121 / 158
観客席での戦い
赤いアクセサリ
しおりを挟む
ブライトは掴んだ旗竿を乱暴に振り回した。
剣先形の飾りが付いた竿頭で床を突く。竿頭に取り付けられていた「錦の御旗」が、床にだらしなく広がる。
「俺ぁ今のこの世にいる全ての『皇帝』を名乗っている野郎のことが、心底嫌いでね」
ブライトの履く草臥れた革靴が、ギュネイ皇帝の紋章を踏みつけにした。
この、まさに瞬きするほどの間、彼の黄味の強い茶の瞳は、視線を送る方向を変えていた。
【月】に目を転じたのではない。
彼はずっとクレールから視線を外さずにいる。だから、見つめていた対象が動けば、視線はその走る軌跡を忠実に追うことになる。
伸縮自在な【月】の蝕肢をかわしたクレールは、軽業師さながらに宙返りを切って、身を立て直していた。彼女は彼女の武器【正義】をひっさげたまま、つむじ風のごとき勢いで舞台から飛び降りた。
まるで考え抜かれた殺陣を演じているかのような、滑らかな動作だった。
客席の椅子を飛び越えたクレールが向かった先には、二人ばかりの男が震えて立ちつくしている。
勅使グラーヴ卿のまだ生きている家臣達だ。
彼らの目の前で主人が得体の知れぬ化け物に変じた。その化け物によって同僚が無惨な亡骸となった。
彼らが恐怖に打ち震えるのは当然だ。大の男達が互いに寄り添い、抱き合うようにしてようやく立っている。
一人の男はなめし革の儀礼鎧の上にギュネイ皇帝の旗印を縫いつけた上着を羽織り、長い剣を下げている。剣術か体術の稽古で潰れたらしい耳朶に、赤い石の嵌まった耳輪を付けている。彼は勅令巡視大使一行の中で護衛兵のような役目を負っていたらしい。
もう一人は体の幅の厚い男で、緑色のベストを着ている。鵞鳥の白い羽根が付いた赤いフェルト帽を被っていたのだが、今はその帽子を片手に握りしめている。短く切りそろえたあごひげの下から、首に巻き付けられた短い首輪の赤い石の装飾が見える。これは勅書や触書を読み上げる伝令官であろう。
クレールの緑色の目が護衛兵らしい男を睨め付けた。
美しく、熱く、そして恐ろしい視線が、駆け寄ってくる。
立派な体躯の護衛兵が恐怖に身を縮めた。目を固く閉じる。
クレールは駆けながら剣の形をした一条の光を振った。下からすくい上げられた切っ先が、衛兵の男の耳を刎ね飛ばした。
べたりと湿った音を立てて地面に落ちたものは、初めは耳朶の形をしていたが、見る間に溶解し、やがて腐汁となって流れた。
悲鳴が上がった。
衛兵の喉からではなない。化け物と化した彼の主の口からだ。【月】は狂喜と歓喜にうちふるえ、泣き叫んでいる。
ほとんど同時に、他の叫び声が上がった。
伝令官だ。
同僚が斬りつけられたことに驚いて声を出したのではない。
急に喉が焼けるように熱くなった。
思わず掻きむしった指先に妙に柔らかい触感があった。
己の手をまじまじと見た読み上げ係の伝令官は、腐った蕃茄を握りつぶしたような赤と、融けた乾酪のような薄黄色が、指先といわず掌といわず、べっとりまとわりついているのを見た。
それらが元は己の筋肉であり脂肪であり皮膚であったことを、彼は理解できなかった。物事を考える余裕などなかった。
首輪が彼の首を締めつけている。
彼が主人から直々に賜った装飾品だった。
赤い飾りの石が脈打つように蠢いているのは、彼には見えなかった。外そうと足掻いたその時には、もう呼吸ができなくなっていた。
剣先形の飾りが付いた竿頭で床を突く。竿頭に取り付けられていた「錦の御旗」が、床にだらしなく広がる。
「俺ぁ今のこの世にいる全ての『皇帝』を名乗っている野郎のことが、心底嫌いでね」
ブライトの履く草臥れた革靴が、ギュネイ皇帝の紋章を踏みつけにした。
この、まさに瞬きするほどの間、彼の黄味の強い茶の瞳は、視線を送る方向を変えていた。
【月】に目を転じたのではない。
彼はずっとクレールから視線を外さずにいる。だから、見つめていた対象が動けば、視線はその走る軌跡を忠実に追うことになる。
伸縮自在な【月】の蝕肢をかわしたクレールは、軽業師さながらに宙返りを切って、身を立て直していた。彼女は彼女の武器【正義】をひっさげたまま、つむじ風のごとき勢いで舞台から飛び降りた。
まるで考え抜かれた殺陣を演じているかのような、滑らかな動作だった。
客席の椅子を飛び越えたクレールが向かった先には、二人ばかりの男が震えて立ちつくしている。
勅使グラーヴ卿のまだ生きている家臣達だ。
彼らの目の前で主人が得体の知れぬ化け物に変じた。その化け物によって同僚が無惨な亡骸となった。
彼らが恐怖に打ち震えるのは当然だ。大の男達が互いに寄り添い、抱き合うようにしてようやく立っている。
一人の男はなめし革の儀礼鎧の上にギュネイ皇帝の旗印を縫いつけた上着を羽織り、長い剣を下げている。剣術か体術の稽古で潰れたらしい耳朶に、赤い石の嵌まった耳輪を付けている。彼は勅令巡視大使一行の中で護衛兵のような役目を負っていたらしい。
もう一人は体の幅の厚い男で、緑色のベストを着ている。鵞鳥の白い羽根が付いた赤いフェルト帽を被っていたのだが、今はその帽子を片手に握りしめている。短く切りそろえたあごひげの下から、首に巻き付けられた短い首輪の赤い石の装飾が見える。これは勅書や触書を読み上げる伝令官であろう。
クレールの緑色の目が護衛兵らしい男を睨め付けた。
美しく、熱く、そして恐ろしい視線が、駆け寄ってくる。
立派な体躯の護衛兵が恐怖に身を縮めた。目を固く閉じる。
クレールは駆けながら剣の形をした一条の光を振った。下からすくい上げられた切っ先が、衛兵の男の耳を刎ね飛ばした。
べたりと湿った音を立てて地面に落ちたものは、初めは耳朶の形をしていたが、見る間に溶解し、やがて腐汁となって流れた。
悲鳴が上がった。
衛兵の喉からではなない。化け物と化した彼の主の口からだ。【月】は狂喜と歓喜にうちふるえ、泣き叫んでいる。
ほとんど同時に、他の叫び声が上がった。
伝令官だ。
同僚が斬りつけられたことに驚いて声を出したのではない。
急に喉が焼けるように熱くなった。
思わず掻きむしった指先に妙に柔らかい触感があった。
己の手をまじまじと見た読み上げ係の伝令官は、腐った蕃茄を握りつぶしたような赤と、融けた乾酪のような薄黄色が、指先といわず掌といわず、べっとりまとわりついているのを見た。
それらが元は己の筋肉であり脂肪であり皮膚であったことを、彼は理解できなかった。物事を考える余裕などなかった。
首輪が彼の首を締めつけている。
彼が主人から直々に賜った装飾品だった。
