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夜会の喧騒から離れたテラスで、ファルルは冷え始めた夜風を浴びていた。
そこへ、ボロボロのプライドを必死にかき集めたシリウスが、音を立てて扉を開け放った。
「ファルル! まだだ、まだ納得がいかんぞ。お前は……お前はかつて、俺に『愛している』と言ったではないか!」
ファルルはゆっくりと振り返り、手にした扇子を静かに閉じた。
「ええ、言いましたわね。……ですが殿下、それはあくまで『契約維持のための定型文』に過ぎません」
「定型文だと!? あの時、俺が風邪を引いて寝込んだ際、三日三晩不眠不休で看病してくれたのは愛ではないというのか!」
「いいえ。あれは『重要資産の毀損を防ぐためのメンテナンス』ですわ」
ファルルは、事務的な報告でもするかのように淡々と続けた。
「あの時期は隣国との通商条約の締結直前でした。あなたが死んだり、後遺症が残ったりしては、私の数ヶ月に及ぶ準備がすべて水の泡になりますもの。必死にもなりますわ」
「な……なら、俺に贈ってくれたあの手編みの手袋は! あれを編むのに指先を傷だらけにしていたと聞いたぞ!」
「あれは指先の巧緻性を高めるための訓練です。……それと、あなたが手袋を紛失するたびに買い換える経費が馬鹿にならなかったので、自作してコストカットを図っただけですわ」
シリウスは、まるで剣で突かれたかのように胸を押さえて後ずさった。
「お前……。まさか、俺との全ての時間を、そんな計算ずくで過ごしていたのか?」
「計算だけではありませんわ。情熱もありました。……ですがそれは、あなたに向けられたものではなく、『シリウス・フォン・アルカディア』という、極めて制御困難で、欠陥だらけのプロジェクトをいかに完璧に完遂するか、という仕事への情熱です」
ファルルは一歩、シリウスに近づいた。
「殿下、あなたは私にとって、世界で一番やりがいのある『難解なパズル』でした。朝の着替えから夜の公務まで、私が糸を引かなければ崩壊するあなたを、完璧に操る。その達成感に、私は酔いしれていたのです」
「パズル……。俺を、パズルだと思っていたのか?」
「ええ。ですが、パズルは完成してしまえば、あとは額縁に入れて飾っておくだけのものですわ。……そして何より、私は気づいてしまったのです。自分ではない誰かの人生を完璧に整えるよりも、自分自身の人生を自由に経営する方が、よほど刺激的で、高利回りであることに」
ファルルの瞳には、かつてシリウスが求めたような献身的な光は微塵もなかった。
そこにあるのは、自らの価値を正当に評価し、次なる市場を見据えるプロフェッショナルの輝きだ。
「……残酷な女だ。お前は、俺に心なんて持っていなかったのか」
「いいえ。仕事への愛は本物でしたわ。……ですが、あなたが私を『解雇』してくださったおかげで、ようやく私はその重責から解放されました。今は、あなたを操縦するゲーム性よりも、自分でお湯を沸かして淹れるお茶の味の方が、よほど大切ですの」
シリウスは力なく手すりに縋り付いた。
彼が「愛」だと思っていたものの正体は、彼女という超一流のマネージャーによる、完璧な「オペレーション」の結果でしかなかったのだ。
「……さようなら、殿下。私の『最高傑作』としてのあなたは、私の記憶のアーカイブに大切に保存しておきますわ。……あ、もうアーカイブの容量が一杯になりそうなので、上書き保存されるのも時間の問題かもしれませんが」
「ファルル……待ってくれ、俺を……俺を見捨てないでくれ……!」
「失礼いたします。……セバス、もう帰りましょう。お肌のゴールデンタイムが過ぎてしまいますわ」
テラスの影から音もなく現れたセバスが、ファルルの肩に温かなショールをかけた。
「畏まりました。馬車の準備は整っております。……殿下、どうぞそのまま、美しい月夜とご自身の『孤独』をご堪能ください」
ファルルは一度も振り返ることなく、夜会の光の中へと戻っていった。
取り残されたシリウスの耳には、遠くで鳴り響く祝祭の音楽だけが、虚しく木霊していた。
