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「……次の方、どうぞ。本日は随分と、重心の不安定な歩き方をなさるお客様ですわね」
ファルルは眼鏡の奥の瞳を細め、入ってきた「男」を凝視した。
その男は、顔の下半分を埋め尽くすような巨大な付け髭をつけ、不自然なほど深く帽子を被っている。
さらには、なぜか全身に「幸運を呼ぶ(と自称する)怪しいお札」を何枚も貼り付けていた。
「……あー、コホン。……我は、し、しり……しりあ……『知りたがり屋のウス三郎』と申す者だ」
「ウス三郎様。随分と不吉な響きの偽名……いえ、お名前ですわね」
ファルルは平然とカルテを広げた。
「それで、その『知りたがり屋』のウス三郎様。本日のご相談は? 見たところ、服装のセンスと精神の安定性に重大な欠陥があるようにお見受けしますが」
「な、何を! これでも精一杯、庶民に溶け込めるよう努力した結果だぞ! ……あ、いや、違う。……相談だ! 我が仕える『ある高貴な御方』が、今、非常に困っていらっしゃるのだ」
ウス三郎ことシリウス王子は、机を叩いて身を乗り出した。
「その御方は、愛する女に裏切られ、朝食はパンの耳、夕食は庭の野草を食うハメになっている。おまけに、かつての婚約者が勝手にこんな相談所を開いて、国中の女を洗脳していると聞いて、心を痛めておられるのだ!」
「……それはそれは。その御方、もしかして『脳内がファンタジー』な病にでもかかっていらっしゃるのかしら?」
ファルルは、わざとらしく溜息をついた。
「洗脳などしておりませんわ。私はただ、無能な投資先に人生を捧げている令嬢たちに『正しい資産運用』を教えているだけです。……ところでウス三郎様。その御方は、なぜその婚約者を呼び戻さないのですか?」
「呼び戻そうとしたさ! だが、その女はプライドが高くて、王子の……あ、いや、その御方の慈悲を無下にしたのだ!」
「慈悲? 『再雇用してやるから今すぐ残業しろ』というのを、世間では慈悲とは呼びません。……脅迫、あるいはパワーハラスメントと呼びますわ」
シリウスは、付け髭が剥がれそうになるほど口をパクパクさせた。
「……な、ならばどうすればいい! その御方は、今や靴下を自分で履くことすらままならず、リリアンとかいう女にも『あなたの世話はもう飽きた』と書き置きを残して逃げられたのだぞ!」
「あら、リリアン様は賢明な判断をなさいましたね」
ファルルは立ち上がり、相談室の壁に貼られた「顧客満足度グラフ」を指差した。
「見てください。私のアドバイスを受けて婚約を解消した令嬢たちの、この晴れやかな表情を。……彼女たちは皆、自由になり、実家の財政を立て直し、新しい恋や趣味を見つけています」
「くっ……。だが、国はどうなる! その御方が倒れたら、この国は……!」
「国を支えるのは、一人の王子のワガママではなく、適正に配置された人材とシステムです。……ウス三郎様。その御方に伝えてください。『あなたがいない方が、この国は健全に回る準備ができつつあります』と」
シリウスは、ついに膝から崩れ落ちた。
「そ、そんな……。俺は、いや、その御方は、必要ないというのか……?」
「ええ。今のままでは、ただの『高コストな維持費がかかる不良債権』ですわね。……あ、相談料の菓子折りは置いていってください。もしお持ちでないなら、そのお札でも剥がして売ったらどうかしら?」
「お、おのれ……ファルル! 貴様、そこまで冷酷になれるのか!」
シリウスは帽子を投げ捨て、付け髭を引き剥がした。
「見ての通り、俺だ! シリウスだ! こんなボロボロの姿を見て、何も感じないのか!」
ファルルは、冷めた目で元婚約者の無様な姿を見下ろした。
「感じますわ。……『あぁ、あの時、勢いで窓枠まで回収しておいて本当に良かった』と」
「……鬼だ! お前は血も涙もない、真の悪役令嬢だ!」
「お褒めに預かり光栄ですわ、殿下。……セバス、次のお客様が外で呆れていらっしゃいます。この『自称・ウス三郎様』を、至急、王宮という名の養護施設へお送りして」
「かしこまりました。……殿下、出口はこちらです。あ、玄関に盛り塩をしておきますので、踏まないようにお気をつけて」
シリウスは、セバスに引きずられるようにして部屋を出ていった。
「ファルルぅぅ! 覚えておけ! 俺は、俺は絶対に、自分でお湯を沸かせるようになってやるからなぁぁ!」
遠ざかる叫び声を聞きながら、ファルルは静かにティーカップを手に取った。
「……お湯くらい、誰でも沸かせるでしょうに」
