござる』

 と思えた。

『侍でいることにしがみついて、ようやく立っていられるようじゃ』

 そう読み取った悟円坊は、居住まいを正した。

しからば――」

 塚に正対し、枯れ柴の切れ端を井桁に組みあげる。山牛蒡オヤマボクチの葉の裏に生える茸毛わたげを集めて乾かしたものを火口としてひとつまみ入れた。おもむろに懐からうちがね燧石ひうちいしを取り出し、きりを切る。
 小さな火花が飛び散った。火口の茸毛わたげが燃える。その小さな火が柴に移り、炎になる。
 悟円坊は炎の中にまっこうらしいものを投げ入れた。思いのほか良い香気がし、白い煙がまっすぐに天へ昇ってゆく。
 くんこうは場を清めるものだ。悟円坊は、掘っ立て小屋と石積みの塚のある、食い詰めのろうにん達が蜷局とぐろを巻いているこの場所を、あっという間に聖域に変えた。

 聖なる空間で、悟円坊はそろばんたまの形をした木の珠をしゃく繋げた「最多角いらたか数珠じゅず」と呼ばれる山伏独特の長数珠をんで、じゃぁらじゃぁらと大な音を立てた。
 口の中ではきょうもんなのかじゅもんなのか解らない物をもごもごと唱えている。
 燃え上がる炎が、悟円坊の真剣な顔を照らす。

 そのしんな祈祷への取り組み方を見て、四郎兵衛の顔に赤みが戻った。
 神仏の加護かごが自分の身体に下りてきた様な気がする。

「よし、よし。それでいい」

 何度も頷いた後に自分の「城」の方へ振り返った。視線は「城」ではなく、その更に向こう……東の彼方へ向けられている。
 
 手前にいいづな山、がしら山、それを越えぞうさんがある。真田昌幸はそういったけわしい山ではなく、千曲川の川縁と言っても良いような低い土地に、ぽつりと城を建てた。
 ずいぶん昔に、いずみという一族が館を建てた跡になわばりし直したのだという。
 街道を移動させ、川を付け替える、なかなかの大普請であったようだ。

馬鹿おたるい野郎だ。山猿のくせに山を下りて、てぇらな所に丸裸のすみを作りやがった。徳川が攻めてくれば、一捻りに潰されるぞ」

 それが楽しみでならない。四郎兵衛は鼻でわらった。
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