そこへ、ボロボロのプライドを必死にかき集めたシリウスが、音を立てて扉を開け放った。
「ファルル! まだだ、まだ納得がいかんぞ。お前は……お前はかつて、俺に『愛している』と言ったではないか!」
ファルルはゆっくりと振り返り、手にした扇子を静かに閉じた。
「ええ、言いましたわね。……ですが殿下、それはあくまで『契約維持のための定型文』に過ぎません」
「定型文だと!? あの時、俺が風邪を引いて寝込んだ際、三日三晩不眠不休で看病してくれたのは愛ではないというのか!」
「いいえ。あれは『重要資産の毀損を防ぐためのメンテナンス』ですわ」
ファルルは、事務的な報告でもするかのように淡々と続けた。
「あの時期は隣国との通商条約の締結直前でした。あなたが死んだり、後遺症が残ったりしては、私の数ヶ月に及ぶ準備がすべて水の泡になりますもの。必死にもなりますわ」
「な……なら、俺に贈ってくれたあの手編みの手袋は! あれを編むのに指先を傷だらけにしていたと聞いたぞ!」
「あれは指先の巧緻性を高めるための訓練です。……それと、あなたが手袋を紛失するたびに買い換える経費が馬鹿にならなかったので、自作してコストカットを図っただけですわ」
シリウスは、まるで剣で突かれたかのように胸を押さえて後ずさった。
「お前……。まさか、俺との全ての時間を、そんな計算ずくで過ごしていたのか?」
「計算だけではありませんわ。情熱もありました。……ですがそれは、あなたに向けられたものではなく、『シリウス・フォン・アルカディア』という、極めて制御困難で、欠陥だらけのプロジェクトをいかに完璧に完遂するか、という仕事への情熱です」
ファルルは一歩、シリウスに近づいた。
「殿下、あなたは私にとって、世界で一番やりがいのある『難解なパズル』でした。朝の着替えから夜の公務まで、私が糸を引かなければ崩壊するあなたを、完璧に操る。その達成感に、私は酔いしれていたのです」
「パズル……。俺を、パズルだと思っていたのか?」
「ええ。ですが、パズルは完成してしまえば、あとは額縁に入れて飾っておくだけのものですわ。……そして何より、私は気づいてしまったのです。自分ではない誰かの人生を完璧に整えるよりも、自分自身の人生を自由に経営する方が、よほど刺激的で、高利回りであることに」
ファルルの瞳には、かつてシリウスが求めたような献身的な光は微塵もなかった。
そこにあるのは、自らの価値を正当に評価し、次なる市場を見据えるプロフェッショナルの輝きだ。
「……残酷な女だ。お前は、俺に心なんて持っていなかったのか」
「いいえ。仕事への愛は本物でしたわ。……ですが、あなたが私を『解雇』してくださったおかげで、ようやく私はその重責から解放されました。今は、あなたを操縦するゲーム性よりも、自分でお湯を沸かして淹れるお茶の味の方が、よほど大切ですの」
シリウスは力なく手すりに縋り付いた。
彼が「愛」だと思っていたものの正体は、彼女という超一流のマネージャーによる、完璧な「オペレーション」の結果でしかなかったのだ。
「……さようなら、殿下。私の『最高傑作』としてのあなたは、私の記憶のアーカイブに大切に保存しておきますわ。……あ、もうアーカイブの容量が一杯になりそうなので、上書き保存されるのも時間の問題かもしれませんが」
「ファルル……待ってくれ、俺を……俺を見捨てないでくれ……!」
「失礼いたします。……セバス、もう帰りましょう。お肌のゴールデンタイムが過ぎてしまいますわ」
テラスの影から音もなく現れたセバスが、ファルルの肩に温かなショールをかけた。
「畏まりました。馬車の準備は整っております。……殿下、どうぞそのまま、美しい月夜とご自身の『孤独』をご堪能ください」
ファルルは一度も振り返ることなく、夜会の光の中へと戻っていった。
取り残されたシリウスの耳には、遠くで鳴り響く祝祭の音楽だけが、虚しく木霊していた。
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