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小さな世界

死に顔

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『全部、私のためを想ってくれたことだ』

 遠ざけた理由も、託した訳も、どちらとも頭では理解できる。理解しようと努めている。
 そうやって努力をしないとに落とせない自分がいとわしい。

 クレールは眼を閉じた。再び開けるときには、笑ってやろうと考えた。
 怒っている、恐れている、あせっている、不安を感じている――自分がそんな「子供っぽい感情」に支配されていることを覆い隠せる清々しい笑顔を、あの男に向けてやろう。
 クレールは顔を上げ、瞼を開いた。
 途端、クレールの作り笑顔は吹き飛ばされた。

 ブライトの顔が無表情な仮面の如く凍り付いている。

 彼は表情の豊かな男だ。
 機嫌が悪くなければにこやかであるし、不機嫌であれば眉間に皺が寄る。
 退屈であればつまらなそうな顔をするし、よからぬ企み事をしているときには楽しげな思案顔になる。
 鼻の下を伸ばし、目尻を下げ、まなじりを決し、牙をむく。
 作り笑いや妙に巧い小芝居も含めて、彼の顔の上に喜怒哀楽のいずれかが僅かでも表れないなどということはない。
 その顔の上に、何の色も浮かんでいない。
 それが何を意味するのか、クレールには一つのことにしか思い至らなかった。

 ブライト・ソードマンは怒っている。静かに怒っている。

 クレールは見てはならない恐ろしいものを見たような不安を抱いた。
 まるで彼の亡骸を、冷たい死に顔を、見せつけられたような気分だ。

 彼が何に対して怒っているのか、すぐに判ずることができなかったが、いずれ自分に対する怒りであろうと思われた。
 しかし、彼がもしクレールの不甲斐なさに立腹しているのであるなら、

「いくらでも叩き斬ってやる」

 などという肯定こうていの言葉は言わなかったろう。

 確かに、ブライトの怒りの原因は彼女にあった。しかしいきどおりの矛先は、むしろ彼自身に向けられていた。

「それでそのな、死人だかオーガだかをお前さんから引っ剥がせるなら、後先考えねぇでそいつをお前さんに渡しちまった能なしのこの俺に、そうしてやらなきゃならねぇ義務がある」

 彼は胸に親指を突き刺すようにしておのれの心臓を指し示した。

「あれは武器を失った私への、熟慮の上でのご配慮でしょう?」

 あの時ブライトが立っていた舞台袖から、クレールがいた客席の端までの距離は、人の足では、瞬きの間に文字通りに飛んでくることができるほどには近くなかった。
 しかも、ブライトの足元にはもう一人の敵……イーヴァン青年がいた。【ザ・ムーン】の魂のざんに取り憑かれていた反動で、彼は半死半生であったから、ブライトにとって敵とは言えない相手だ。
 だが、残った命を総てかける覚悟でいる若者の抵抗を、彼の命を奪わぬようにしてかわすことは容易ではない。

 ブライトはその場から動かないことを選んだ。

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