クレール 光の伝説:いにしえの【世界】

神光寺かをり

文字の大きさ
111 / 158
正体

変化

しおりを挟む
 グラーヴ卿は帽子の下でわらった。
 歪んだ唇からは、みるみるうちに口紅の赤の色が失せた。塗りたくられた顔料によっても覆い隠せぬほど、その下の肉の色が変じたのであろうか。
 死んだ血液の黒い色に変じた唇が、小さく動く。

「赤い、石……」

 ほとんど同時に、楽屋の方角から獣じみた悲鳴が上がった。
 マイヨールの耳には、それは女の声とは聞こえなかった。つまり、シルヴィーが泣き叫んでいるのではない。そして、地の底から響く、煉獄れんごく業火ごうかあぶられる亡者のごとき叫び声が、可憐な「クレールの若様」の声音とも思えない。

 マイヨールは目眩めまいを起こした。恐怖や緊張と、胸の悪い臭気が、彼の神経を麻痺まひさせた。
 彼の背骨はまっすぐ立つ力を失い、身体が後ろ側へ傾いた。頭が放物線を描いて落ちる。体が楽団溜まりオーケストラピットの中へ倒れ込んだ。
 白んでゆく脳味噌で、しかし彼は必死で考えを巡らせていた。

『まさかにもソードマンの旦那が、あれほど情けなく泣き叫ぶとは思えない。
 万が一にもあの旦那が絶叫するようなことがあったとしたら、同時に若様の悲鳴だって聞こえて良いはずだ。
 けるが、あの人達はほとんど一心同体なのだから』

 案ずることはない、お二人は無事だ。案ずることはない。そしてお二人が無事なら、もう一人、ウチのシルヴィーも無事に違いない。
 彼は自分自身に言い聞かせた。

 狭い楽団溜まりオーケストラピットの中は蜂の巣を突いた騒ぎになっていた。
 笛吹きたちが一度に舞台下へ通じる小さな潜り戸に殺到し、提琴ヴァイオリン弾きは命より大事な楽器を抱えてしゃがみ込み、らっ吹きと指揮者が身を縮めておろおろと辺りを見回している。
 倒れ込んできた劇作家の体を受け止めたのは竪琴ハープ弾きのユリディスという娘だった。
 彼女は古い竪琴ハープ打楽器弾きドラマーの胸ぐらに投げつけるように渡すと、開いた両腕を真っ直ぐに差し出して、落ちてくるマイヨールの頭を散らばった椅子への激突から守った。
 マイヨールの上半身を抱え込んだ彼女は、白目をいたマイヨールの頬を平手で打った。
 両頬を数度打っても彼は意識を取り戻さない。あせりを覚えたユリディスは、拳を握ると彼の頬桁ほおげたを有りっ丈の力を込めて思い切り殴った。

 そのおかげでマイヨールの魂は現世に引き戻された。
 その代償が奥歯二本だというのは、むしろ安く上がったと言わねばなるまい。

 マイヨールはせきき込みながら口の中の血と虫食いの奥歯を吐き出し、まぶたをどうにか見開いた。
 まだかすむ目で、細い黒い影を見た。
 倒れ込み、仰ぎ見る格好になったおかげで、マイヨールはグラーヴ卿の顔立ち全体を見ることができた。

『この人の顔は、こんなだったか?』

 昼間、酒屋で遭ったときとはまるきり別人のような気がした。
 顔は青白く、唇は薄く、眼窩がんかは黒く沈んだ色に染まっており、頬髯ほおひげ顎鬚あごひげもない。
 それはあの時と同じだ。
 しかし、どこかが違う。

 顔立ちが僅かに丸みを帯びて
 顎のあたりのラインが、若々しさを感じる曲線を描き
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~

みつまめ つぼみ
ファンタジー
 17歳で偽りの聖女として処刑された記憶を持つ7歳の女の子が、今度こそ世界を救うためにエルメーテ公爵家に引き取られて人生をやり直します。  記憶では冷血貴公子と呼ばれていた公爵令息は、義妹である主人公一筋。  そんな義兄に戸惑いながらも甘える日々。 「お兄様? シスコンもほどほどにしてくださいね?」  恋愛ポンコツと冷血貴公子の、コミカルでシリアスな救世物語開幕!

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

【完結】異世界へ五人の落ち人~聖女候補とされてしまいます~

かずきりり
ファンタジー
望んで異世界へと来たわけではない。 望んで召喚などしたわけでもない。 ただ、落ちただけ。 異世界から落ちて来た落ち人。 それは人知を超えた神力を体内に宿し、神からの「贈り人」とされる。 望まれていないけれど、偶々手に入る力を国は欲する。 だからこそ、より強い力を持つ者に聖女という称号を渡すわけだけれど…… 中に男が混じっている!? 帰りたいと、それだけを望む者も居る。 護衛騎士という名の監視もつけられて……  でも、私はもう大切な人は作らない。  どうせ、無くしてしまうのだから。 異世界に落ちた五人。 五人が五人共、色々な思わくもあり…… だけれど、私はただ流れに流され…… ※こちらの作品はカクヨムにも掲載しています。

国外追放ですか?畏まりました(はい、喜んでっ!)

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私は、セイラ・アズナブル。聖女候補として全寮制の聖女学園に通っています。1番成績が優秀なので、第1王子の婚約者です。けれど、突然婚約を破棄され学園を追い出され国外追放になりました。やった〜っ!!これで好きな事が出来るわ〜っ!! 隣国で夢だったオムライス屋はじめますっ!!そしたら何故か騎士達が常連になって!?精霊も現れ!? 何故かとっても幸せな日々になっちゃいます。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

処理中です...