彼女の有給休暇兼、コンサルタント業は、今日も絶好調であった。
ファルルは眼鏡の奥の瞳を細め、入ってきた「男」を凝視した。
その男は、顔の下半分を埋め尽くすような巨大な付け髭をつけ、不自然なほど深く帽子を被っている。
さらには、なぜか全身に「幸運を呼ぶ(と自称する)怪しいお札」を何枚も貼り付けていた。
「……あー、コホン。……我は、し、しり……しりあ……『知りたがり屋のウス三郎』と申す者だ」
「ウス三郎様。随分と不吉な響きの偽名……いえ、お名前ですわね」
ファルルは平然とカルテを広げた。
「それで、その『知りたがり屋』のウス三郎様。本日のご相談は? 見たところ、服装のセンスと精神の安定性に重大な欠陥があるようにお見受けしますが」
「な、何を! これでも精一杯、庶民に溶け込めるよう努力した結果だぞ! ……あ、いや、違う。……相談だ! 我が仕える『ある高貴な御方』が、今、非常に困っていらっしゃるのだ」
ウス三郎ことシリウス王子は、机を叩いて身を乗り出した。
「その御方は、愛する女に裏切られ、朝食はパンの耳、夕食は庭の野草を食うハメになっている。おまけに、かつての婚約者が勝手にこんな相談所を開いて、国中の女を洗脳していると聞いて、心を痛めておられるのだ!」
「……それはそれは。その御方、もしかして『脳内がファンタジー』な病にでもかかっていらっしゃるのかしら?」
ファルルは、わざとらしく溜息をついた。
「洗脳などしておりませんわ。私はただ、無能な投資先に人生を捧げている令嬢たちに『正しい資産運用』を教えているだけです。……ところでウス三郎様。その御方は、なぜその婚約者を呼び戻さないのですか?」
「呼び戻そうとしたさ! だが、その女はプライドが高くて、王子の……あ、いや、その御方の慈悲を無下にしたのだ!」
「慈悲? 『再雇用してやるから今すぐ残業しろ』というのを、世間では慈悲とは呼びません。……脅迫、あるいはパワーハラスメントと呼びますわ」
シリウスは、付け髭が剥がれそうになるほど口をパクパクさせた。
「……な、ならばどうすればいい! その御方は、今や靴下を自分で履くことすらままならず、リリアンとかいう女にも『あなたの世話はもう飽きた』と書き置きを残して逃げられたのだぞ!」
「あら、リリアン様は賢明な判断をなさいましたね」
ファルルは立ち上がり、相談室の壁に貼られた「顧客満足度グラフ」を指差した。
「見てください。私のアドバイスを受けて婚約を解消した令嬢たちの、この晴れやかな表情を。……彼女たちは皆、自由になり、実家の財政を立て直し、新しい恋や趣味を見つけています」
「くっ……。だが、国はどうなる! その御方が倒れたら、この国は……!」
「国を支えるのは、一人の王子のワガママではなく、適正に配置された人材とシステムです。……ウス三郎様。その御方に伝えてください。『あなたがいない方が、この国は健全に回る準備ができつつあります』と」
シリウスは、ついに膝から崩れ落ちた。
「そ、そんな……。俺は、いや、その御方は、必要ないというのか……?」
「ええ。今のままでは、ただの『高コストな維持費がかかる不良債権』ですわね。……あ、相談料の菓子折りは置いていってください。もしお持ちでないなら、そのお札でも剥がして売ったらどうかしら?」
「お、おのれ……ファルル! 貴様、そこまで冷酷になれるのか!」
シリウスは帽子を投げ捨て、付け髭を引き剥がした。
「見ての通り、俺だ! シリウスだ! こんなボロボロの姿を見て、何も感じないのか!」
ファルルは、冷めた目で元婚約者の無様な姿を見下ろした。
「感じますわ。……『あぁ、あの時、勢いで窓枠まで回収しておいて本当に良かった』と」
「……鬼だ! お前は血も涙もない、真の悪役令嬢だ!」
「お褒めに預かり光栄ですわ、殿下。……セバス、次のお客様が外で呆れていらっしゃいます。この『自称・ウス三郎様』を、至急、王宮という名の養護施設へお送りして」
「かしこまりました。……殿下、出口はこちらです。あ、玄関に盛り塩をしておきますので、踏まないようにお気をつけて」
シリウスは、セバスに引きずられるようにして部屋を出ていった。
「ファルルぅぅ! 覚えておけ! 俺は、俺は絶対に、自分でお湯を沸かせるようになってやるからなぁぁ!」
遠ざかる叫び声を聞きながら、ファルルは静かにティーカップを手に取った。
「……お湯くらい、誰でも沸かせるでしょうに」
彼女の有給休暇兼、コンサルタント業は、今日も絶好調であった。
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