赤い飾りの石が脈打つように蠢いているのは、彼には見えなかった。外そうと足掻いたその時には、もう呼吸ができなくなっていた。
0
あなたにおすすめの小説
異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました
雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。
気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。
剣も魔法も使えないユウにできるのは、
子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。
……のはずが、なぜか料理や家事といった
日常のことだけが、やたらとうまくいく。
無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。
個性豊かな子供たちに囲まれて、
ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。
やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、
孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。
戦わない、争わない。
ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。
ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、
やさしい異世界孤児院ファンタジー。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
田舎農家の俺、拾ったトカゲが『始祖竜』だった件〜女神がくれたスキル【絶対飼育】で育てたら、魔王がコスメ欲しさに竜王が胃薬借りに通い詰めだした
月神世一
ファンタジー
「くそっ、魔王はまたトカゲの抜け殻を美容液にしようとしてるし、女神は酒のつまみばかり要求してくる! 俺はただ静かに農業がしたいだけなのに!」
ブラック企業で過労死した日本人、カイト。
彼の願いはただ一つ、「誰にも邪魔されない静かな場所で農業をすること」。
女神ルチアナからチートスキル【絶対飼育】を貰い、異世界マンルシア大陸の辺境で念願の農場を開いたカイトだったが、ある日、庭から虹色の卵を発掘してしまう。
孵化したのは、可愛らしいトカゲ……ではなく、神話の時代に世界を滅亡させた『始祖竜』の幼体だった!
しかし、カイトはスキル【絶対飼育】のおかげで、その破壊神を「ポチ」と名付けたペットとして完璧に飼い慣らしてしまう。
ポチのくしゃみ一発で、敵の軍勢は老衰で塵に!?
ポチの抜け殻は、魔王が喉から手が出るほど欲しがる究極の美容成分に!?
世界を滅ぼすほどの力を持つポチと、その魔素を浴びて育った規格外の農作物を求め、理知的で美人の魔王、疲労困憊の竜王、いい加減な女神が次々にカイトの家に押しかけてくる!
「世界の管理者」すら手が出せない最強の農場主、カイト。
これは、世界の運命と、美味しい野菜と、ペットの散歩に追われる、史上最も騒がしいスローライフ物語である!
酒好きおじさんの異世界酒造スローライフ
天野 恵
ファンタジー
酒井健一(51歳)は大の酒好きで、酒類マスターの称号を持ち世界各国を飛び回っていたほどの実力だった。
ある日、深酒して帰宅途中に事故に遭い、気がついたら異世界に転生していた。転移した際に一つの“スキル”を授かった。
そのスキルというのは【酒聖(しゅせい)】という名のスキル。
よくわからないスキルのせいで見捨てられてしまう。
そんな時、修道院シスターのアリアと出会う。
こうして、2人は異世界で仲間と出会い、お酒作りや飲み歩きスローライフが始まる。
クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双
四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。
「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。
教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。
友達もなく、未来への希望もない。
そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。
突如として芽生えた“成長システム”。
努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。
筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。
昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。
「なんであいつが……?」
「昨日まで笑いものだったはずだろ!」
周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。
陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。
だが、これはただのサクセスストーリーではない。
嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。
陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。
「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」
かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。
最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。
物語は、まだ始まったばかりだ。
家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜
奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。
パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる