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【第三幕】
ぶつ切りにされた単語の群れ
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クレール・ノアールは舞台を見ていなかった。
青白い顔はおのれの膝の上に向いている。
背を丸め、顔を近づけ、古びた書物の残骸を凝視する。
唇が小さく動いた。指先でかすかなインクの痕跡をなぞり、文字を読んでいる。
「大剣……相反する……逆賊……兵を率いるにおいて……烈火の如く逆上……細やかな配慮……冷徹な処置……甚だしく……波のある……二面は一つ……」
彼女の口から漏れる音は、到底文章とはいえなかった。書かれている文字がその体裁をなしていないのだから、当然だ。
幾ページにも渡り点在する断片的な書き込みは、クレールがどう読んでみても前後が繋がることがなく、意味なす文章にはならない。
心を残したまま、彼女が諦め、顔を上げた時、舞台の上では甘く美しい恋人達のダンスが接吻のポーズで制止していた。
四幕目は、高らかに響く婚礼祝いの鐘の音の中閉じた。
緞帳の裏側で舞台替えの物音がせわしなく響く。
二人きりの観客の内の一人が、残りの一人の耳元に顔を寄せ、
「裏っ側さえ気にしなければ、なかなか『笑える』出し物だと思うが、姫若さまのご意見は如何に?」
捻くれた讃辞の言葉を枕に問う。
抑えた声のが導き出したのは、一層小さな声での返答だった。
「私がこの演目を……この芝居を裏側を気にせずに観ることができるとお思いですか?」
クレールが白い頬を剥くれさせるのを見、
「そりゃぁごもっともで」
ブライトはおくびをかみ殺すのと同じ顔をして、失笑を押さえ込んだ。
彼ら以外の人物が一人として居ないこの場所で、内証話めいた口ぶりで会話する必要などまるでない。しかし彼らはそうせざるを得ない心持ちでいた。
「天井知らずの剛胆か、底抜けの阿呆か。どちらにしろ、褒められたもンじゃあねぇな」
ブライトは小さく伸びをすると、座り直し組み直した脚の上に頬杖を突いた。
「それは誰の事ですか?」
クレールは背筋を伸ばし、閉じられた羊皮紙の束の上に両の拳を並べて置いていた。
「どこにチビ助以外の『そういうの』がいるかね?」
間髪を入れず、彼女は答えた。
「ヨルムンガント・フレキ……は?」
間髪を入れず、彼は吐き捨てた。
「論外だ」
顔を背け、ブライトは緞帳幕を睨み付けた。
この舞台は総じて幕間が短かった。
地面を掘り下げまでして設置した大がかりな装置の威力だ。表で踊り子達が演技している最中に裏側で次の背景を準備し、すぐさま送り出すことができる。場面転換はすこぶる付きに素早い。
裏方達は下品で口が悪いが仕事は早くて正確だった。騒がしい踊り子達も演技が巧みな上に持久力が高い。
彼らは休憩をする必要がないらしい。すぐに次の仕事を始め、こなす。
それがこの演目に限ったことなのか、あるいはこれが通し稽古だからなのか、そもそもこの劇団の特徴なのか。今日初めてこの劇団のこの演目を見た二人には、比較対象がないので判定ができない。
間違いなく言えることは、今日の舞台においては、めまぐるしいほどにテンポ良く事が進み、幕が閉じてはすぐに再開することを繰り返しているということだ。
「小便に行く暇もありゃしねぇよ」
ブライトは戯けて言うと、厳つい掌でクレールの頭を覆うように掴み、彼女の顔を舞台の方向へ向けさせた。
が。
幕は上がらなかった。
青白い顔はおのれの膝の上に向いている。
背を丸め、顔を近づけ、古びた書物の残骸を凝視する。
唇が小さく動いた。指先でかすかなインクの痕跡をなぞり、文字を読んでいる。
「大剣……相反する……逆賊……兵を率いるにおいて……烈火の如く逆上……細やかな配慮……冷徹な処置……甚だしく……波のある……二面は一つ……」
彼女の口から漏れる音は、到底文章とはいえなかった。書かれている文字がその体裁をなしていないのだから、当然だ。
幾ページにも渡り点在する断片的な書き込みは、クレールがどう読んでみても前後が繋がることがなく、意味なす文章にはならない。
心を残したまま、彼女が諦め、顔を上げた時、舞台の上では甘く美しい恋人達のダンスが接吻のポーズで制止していた。
四幕目は、高らかに響く婚礼祝いの鐘の音の中閉じた。
緞帳の裏側で舞台替えの物音がせわしなく響く。
二人きりの観客の内の一人が、残りの一人の耳元に顔を寄せ、
「裏っ側さえ気にしなければ、なかなか『笑える』出し物だと思うが、姫若さまのご意見は如何に?」
捻くれた讃辞の言葉を枕に問う。
抑えた声のが導き出したのは、一層小さな声での返答だった。
「私がこの演目を……この芝居を裏側を気にせずに観ることができるとお思いですか?」
クレールが白い頬を剥くれさせるのを見、
「そりゃぁごもっともで」
ブライトはおくびをかみ殺すのと同じ顔をして、失笑を押さえ込んだ。
彼ら以外の人物が一人として居ないこの場所で、内証話めいた口ぶりで会話する必要などまるでない。しかし彼らはそうせざるを得ない心持ちでいた。
「天井知らずの剛胆か、底抜けの阿呆か。どちらにしろ、褒められたもンじゃあねぇな」
ブライトは小さく伸びをすると、座り直し組み直した脚の上に頬杖を突いた。
「それは誰の事ですか?」
クレールは背筋を伸ばし、閉じられた羊皮紙の束の上に両の拳を並べて置いていた。
「どこにチビ助以外の『そういうの』がいるかね?」
間髪を入れず、彼女は答えた。
「ヨルムンガント・フレキ……は?」
間髪を入れず、彼は吐き捨てた。
「論外だ」
顔を背け、ブライトは緞帳幕を睨み付けた。
この舞台は総じて幕間が短かった。
地面を掘り下げまでして設置した大がかりな装置の威力だ。表で踊り子達が演技している最中に裏側で次の背景を準備し、すぐさま送り出すことができる。場面転換はすこぶる付きに素早い。
裏方達は下品で口が悪いが仕事は早くて正確だった。騒がしい踊り子達も演技が巧みな上に持久力が高い。
彼らは休憩をする必要がないらしい。すぐに次の仕事を始め、こなす。
それがこの演目に限ったことなのか、あるいはこれが通し稽古だからなのか、そもそもこの劇団の特徴なのか。今日初めてこの劇団のこの演目を見た二人には、比較対象がないので判定ができない。
間違いなく言えることは、今日の舞台においては、めまぐるしいほどにテンポ良く事が進み、幕が閉じてはすぐに再開することを繰り返しているということだ。
「小便に行く暇もありゃしねぇよ」
ブライトは戯けて言うと、厳つい掌でクレールの頭を覆うように掴み、彼女の顔を舞台の方向へ向けさせた。
が。
幕は上がらなかった。
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