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正体

悪人と咎人

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 そのが、

『誰かに似ている』

 マイヨールは、己の脳みそに浮かんだその「想像」を懸命に打ち消そうとした。
 そんなことがあってなるものか、そんなことを信じてなるものか。

 鼻持ちならない年寄り貴族グラーヴと、愛らしく愛おしい若い貴族クレールの、まるで違う二つの顔が、ダブって見えるなどと、

『そんなことがあるはずがない!』

 帽子のつばの下にぶら下がる、葉脈だけが残った虫食いの枯葉のようなヴェールの中で、青黒い唇が、ゆっくりと動いた。

「そう、やっぱり、そういうことだったようね。うふふ、思った通りだわ……」

 独り言だということは明白だ。グラーヴ卿の目玉は、すぐそこにいるマイヨールの姿など見ていない。
 灰色の目玉に、くすんだ赤の色が混じっている。赤く濁った球体の表面には、この場には存在しない、小さな光の反射が映っていた。

 人の形をしている。不覚を恥じ、苦痛に歪んだ不安げな表情を浮かべている。
 マイヨールがその小さな鏡像を見まごうはずはない。

「クレールの、若……様……」

 グラーヴ卿は優しげな、しかし冷たい微笑を浮かべ、呟いた。

「つまりは、あなたはアタシだということ……アタシは、二人もいらないわよねぇ」

 グラーヴが何を言っているのか、マイヨールにはまるで意味が判らなかった。判らなかったが、直感した。

『グラーヴは、クレールの若様に向かって喋っている』

 締め付けられるような恐怖を感じた。
 うっとりと笑いながら、グラーヴ卿は喉の奥から獣の悲鳴を絞り出した。
 顔が歪んでいる。塗りたくった白粉おしろいがひび割れ、白いかけがぼろぼろと落ちる。
 グラーヴ卿は……いや、卿などという尊称を付けて良いだろうか。
 マイヨールの脳に疑念が浮かんだ。疑念は即座に先程来、薄々と勘付いていた回答に達した。

 目の前にいるのは、人間ではない。

 何か得体の知れない人の形をした「モノ」だ。屍臭を漂わせているのだから、生き物ですらない。

『本物の化け物だ』

 確信した途端、おかしなことにマイヨールの腹の中から恐怖が消えた。

『化け物が人の道理を用いて人をさばけようものか!』

 劇作家マイヤー・マイヨールが勅使ヨハネス・グラーヴを畏れていたのは、彼を執達吏しったつりたぐいと思っていたからだ。

 真っ当な法家によって真っ当に捕らえられれば、国家の法を横目に「綱渡り」をして飯を喰っている自分たちは、反論のいとまもなく斬首ざんしゅされて当然であることは、さしものマイヨールも理解している。

 だが彼は法をおそれているのではない。法そのものに畏怖いふを持っているのなら、例えそれが悪法であっても、法に触れるようなことはしないし、できない。
 しかしマイヨールは、わざわざ法に触れるような芝居を上演している。あえて危険な台本を書き、演じている。同時に、観た者がそそこから彼の犯した罪を連想せぬように、ごまかし、言いくるめてきた。
 罪に罪を、悪行に悪行を重ねている。
 悪人呼ばわりならば甘んじて受ける厚顔無恥なマイヨールが畏れているのは、法の下で断罪だんざいされ罪人つみびとと呼ばれることだった。

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