あの日、最高の婚約破棄を。

八雲

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王宮の大舞踏会。かつてファルルが「戦場」として管理していたその場所は、今や混沌の極みにあった。

受付では招待客が列をなし、給仕たちはトレイをひっくり返し、音楽隊は調律が合わずに不協和音を奏でている。

その中心で、シリウスは一人、胸を張って立っていた。

「ふふふ……見ろ、この惨状を! これぞ俺が用意した第一の試練『運営の崩壊』だ。ファルルめ、これを見れば泣いて俺に縋り付くはず……」

「……あ、あの、殿下。お言葉ですが、受付の混乱はすでに解消されております」

側近の騎士が、困惑した顔で報告に現れた。

「何だと!? 俺がわざと受付名簿をバラバラにしておいたはずだぞ!」

「それが……公爵家から派遣されたという謎の事務集団が、魔法端末のようなものを駆使して、わずか五分で全員のチェックインを済ませてしまいました」

「な、何だと!?」

シリウスが驚愕のあまり声を上げたその時、会場の巨大な扉がゆっくりと開かれた。

全ての視線が一箇所に集まる。

そこに立っていたのは、夜の帳を纏ったかのような、圧倒的な存在感を放つファルル・ボナパルトであった。

「……遅れて申し訳ありませんわ。受付のシステム構築に少々手間取りましたので、その分のコンサル料は後ほど請求させていただきます」

ファルルは一歩踏み出し、会場を見渡した。

その姿は、かつての「王子の添え物」としての令嬢ではなく、一国の経済を左右する女帝のような威厳に満ちている。

「ファ、ファルル! 来たか! どうだ、俺がいない王宮のこの『自由な空気』は!」

シリウスが、ボタンを三つ掛け違えた正装で颯爽と(のつもりで)歩み寄ってきた。

「自由というより、ただの『管理不足による組織の腐敗』に見えますわね、殿下。……それより、そちらのボタン、四次元ポケットか何かに繋がっているのかしら? 随分と前衛的な留め方ですこと」

「くっ……これはわざとだ! 最新の流行だ! ……それよりお前、そのドレスはどうした。美しすぎて、俺の目が潰れそうだぞ」

「あら、それは光栄ですわ。このドレス、衝撃吸収魔法が付与されておりますので、殿下が突然泣きついてきても、私の身体には一ミリの振動も伝わりませんの」

ファルルは扇子で口元を隠し、冷ややかに微笑んだ。

「さて、殿下。招待状にあった『再雇用試験』とやらを開始しましょうか。まずは、この止まりかけた音楽隊と、腐りかけの料理から片付けましょうか?」

「ま、待て! まずは俺とのダンスだろう! それが夜会のマナーというものだ!」

シリウスが手を差し出したその時、横から長身のイケメン騎士が割り込んできた。

「失礼、殿下。ファルル様には、先ほど『残業代の適正化に関する陳情』の予約を入れております」

「な……! カイル! 貴様、俺の騎士団長だろうが! なぜ俺より先にファルルと話す!」

カイルと呼ばれた騎士は、ファルルの前で優雅に膝をついた。

「殿下、愛では腹は膨らみますが、部下の士気は維持できません。ファルル様、昨日のアドバイス通り、騎士団の夜勤手当を交渉材料に、財務部を落としてまいりました」

「素晴らしいわ、カイル様。これであなたの部下たちの離職率は三割減少するはずよ」

ファルルはシリウスの差し出した手を無視し、カイルと親しげに話し始めた。

「おい! 俺を無視するな! ファルル、俺は殿下だぞ! 真実の愛の当事者だぞ!」

「殿下、業務の邪魔をしないでいただけます? 今は非常に重要な『人的資源の最適化』についての商談中なんですの」

「商談!? 夜会はダンスをする場所だろう!」

「私にとっては、ターゲット層が一堂に会する絶好の『見本市』ですわ。……さあ、次の方どうぞ」

ファルルの背後には、いつの間にか悩みを抱えた貴族たちが列を作っていた。

「ファルル様! うちの夫の無駄遣いを止める方法を!」

「ファルル様、婚約者がポエムしか書かなくて困っております!」

「順番に、番号札をお取りになって。……セバス、相談料の徴収漏れがないようにね」

「承知いたしました、お嬢様」

シリウスは、自分の主催した夜会の中心で、完全に「蚊帳の外」に置かれていた。

「……おかしい。俺が主役のはずなのに。俺が、俺が彼女を試しているはずなのに……!」

シリウスは震える手で、リリアン(今日は体調不良と称して欠席中)の書き置きを握りしめた。

「ファルル……! 俺はお前を再雇用してやるんだぞ! 戻ってこい! このままだと、俺、本当に一人でパンツも履けなくなるんだぞ!」

「殿下、そのご相談は『育児支援窓口』へどうぞ。私の専門外ですわ」

ファルルの冷徹な声が、華やかなワルツの旋律を切り裂いた。

夜会はまだ、始まったばかりであった。
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