あの日、最高の婚約破棄を。

八雲

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「音楽を止めろ! 皆のもの、俺の言葉を聞け!」

シリウスの絶叫が、華やかな舞踏会会場に響き渡った。

バイオリンの調べが止まり、困惑した貴族たちの視線が中央の壇上へと集まる。

そこには、肩で息をしながら、劇的なポーズで右手を突き出すシリウスの姿があった。

「ファルル! お前を呼び寄せてから、俺はずっと考えていたのだ。なぜお前が、これほどまでに俺を拒絶し、冷たい言葉を浴びせるのかをな!」

会場の端で、公爵家の騎士から「効率的な有休消化の進め方」について相談を受けていたファルルは、面倒そうに顔を上げた。

「……殿下、今は商談中ですので、その芝居がかった演説は三行にまとめていただけますか?」

「三行だと!? いや、もはやそんな必要はない! 俺は気づいてしまったのだ。お前がこれほどまでに『仕事』に没頭し、俺に冷たく当たる真の理由に!」

シリウスは壇上から飛び降り、大股でファルルの前まで歩み寄ると、衆人環視の中で深々と頭を下げた。

「すまなかった、ファルル! 俺が悪かった!」

会場が静まり返る。あの傲慢な第一王子が、かつての婚約者に頭を下げたのだ。

「……セバス、今日の天気は雪かしら? それとも殿下、どこか角に頭をぶつけられました?」

「いいえ。お嬢様、あれはおそらく『自己完結型の極めて質の悪い勘違い』による発作かと存じます」

セバスの毒舌を無視し、シリウスは顔を上げると、潤んだ瞳でファルルを見つめた。

「お前は寂しかったのだろう!? 俺がリリアンに現を抜かし、お前を『有能な道具』としてしか扱わなかったことに、女として深く傷ついていたのだ! だからこそ、わざと冷酷な女を演じて俺を試していた……違うか!」

ファルルは無言で、手にした扇子をパチンと閉じた。

「……殿下。今の言葉、もう一度正確に記録させてもよろしいですか? 名誉毀損の証拠として」

「強がるな! お前がこの夜会に、これほど美しいドレスを着てきたのが何よりの証拠だ! これは俺へのアピールだろう!? 『私を見て、愛して』という、乙女の悲鳴が聞こえてくるぞ!」

シリウスはさらに一歩詰め寄り、ファルルの両肩を掴もうとした。

しかし、ドレスの「衝撃吸収魔法」が発動し、彼の指先は目に見えない壁に弾かれた。

「なっ……物理的に拒絶するほど、お前の照れ隠しは重症なのか!」

「照れ隠しではなく、防犯対策です。……殿下、いい加減にしてください。私がなぜここに来たか、まだお分かりにならないのですか?」

ファルルは冷徹なまでの微笑みを浮かべ、周囲の貴族たちを指し示した。

「私は今日、あなたに再雇用の意思がないことを公に証明し、同時に、ここにいる皆様に『自立した生き方』という商品を紹介しに来たのです。……現に、今この瞬間も、私の手帳には二十件以上のコンサルティング予約が入っておりますわ」

「嘘だ! 愛だ! これは愛の裏返しに決まっている! 分かった、認めよう! リリアンとの婚約は完全に破棄する! そしてお前を、俺の『正妃』として……いや、もはや『支配人』として迎えてやる! これで満足だろう!」

シリウスが勝利を確信したような笑顔で叫ぶと、会場のあちこちから「えぇ……」という引きつった声が漏れた。

「……殿下。あなたの仰る謝罪と提案は、経営学的に言えば『破綻した企業の、実現不可能な再生計画書』と同じです」

ファルルは一歩前へ踏み出し、シリウスの鼻先に扇子を突きつけた。

「第一に、私はリリアン様の代わりになりたいわけではありません。第二に、あなたの『支配人』になることは、二十四時間年中無休で赤字垂れ流しの個人の世話を焼くという、最悪の労働契約です。そして第三に……」

ファルルは会場全体に聞こえるような通る声で、最後通牒を突きつけた。

「私が愛しているのは、あなたでも、王室の権威でもありません。……自分の手で勝ち取った、自由という名の『純利益』だけです!」

シリウスは、まるで石像のように固まった。

「純……りえき……?」

「ええ。あなたを更生させる労力を、もっと価値のある事業に投資することに決めたのです。……さあ、謝罪が終わったなら席へ戻ってくださいな。まだお話を聞きたい令嬢たちが、後ろにたくさん控えていらっしゃるのですから」

「待て! 行くな! まだ俺は……俺の愛の総括が……!」

シリウスの手が空を切る。

ファルルは、もはや一度も振り返ることなく、次なる「顧客」の元へと優雅に歩き出した。

「お嬢様。……殿下の精神的ダメージを金額に換算すると、当家の年商三倍分に匹敵する爽快さでございましたな」

「あら、セバス。そんなに安く見積もらないで。……さあ、次の相談は『浪費癖のある夫の口座凍結』についてだったかしら?」

夜会の光の中で、ファルルのドレスは誰よりも誇り高く輝いていた。

王子がどれほど叫ぼうとも、彼女がかつての「籠の中」に戻ることは、二度とないのである。
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