子檀嶺城始末―こまゆみじょうしまつ―

神光寺かをり

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そこは染谷台

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何故なにゆえ我らが敗走しなければならないのだ!」

 元忠は怒り、震えた。
 片田舎の国衆などに追い立てられ、自分たちが敗走していることは、元忠には認めがたいことだった。
 しかし、いくら認めがたいと言ったところで、確かに彼らは負けているのだし、尻をまくって逃げているのだ。
 敗走者には古い街道と思われる細い道をこそこそと進むより他にはすべがない。

 どれほど歩いただろう。一刻二時間は経過しているかも知れないが、元忠達には時間を数える余裕はない。
 時間にも体力にも心にも一分の余裕さえない中で、鳥井元忠隊は気付いた。
 自分たちが道と思って歩いていた場所が、上州街道ではないらしい事に、だ。

 どこで道を違えたものか――。
 立ち止まり、あたりを見回した元忠は、このとき初めて自分が高台にいる事に気付いた。
 周囲に視界をさえぎるものはなにもない。素晴らしく見晴らしが良い。
 眼下を見下ろせば、上田城も北国街道の道筋も、信濃国分寺に置かれた本陣も、千曲川の対岸までもが手に取るように見えた。
 自分の同僚達が、城下で討たれ、混乱し、隊列を乱して、バラバラに敗走している様子が、すぐそこに見える。

 鳥居元忠は血の気の引く音を聞いた。

 眼下では、上田城から出撃した統率の取れた兵団が逃げ惑う徳川勢を追い立てている。
 元忠の友軍はかんがわの岸へ追い込まれた。攻め行く時はさして苦もなく渡河した細い川の流れの幅が広がっているような気がする。

「こんな馬鹿な……こんな馬鹿なことがあってたまるものか!」

 一瞬、元忠は「自分も敗走しているのだ」ということを忘れた。本当に一瞬のことだ。すぐにそのことを思い出させられた。

「敵襲!」

 その叫び声は報告ではない。紛れもない悲鳴であった。
 元忠が振り返ると、赤い旗を掲げる一軍がこちらの最後尾を叩いているのが見えた。
 赤い指物が無数にいる気がするが、敵軍の正確な人数はさっぱりつかめない。いや、そんなものを数えている暇などありはしない。
 彼らを率いているのは巨馬に打ちまたがった大柄な将だった。鎧も馬具も輝いて見える。
 その大柄な将が、元忠を見据えて言う。

「さても、そちら様はさぞ名のある将なりとお見受けいたします。願わくば、この若輩者じゃくはいもの一槍ひとやり手解てほどきを頂きたし!」

 自ら若輩というだけのことはある若々しい声だった。満々たる自信を表すかのように、槍先がぶれることなくこちらをピタリと指している。元忠という標的に定められた穂先が、ギラリと日をはじいた。

 元忠は逃げた。

 訳のわからぬ言葉を叫びながら逃げた。馬の腹を蹴り、尻に鞭を入れ、到底歩兵がついて来られない速度スピードで駆けて逃げた。
 逃げて、逃げて、逃げて……どこをどう逃げたのか思い出せないが、ともかく、元忠は友軍と合流することができた。

 鳥居元忠は逃げ切った。逃げ延びることができた。

 命を拾った、と気付いた時、元忠は安堵の息を吐いて、何気なく後を振り返った。
 川が流れている。
 神川が茶色い飛沫しぶきを上げて流れ下っている。
 濁った水が、大きな岩、倒木、馬、人間を含んで、轟々と流れている。

 この時になって、元忠は己が馬に乗っていないことに気付いた。
 途端、泥水に濡れた甲冑の重さに腰が抜け、膝が折れて、彼は倒れた。
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