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第五節 現行犯
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二人が主君の顔を仰ぎ見ると、彼は深く息を吐いた。
「これより先、荊益両州を治めて行くに、我が配下には人材が足りぬ。特に蕭何、あるいは淳于髠の輩がな」
蕭何とは漢帝国の高祖――つまり、劉備が己の遠い遠い先祖としている――劉邦の功臣で、内地にあって戦地を扶けた名宰相だ。
また淳于髠は、更にさかのぼった戦国時代、斉の学者で、弁舌に長け、良く王を諌めた忠臣だった。
劉備の陣営にこう言った「王佐の才」を持つ者が少ないというのは、否めない事実だった。
「阿花。いや索よ。私は、お前にはその才があると見ている。憲和、お前もそう思わぬか?」
「こいつは、まだ餓鬼ですよ」
簡雍はちらと王索を見た。
不安そうに、頬を膨らましている。
「だが、筋はいい。……お主がこれを鍛えてはくれぬか? その才をできるだけ早く開花させて貰いたいのだ。そのためにお主共々、索も益州に連れて行きたい」
主君が自分の才を買ってくれている……若い家臣にとってこれほど嬉しい言葉はない。
しかし王索は素直に喜べないでいる。
「これはまた、随分と重い任ですな……」
師となる予定の男が不安そうに呟いた。
王索は恐れていた。
若輩の己では益州攻略の足手まといになる。師もそれを案じている、と。
だが簡雍の不安はそんなところにはなかった。
「俺がコレを預かった後、コレに万が一の事があれば……俺は雲長兄ィに殺される」
彼は不精髭を撫でて唸った。
王索はまた吹き出してしまった。
簡雍の言うような事が『有り得る』と思ったからだ。
関羽が彼女を可愛がる様は、実子に対するそれと同等か、それ以上だった。
実際に万一のことが起きたとしたなら、養父が赤ら顔を更に紅潮させ、愛馬を駆って師の元に乗り込んでくるに違いない。その様子を王索が想像するに安かった。
「だが、それは有り得ぬぞ」
劉備の脳裏にも王索のそれと同じ光景が映し出されていたが、あえて否定した。
「雲長の赤毛は確かに名馬だが、荊州よりから益州までは日数がかかろう。その前にアレがお主を切り伏せるだろうからな」
劉備は人通り少ない裏通りの、遥か彼方を指さした。
家臣達が望むと、一頭の赤毛がこちらを指して駆けてくるのが見えた。劉備の指先はその馬上に向けられていた。
「あの馬は『小兎』! ……兄上!」
王索は喜々として叫び、大きく両手を振った。
主命を帯び使者として、江陵を守護する関羽の元へ出向いていた関平が、伯父への返信を父から預かり、戻って来たのだ。
王索は、武術の師でもある五歳違いの義兄を慕っていた。
関平は、真綿が水を吸うように自分が教えた事を憶えて行く、聡明な『義弟』を自慢に思っていた。
血はつながらないが、関家の三兄弟は……二人の間に間にもう一人・関興安国という男子があり、これは常に父の傍に置かれている……大変に仲が良い。
簡雍は首をすくめた。
「御主君の仰せの通り」
先ほど二軍師の卓上を覗き見た折、関平の名札は益州攻略部隊の側に置かれていた。
確かに、荊州に残る父親の堰月刀よりも、益州に進む兄の佩剣の方が、自分の首に近い。
関平の騎馬「小兎」は、関羽の愛馬の仔である。
父似の駿馬は、あっと言う間に騎手を主君の元へ運んだ。
関平は小兎の背からひらりと飛び降りると、劉備の前に片膝をついた。
「主公。臣・関平、只今戻りました。父よりの書状は臣の懐中に御座います。いかが致しましょうか?」
仰々しい帰還の挨拶に、劉備も眉を引き締めた。
「ご苦労。書状は後ほど見よう。今暫く其方が預かれ。最早休んでよいぞ」
「はっ」
一礼の後上げられた関平の顔は晴れやかに笑んでいた。
そして先ほどの挨拶の堅苦しさはどこへ消えたかと思われる程、爽やかに伯父へ問いかけた。
「伯父上、お散歩ですか?」
「うむ、気晴らしにな。……お前は先に戻って良いぞ」
伯父は眉を下げる。そして年下の方の甥へ向き直った。
「索、お前の兄は疲れておる様子だ。馬を引いてやれ」
遠回しに『二人で帰れ』と言われたことを、内心、王索は喜んでいた。
兄から江陵にいる父母の様子を聞くのも楽しみだが、何より彼と二人で語り合えるのが嬉しい。
「ですが……」
彼女はちらりと簡雍を見た。自分を散歩に誘ったのは彼なのだ。帰るにも彼の許しがいるだろう。
簡雍は欠伸を一つした。
そして、まるで野良犬でも追い払うような手つきをする。『とっとと帰れ』と言っているのだろう。
「お言葉に甘えさせて頂きます」
王索は深々と頭を下げた。顔からは今にも笑みがこぼれ落ちんばかりだった。
「伯父上、叔父上、それでは先に役宅へ戻っております」
