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招かれざる客来るの報
中断
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楽団溜まりから指揮者の白髪頭がひょこりと突き出た。とうに出ておかしくない筈の演奏開始の合図が、さっぱり見えない。楽士達が無駄口をきくことはなかったが、不安げに舞台袖を覗き込む。
舞台裏から聞こえるのは、くぐもったざわめきばかりだった。裏方と出番待ちの踊り子達が、てんでに何か言い合っているらしい。
観客席にいる二人には詳細な内容までは聞き取れない。ただ、
「畜生が。あの禿親父め、毎度毎度余計なことばかりしてくれて、本当に有難いことだよっ!」
マイヨールの口汚いわめき声だけははっきりと聞こえた。
ブライトは顎で舞台端を指しながら、
「やれやれ。姫若、残念なこってすが、お芝居見物はここで取りやめってことになりそうですぜ」
下男の口調でニヤニヤと笑った。
顎が示す先に、緞帳を乱暴に捲り上げたマイヨールが現れた。皮鎧の胸当てを舞台上に投げつけるようにして脱ぎ捨て、客席に飛び降りる。彼は不機嫌そのものの足取りでたった二人の観客に近づいた。
「若様、旦那。あと少しで終わるって所まで来て、大変申し訳ないことですが、通し稽古は取り止めにさせていただきます。
こちらから観てくれとお頼みしたって言うのに、またこちらの都合で止めにするのは、本当に心苦しいんですけれども……どうか平にお許し下さいな」
憤懣やるかたないマイヨールの激しい口調を、彼が発した言葉の字面だけで表現するのは不可能だ。言葉使いはすこぶる丁寧だし、相手に対する心遣いも真摯なものであるにも関わらず、耳に届く声はとげとげしく、荒々しく、毒々しい。
舞台の裏側で何事かアクシデントがあったのだろう事は、彼の上気した顔を見ただけで判る。
それがどのような事件であるのかはクレールにもブライトにも知れない。
ただ、伝わってくる人の動きがの慌ただしさからして、かなりの一大事である事は想像できる。
降りたままの緞帳の裏で、大道具達が罵声と金鎚の音を同時に立てている。
床からは、地面の下で機材装置を強引に動かしているとおぼしき不共鳴な物音が伝わってくる。
それらはおしなべて乱暴な音だったが、破壊音ではなかった。
ブライトは客席の背にふんぞり返る格好でもたれかかり、
「理由を聞かせて貰おうじゃないか。ウチの姫若さまはあんたらの御蔭で貴重なお時間を半日分近くも潰したんだ。納得のいく説明ができねぇなんてこたぁ、よもや言うまいな?」
組んだ足のつま先を三拍子の指揮棒よろしく振った。相当に不機嫌な振る舞いに見えた。
実際のところ、彼はそれほど大きな不快を感じているのではなかった。むしろ慌てふためき怒り散らしているマイヨールの様子をおもしろく思ってすらいる。不機嫌の仕草は戯作者から話を引き出すための手練だ。
マイヨールは深い息を一つ吐き出した。
「本当に申し訳ないことで。こんな予定じゃなかったんですがね。
つまり、あの勅使のお役人がやってくるのは、もう少し後……陽が落ちきってからの筈だったんですよ。少なくとも、午後のお茶をすすって、充分昼寝をした後ぐらいの頃合いと考えておりましてね。
……まあ、お貴族様が昼寝を貪るのかどうかは、私あたしの知ったこっちゃありませんけど」
深呼吸程度では苛つきは収まりきらなかったと見える。彼は落ち尽きなく足先をゆらした。
舞台裏から聞こえるのは、くぐもったざわめきばかりだった。裏方と出番待ちの踊り子達が、てんでに何か言い合っているらしい。
観客席にいる二人には詳細な内容までは聞き取れない。ただ、
「畜生が。あの禿親父め、毎度毎度余計なことばかりしてくれて、本当に有難いことだよっ!」
マイヨールの口汚いわめき声だけははっきりと聞こえた。
ブライトは顎で舞台端を指しながら、
「やれやれ。姫若、残念なこってすが、お芝居見物はここで取りやめってことになりそうですぜ」
下男の口調でニヤニヤと笑った。
顎が示す先に、緞帳を乱暴に捲り上げたマイヨールが現れた。皮鎧の胸当てを舞台上に投げつけるようにして脱ぎ捨て、客席に飛び降りる。彼は不機嫌そのものの足取りでたった二人の観客に近づいた。
「若様、旦那。あと少しで終わるって所まで来て、大変申し訳ないことですが、通し稽古は取り止めにさせていただきます。
こちらから観てくれとお頼みしたって言うのに、またこちらの都合で止めにするのは、本当に心苦しいんですけれども……どうか平にお許し下さいな」
憤懣やるかたないマイヨールの激しい口調を、彼が発した言葉の字面だけで表現するのは不可能だ。言葉使いはすこぶる丁寧だし、相手に対する心遣いも真摯なものであるにも関わらず、耳に届く声はとげとげしく、荒々しく、毒々しい。
舞台の裏側で何事かアクシデントがあったのだろう事は、彼の上気した顔を見ただけで判る。
それがどのような事件であるのかはクレールにもブライトにも知れない。
ただ、伝わってくる人の動きがの慌ただしさからして、かなりの一大事である事は想像できる。
降りたままの緞帳の裏で、大道具達が罵声と金鎚の音を同時に立てている。
床からは、地面の下で機材装置を強引に動かしているとおぼしき不共鳴な物音が伝わってくる。
それらはおしなべて乱暴な音だったが、破壊音ではなかった。
ブライトは客席の背にふんぞり返る格好でもたれかかり、
「理由を聞かせて貰おうじゃないか。ウチの姫若さまはあんたらの御蔭で貴重なお時間を半日分近くも潰したんだ。納得のいく説明ができねぇなんてこたぁ、よもや言うまいな?」
組んだ足のつま先を三拍子の指揮棒よろしく振った。相当に不機嫌な振る舞いに見えた。
実際のところ、彼はそれほど大きな不快を感じているのではなかった。むしろ慌てふためき怒り散らしているマイヨールの様子をおもしろく思ってすらいる。不機嫌の仕草は戯作者から話を引き出すための手練だ。
マイヨールは深い息を一つ吐き出した。
「本当に申し訳ないことで。こんな予定じゃなかったんですがね。
つまり、あの勅使のお役人がやってくるのは、もう少し後……陽が落ちきってからの筈だったんですよ。少なくとも、午後のお茶をすすって、充分昼寝をした後ぐらいの頃合いと考えておりましてね。
……まあ、お貴族様が昼寝を貪るのかどうかは、私あたしの知ったこっちゃありませんけど」
深呼吸程度では苛つきは収まりきらなかったと見える。彼は落ち尽きなく足先をゆらした。
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