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第一章 〜邪神降臨編〜

013 戦いの後~ハインとキッチェ~

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「邪神を……滅ぼした……?」


 呟きながらも、リィン=アークスは目の前の光景が信じられなかった。

 魔王の力を使っても、太刀打ちの出来なかった邪神。

 いいや、そもそも邪神とは、討つ事の出来ない存在なのだ。

 人類史――魔史によっても、その名は天災として記載されている。

 創世記より存在し、創造の四女神でさえ滅する事の出来ない災厄を、この世界に生きる生命が何とかしようと思うのは、烏滸がましいものなのだと――そう、考えられていた。


 それを――ハインリヒは、斃した。


 私やお兄ちゃんを救ってくれた人。

 初めて出来た人間のお友達。

 私達に生き方を教えてくれた。

 家族以外の、かけがえのない平穏を教えてくれた。


 私を人間扱いしてくれた――初めての、ヒト。


 彼の戦いを――私はずっと見ていた。

 時間を掛け、杭の拘束から抜け出た後――助力に走ろうとした私の足は――止まっていた。


 戦うハインの姿が――とても儚く、綺麗だったから。


 ハインは何故、あれほどまでに美しく戦えるのだろう。

 私達とハインとの耐久力は違う。

 恐らく、邪神の攻撃を身体の一部分に掠めただけで、ハインは絶命していただろう。

 そこに――恐怖はなかったのだろうか?


 いや……違う。

 きっと、恐怖とか……そういうものじゃないんだろうね。

 ハインが――思っていたことは。


「……ハイン」


 ハインリヒは――その場から動かなかった。

 絶命した少女の身体をその腕に抱きながら、泣きもせず――言葉も発せず――動かない。

 ただ――ただ、少女を力強く抱きしめていた。



「……」



 彼へと伸ばしかけた手を、引っ込める。

 言葉が――見付からない。

 一年間一緒にいた。

 けれどまだ――私はハインの事を良く知らなかったのだと思う。



 こんなにも悲しむ姿を、私は知らなかった。

 こんなにも大切な人がいる事を、私は知らなかった。



 救ってくれたから――勝手にずっと一緒にいてくれると思っていた。

 私は――馬鹿だった。


「リィン……邪神は……?」

「……お兄ちゃん」


 折れた腕を抑えながら、覚束ない足取りでお兄ちゃんが私の方へとやってくる。


「あそこにいるのは、ハインか? ……倒れているあの子は?」

「……」

「リィン?」


 問いかける声に答えず、私はハインの――いや、あの子の元へと足を向けた。


「……」


 私が目の前にまで来ても、ハインは何の反応も示さない。

 チクリと、少し――胸が痛む。

 邪神トゥールスレイの扱う呪詛を付与された杭には、回復阻害の効果がある様だった。

 魔王の血に目覚めた私は、自然治癒力も人のソレを遥かに超えているのだが、この杭で付けられた傷だけは治りが遅い。

 けれど今は――それが少し役に立った。


「――ごめんね、ハイン」

「――ッ!?」


 私は、ハインと少女の間に無理やり割って入ると、そのまま彼を引き剥がす。

 魔王の力の制御がうまくいっていないのか――それとも別の要因か。

 必要以上の力を出してしまい、ハインは五メイル先まで吹き飛んでしまった。


「何を……ッ!?」


 驚いた声を出すお兄ちゃん。けれど、私は意に返さない。

 そのまま絶命した少女へと視線をやる私。

 キッチェって言っていたよね。
 ハインが呼んでいたから、覚えている。

 表情が豊かな、可愛い子。

 もしかしたら――これは私のエゴなのかもしれない。

 けれど、ごめん。


 私――ハインリヒの悲しい顔は見たくないの。


「――きっと、あなただって一緒だと思うから……」


 私はそう呟くと――自身の血を、少女の傷口へと振りかけた。

 腕に空いた穴から、ダラダラと零れ落ちる魔族の血。――魔王の血。


 一通り血を分け与えた後――私は最後に、ハインへと視線を向けた。


「……リィン?」


 困惑した表情を浮かべるハイン。

 投げられて。大切な人の亡骸に何かをしているというのに、怒ったりはしないんだ?


 ――やっぱり、優しいなぁ。


 けれど、それに甘えてちゃ――もういけない。


「さよなら、ハインリヒ」


 私の愛しい人。とは――流石に恥ずかしくて言えなかった。







 リィン=アークスは飛んで行ってしまった。

 止める暇もなく、理解する間もなく、呆然と――アホ面晒して、俺は彼女を見送った。

 彼女の行動の意味は、分からない。

 今はもう、何も考えられない。

 沢山の事が、起こり過ぎたんだ。――沢山の事が。

 去っていった彼女の方角を未練がましく見続けながら、やがて俺は項垂れた。

 頭がパンクしそうだ。
 これ以上、もう何も起こって欲しくなかった。


 だが――そんな俺の希望とは裏腹に。



「……泣いてるの、ハイン?」



 聞き覚えのある、間の延びた声が――俺の背中に掛けられた。



「――ッ」



 まさか、な。


「……もしかして、お腹痛くなっちゃったとか?」


 だが、このユルそうな声は、良く知っている。

 何が起こったのかは分からない。

 何も起こって欲しくないなんて、さっきも思ったさ。



 だが――だが――ッ!!



「――馬鹿野郎キッチェ!! お前、生きてんだったら返事しろよな!!!」

「へへ。……えへへへ!!」


 目から流れるのは、きっと汗だ!

 だから何も気にしない!! 気にせず俺は、目の前のキッチェを抱きしめた。


「泣いてんじゃないかよ馬鹿! お前、何泣いてんだよ!!」

「ハインだって泣いてる~~!」

「泣いてねーし!! 俺のは汗だし!!!」

「私も汗~!」

「うわ、バッチ!! 汚ったねぇやつだなぁ本当に!!」

「ううーー!!! ハインがイジメる~~!」


 お互い身体を密着させながら、言い合いを始め――笑い合う。


「……本当に仲良しなんだな、この二人は」


 遠くで俺達を見ながら、頬笑みを浮かべるライディ。

 何だか少し気恥しい気持ちもするが――今は構うまい。


「ハイン」

「……何だよ?」


 顔を赤くしながら、そっぽを向くキッチェ。

 からかい過ぎたか?

 そう思った一瞬。

 風に乗った彼女の呟きが、俺の耳へと届く。


「――大好き」


 ……。

 ……聞こえてないとでも思ってるのかなぁ、この馬鹿たれは。


「……キッチェ」

「う、うん!」


 ドキッとした表情を見せるキッチェ。
 
 俺はその小さな鼻を軽く指で引っ張って離す。


「わぷ」


 目をぎゅっと瞑って、そんな声を上げるキッチェ。


「――帰るか?」

「――うん!」


 充満したマナは消え去り、空は青空へと色を変えていた。

 リィンの事は少し気になるが……今だけは、休んでも良いだろう。


 お互い何の気もなく、手を繋ぐ。


 これからも――ずっと。
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みんなの感想(1件)

スパークノークス

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