クレール 光の伝説：いにしえの【世界】

舞台上の戦い

相手の気を引くために振るう暴力

　旗持ち従者の頭骨は苦もなく割られ、中身が周囲にまき散らされた。
　引き上げられるように擡もたげられた蝕肢の先は、丸い物を抓んでいる。それは全体的に白く、真ん中に茶色の円がある球体だ。
　蝕肢の先端が上を向き、大きく開いた。
　嘴くちばしの大きな鳥が餌を飲み込む仕草に似ていた。
　白い丸いものが開かれた中に落ち込み、飲み込まれて消える動きも、それを思わせた。

「こ・の・子・、視力が良いとか腕力に自信があるとか、いつも言っていたのよ。……本当に嘘吐きで仕様のないこと」

　まるで生きている人間のことを話しているかのごとき口ぶりで【月ザ・ムーン】がいう「こ・の・子・」とは、目も当てられぬ無惨な様の死骸となって地面に転がっている旗持ち従者に他ならない。

【月ザ・ムーン】はクスクスと笑った。顔の半分を押さえ覆っていた掌を退ける。
　無機質な黒い顔の落ちくぼんだ眼がん窩かの中に、そこだけ肉の質感を持った眼球が嵌っていた。

「もっとも、近ちか眼めだということには、とっくに、気付いていたのだけれどもね。だってこ・の・子・ったら、書類を読むときに眉間にこんなに皺しわを寄せていたのだもの」

　細い眉の形をした「装飾」の間に、【月ザ・ムーン】は三筋ばかりの溝みぞを作って見せた。

「ああ、だからこうして皺をよせると――美しくない仕草だけれど――アタシもあなたの顔が良く見えるのよ。
　横顔が……ちっともアタシを見てくれないつれない顔が」

　この時【月ザ・ムーン】が語りかけている相手はブライト・ソードマンだった。
　だが彼にはそんな言葉など聞こえていない。
　ブライトはその化け物から完全に顔を背けていた。
　いや、【月ザ・ムーン】から目を背けることを意図しているのではなく、クレールを見つめるための方向に顔を向けている表現した方が正しい。

【月ザ・ムーン】は、ブライトから完全に無視されている。

【月ザ・ムーン】はこれを侮辱と受け止めた。耐え難い屈辱とも感じた。この化け物は肉体的な苦痛を快楽と感じるらしいが、精神的な苦痛は好まないらしい。
【月ザ・ムーン】は掴んでいた幟旗の竿を投げた。
　緩慢な動作に見えたが、投げられた旗竿は、金糸銀糸を刺繍した重たく厚い錦の布きれは風を叩く音を立てて、常人の目には留まらぬ早さで一直線に飛翔する。

　それを、ブライト・ソードマンは、上体を僅かに反らしただけで、こともなげに避けた。
　そうするだろうと【月ザ・ムーン】も考えていようだ。元よりそれは攻撃ではなかった。彼の視界を遮さえぎりる、それだけのつもりで投げたのだ。
　並の人間なら、物を投げつけられれば反射的に目を閉じるはずだ。
　ブライトが瞬きをしたなら、その僅かな時間は「エル坊や」を見ることができなくなる。
　あるいは武芸者ならば、無意識に攻撃が発せられた方向を向くこともあるだろう。
【月ザ・ムーン】は後者を望んでいた。己など眼中にない男の気をこちらに引きつけたい。

「さあ、こちらを見て」

　雑音混じりの声を【月ザ・ムーン】が上げた。
　が、直後、【月ザ・ムーン】は自分の淡い期待が見事に裏切られたことを知った。
　ブライトは、目の前を猛烈な勢いで横切ろうとする棒きれを、さもそこに据え置かれてあるものかのように、掴んだ。

　瞬きなどしない。攻撃者を確認することもしない。