関平も一礼した。二人は仲良く小兎の手綱を引いて、劉備達と分かれた。
ほんの数歩進んだ頃だった。二人は背で簡雍の声を聞いた。
「御主君、あの二人を捕縛なさいませ」
「これより先、荊益両州を治めて行くに、我が配下には人材が足りぬ。特に蕭何、あるいは淳于髠の輩がな」
蕭何とは漢帝国の高祖――つまり、劉備が己の遠い遠い先祖としている――劉邦の功臣で、内地にあって戦地を扶けた名宰相だ。
また淳于髠は、更にさかのぼった戦国時代、斉の学者で、弁舌に長け、良く王を諌めた忠臣だった。
劉備の陣営にこう言った「王佐の才」を持つ者が少ないというのは、否めない事実だった。
「阿花。いや索よ。私は、お前にはその才があると見ている。憲和、お前もそう思わぬか?」
「こいつは、まだ餓鬼ですよ」
簡雍はちらと王索を見た。
不安そうに、頬を膨らましている。
「だが、筋はいい。……お主がこれを鍛えてはくれぬか? その才をできるだけ早く開花させて貰いたいのだ。そのためにお主共々、索も益州に連れて行きたい」
主君が自分の才を買ってくれている……若い家臣にとってこれほど嬉しい言葉はない。
しかし王索は素直に喜べないでいる。
「これはまた、随分と重い任ですな……」
師となる予定の男が不安そうに呟いた。
王索は恐れていた。
若輩の己では益州攻略の足手まといになる。師もそれを案じている、と。
だが簡雍の不安はそんなところにはなかった。
「俺がコレを預かった後、コレに万が一の事があれば……俺は雲長兄ィに殺される」
彼は不精髭を撫でて唸った。
王索はまた吹き出してしまった。
簡雍の言うような事が『有り得る』と思ったからだ。
関羽が彼女を可愛がる様は、実子に対するそれと同等か、それ以上だった。
実際に万一のことが起きたとしたなら、養父が赤ら顔を更に紅潮させ、愛馬を駆って師の元に乗り込んでくるに違いない。その様子を王索が想像するに安かった。
「だが、それは有り得ぬぞ」
劉備の脳裏にも王索のそれと同じ光景が映し出されていたが、あえて否定した。
「雲長の赤毛は確かに名馬だが、荊州よりから益州までは日数がかかろう。その前にアレがお主を切り伏せるだろうからな」
劉備は人通り少ない裏通りの、遥か彼方を指さした。
家臣達が望むと、一頭の赤毛がこちらを指して駆けてくるのが見えた。劉備の指先はその馬上に向けられていた。
「あの馬は『小兎』! ……兄上!」
王索は喜々として叫び、大きく両手を振った。
主命を帯び使者として、江陵を守護する関羽の元へ出向いていた関平が、伯父への返信を父から預かり、戻って来たのだ。
王索は、武術の師でもある五歳違いの義兄を慕っていた。
関平は、真綿が水を吸うように自分が教えた事を憶えて行く、聡明な『義弟』を自慢に思っていた。
血はつながらないが、関家の三兄弟は……二人の間に間にもう一人・関興安国という男子があり、これは常に父の傍に置かれている……大変に仲が良い。
簡雍は首をすくめた。
「御主君の仰せの通り」
先ほど二軍師の卓上を覗き見た折、関平の名札は益州攻略部隊の側に置かれていた。
確かに、荊州に残る父親の堰月刀よりも、益州に進む兄の佩剣の方が、自分の首に近い。
関平の騎馬「小兎」は、関羽の愛馬の仔である。
父似の駿馬は、あっと言う間に騎手を主君の元へ運んだ。
関平は小兎の背からひらりと飛び降りると、劉備の前に片膝をついた。
「主公。臣・関平、只今戻りました。父よりの書状は臣の懐中に御座います。いかが致しましょうか?」
仰々しい帰還の挨拶に、劉備も眉を引き締めた。
「ご苦労。書状は後ほど見よう。今暫く其方が預かれ。最早休んでよいぞ」
「はっ」
一礼の後上げられた関平の顔は晴れやかに笑んでいた。
そして先ほどの挨拶の堅苦しさはどこへ消えたかと思われる程、爽やかに伯父へ問いかけた。
「伯父上、お散歩ですか?」
「うむ、気晴らしにな。……お前は先に戻って良いぞ」
伯父は眉を下げる。そして年下の方の甥へ向き直った。
「索、お前の兄は疲れておる様子だ。馬を引いてやれ」
遠回しに『二人で帰れ』と言われたことを、内心、王索は喜んでいた。
兄から江陵にいる父母の様子を聞くのも楽しみだが、何より彼と二人で語り合えるのが嬉しい。
「ですが……」
彼女はちらりと簡雍を見た。自分を散歩に誘ったのは彼なのだ。帰るにも彼の許しがいるだろう。
簡雍は欠伸を一つした。
そして、まるで野良犬でも追い払うような手つきをする。『とっとと帰れ』と言っているのだろう。
「お言葉に甘えさせて頂きます」
王索は深々と頭を下げた。顔からは今にも笑みがこぼれ落ちんばかりだった。
「伯父上、叔父上、それでは先に役宅へ戻っております」
関平も一礼した。二人は仲良く小兎の手綱を引いて、劉備達と分かれた。
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