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舞台上の戦い
マゾヒスムス
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初めはクレールの姿を「盗み取った」件の化け物が、フレイドマルに襲いかかったのではないかと疑った。
だが座長の眼窩に剣を突き立てているのは間違いなく「クレールの若様」だ。マイヨールが「芸術と名声の守護神」とも思い決めた人物を、ことあろうかニセモノのバケモノと見まごうはずがない。
マイヨールは身を起こし、クレールを凝視した。
人が人を襲う恐ろしい光景であるにも関わらず、マイヨールにはクレールの姿がこの世の者とは思えないほど美しく見えた。
赤い剣のような物の切っ先がフレイドマルの顔面に突き刺さる深さは、親指の長さの半分よりも浅いようだ。その深さでは、目玉を貫くことはできても、脳に傷を付けるには至らないだろう。
つまり、クレールの若様はフレイドマルの命を脅かそうとしているのではない――。
「あの方のやることに間違いはないはずだ」
何の根拠もないが、マイヨールは確信した。
事実、クレールにはフレイドマルを弑するつもりなど微塵もなかった。むしろこの彼を助けようとしている。
クレールは浅く付き入れた赤い剣――【正義】のアームが変じた、赫く光る剣――の切っ先を、跳ね上げるような動作でフレイドマルの顔面から引き抜いた。
太った座長の丸い顔の中から、丸い塊が弾き出された。弧を描いて飛び、丁度マイヨールの目の前の、亜麻仁油で固めた合板の床に、湿った音を立て落ちた。
目玉ほどの大きさの腐肉の塊だった。
初めは赤黒い潰れた玉の形をしていた。しかし見る間に形は崩れた。黄色みを帯びた濁った茶色の、粘りけのある、強烈な臭気を発する液体となって流れ出し、やがて床板の隙間に吸い込まれた。
フレイドマルの肥体が床に崩落ちるのと、ほとんど同時に、化け物の悲鳴が再び響いた。
マイヨールが客席へ振り返った。
薄汚れた石像もどきの化け物が、相変わらずそこにいた。
右の手に旗指物の柄を握って杖に突き、残った掌で顔の半面を覆っている。
天を仰いで号泣しているようなポーズだった。実際、指の間からは液体が流れ出ている。
明らかに涙ではなかった。マイヨールの目の前で流れて消えた、座長の目玉であった腐肉と同じ、濁った茶色をしたどろりと粘る液体だ。
悲鳴を上げ、泣き叫びながら、化け物は笑っていた。快楽の歓喜に震えている。
「テメェの『分身』をぶった斬られて、口じゃ痛ぇ痛ぇ言いながら涙流して喜ぶたぁ、どうやらこいつがマジモンの変態ってヤツらしい」
そう言った、低く押し殺した声の主は舞台袖にいた。
ブライト・ソードマンは腕組みをし、何故か安堵したような顔つきで化け物を眺めている。
「旦那!」
マイヨールが叫ぶと、ブライトは目玉だけを彼に向けた。
「おい、チビ助。そこの丸い奴を引っ張って外に出ろ」
その言葉は提案でも要求でもない。命令だ。
もっとも理由や口調の如何を問わず、マイヨールがブライトに逆らえる道理はない。
床を這い、倒れ込んでいるフレイドマルの襟首を掴み、ブライトが立つのと逆側の舞台袖へ後ずさった。
だが座長の眼窩に剣を突き立てているのは間違いなく「クレールの若様」だ。マイヨールが「芸術と名声の守護神」とも思い決めた人物を、ことあろうかニセモノのバケモノと見まごうはずがない。
マイヨールは身を起こし、クレールを凝視した。
人が人を襲う恐ろしい光景であるにも関わらず、マイヨールにはクレールの姿がこの世の者とは思えないほど美しく見えた。
赤い剣のような物の切っ先がフレイドマルの顔面に突き刺さる深さは、親指の長さの半分よりも浅いようだ。その深さでは、目玉を貫くことはできても、脳に傷を付けるには至らないだろう。
つまり、クレールの若様はフレイドマルの命を脅かそうとしているのではない――。
「あの方のやることに間違いはないはずだ」
何の根拠もないが、マイヨールは確信した。
事実、クレールにはフレイドマルを弑するつもりなど微塵もなかった。むしろこの彼を助けようとしている。
クレールは浅く付き入れた赤い剣――【正義】のアームが変じた、赫く光る剣――の切っ先を、跳ね上げるような動作でフレイドマルの顔面から引き抜いた。
太った座長の丸い顔の中から、丸い塊が弾き出された。弧を描いて飛び、丁度マイヨールの目の前の、亜麻仁油で固めた合板の床に、湿った音を立て落ちた。
目玉ほどの大きさの腐肉の塊だった。
初めは赤黒い潰れた玉の形をしていた。しかし見る間に形は崩れた。黄色みを帯びた濁った茶色の、粘りけのある、強烈な臭気を発する液体となって流れ出し、やがて床板の隙間に吸い込まれた。
フレイドマルの肥体が床に崩落ちるのと、ほとんど同時に、化け物の悲鳴が再び響いた。
マイヨールが客席へ振り返った。
薄汚れた石像もどきの化け物が、相変わらずそこにいた。
右の手に旗指物の柄を握って杖に突き、残った掌で顔の半面を覆っている。
天を仰いで号泣しているようなポーズだった。実際、指の間からは液体が流れ出ている。
明らかに涙ではなかった。マイヨールの目の前で流れて消えた、座長の目玉であった腐肉と同じ、濁った茶色をしたどろりと粘る液体だ。
悲鳴を上げ、泣き叫びながら、化け物は笑っていた。快楽の歓喜に震えている。
「テメェの『分身』をぶった斬られて、口じゃ痛ぇ痛ぇ言いながら涙流して喜ぶたぁ、どうやらこいつがマジモンの変態ってヤツらしい」
そう言った、低く押し殺した声の主は舞台袖にいた。
ブライト・ソードマンは腕組みをし、何故か安堵したような顔つきで化け物を眺めている。
「旦那!」
マイヨールが叫ぶと、ブライトは目玉だけを彼に向けた。
「おい、チビ助。そこの丸い奴を引っ張って外に出ろ」
その言葉は提案でも要求でもない。命令だ。
もっとも理由や口調の如何を問わず、マイヨールがブライトに逆らえる道理はない。
床を這い、倒れ込んでいるフレイドマルの襟首を掴み、ブライトが立つのと逆側の舞台袖へ後ずさった。
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