あの日、最高の婚約破棄を。

八雲

文字の大きさ
23 / 28

23

しおりを挟む
「……お嬢様。本日の来客は、当相談所の『受付拒否リスト』の最上位に位置する方のご関係者でございます」

セバスが、かつてないほど深々と頭を下げて報告した。

ファルルは、庭園で新種のハーブの「リラックス効果と市場価格の相関」を調べていたが、顔を上げずに答えた。

「セバス。私は今、非常に重要な研究をしているの。シリウス殿下なら、門の前で三時間ほど反省させておいてちょうだい」

「いえ。……お越しいただいたのは、殿下の『上司』に当たるお方でございます」

その言葉と同時に、庭園の入り口から威厳に満ちた、しかしどこか魂が抜け落ちたような老人が現れた。

この国の最高権力者、国王その人である。

「……ファルル嬢。すまないが、少し時間をくれないか。いや、時間を売ってくれと言った方が正しいか」

ファルルはゆっくりと立ち上がり、完璧な、しかし心のこもっていないカーテシーを披露した。

「これは、陛下。……このような場末の『再建アドバイザー』の元に、直々にお越しいただけるとは。光栄すぎて、見積書の手が震えてしまいますわ」

「嫌味はよしてくれ。……もう限界なのだ。王宮が、文字通り止まっている」

国王は、ファルルが差し出した椅子に力なく腰を下ろした。

「シリウスは使い物にならず、リリアン嬢は厨房のベーコンを盗んで謹慎中。宰相は過労で倒れ、財務大臣は『数字がゲシュタルト崩壊した』と言って辞職した。……このままでは、来月の国家予算が組めん」

「あら。それは、国家としての『経営破綻』ですね。お悔やみ申し上げますわ」

「他人事のように言うな! もとはと言えば、あのアホ息子が君を……!」

「陛下。……『雇用契約』を解除したのは殿下です。私はその決定に従った、極めて法を遵守する一市民に過ぎません」

ファルルは冷めた紅茶を一口飲み、冷徹な瞳で国王を見据えた。

「それで? 陛下は私に、何を求めていらっしゃるのですか? まさか『戻ってきて息子と結婚してくれ』なんて、投資価値ゼロの提案をなさるわけではありませんわよね?」

国王は一瞬、言葉に詰まった。

「……当初は、そのつもりだった。だが、今のシリウスの惨状と、君のこの生き生きとした姿を見て、それがどれほど無慈悲な要求か理解したつもりだ」

国王は、懐から一通の、黄金の封蝋が押された書状を取り出した。

「これは、王室からの『特別経営コンサルタント』としての委嘱状だ。……婚約はしなくていい。シリウスとも会わなくていい。ただ、この国を……この破綻したシステムを、立て直してはくれないか」

「条件を伺いましょう。私は、ボランティアをするほどお人好しではありませんの」

「望むだけの報酬を払おう。……公爵家の税の永久免除、君専用の独立した執務室、そして……」

国王は一度言葉を切り、苦渋の決断を下した。

「……シリウスに対する『無制限の教育指導権』、および『物理的な制裁』の許可を与えよう。彼が仕事をサボるようなら、鞭で打っても構わん」

「陛下、それは魅力的な付帯条項ですわね」

ファルルはくすりと笑い、セバスから受け取った自作の契約書を国王の前に滑らせた。

「では、私からも条件を。私は『王族』には戻りません。あくまで外部の『経営コンサルタント』として、契約に基づいて動きます。……私の指示は、陛下の命令と同等の効力を持つこと。そして、業務時間外の呼び出しは、金貨百枚の緊急対応費を申し受けます」

「……承知した。もはや背に腹は代えられん」

国王は、震える手で国王印を契約書に押し当てた。

「これにて、契約成立ですわね。……セバス、準備を。明日から王宮の『リストラおよび業務改善』を開始しますわ」

「かしこまりました。……お嬢様。まずは、どの部署から着手されますか?」

「決まっているでしょう? まずは、あの『寄生生物』が巣食っている王子の寝室からよ。……カーテンも絨毯も、私が買い戻したものに付け替えるけれど、レンタル料はきっちり頂くわ」

ファルルは、立ち去ろうとする国王の背中に向かって、晴れやかに告げた。

「陛下。……おめでとうございます。これでこの国は、ようやく『正常な経営』に戻りますわよ。……ただし、私のコンサル料で、国庫が少しばかり軽くなることだけは覚悟しておいてくださいませ」

国王は力なく頷き、支えられるようにして去っていった。

ファルルは、手元の契約書を愛おしそうに眺めた。

「……さあ、セバス。第2ラウンドの始まりよ。今度は『婚約者』という名の奴隷ではなく、王室の『救世主』という名の債権者として、たっぷり稼がせていただくわ」

彼女の有給休暇は、史上もっとも「高単価な再就職」へと姿を変えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

聞き分けよくしていたら婚約者が妹にばかり構うので、困らせてみることにした

今川幸乃
恋愛
カレン・ブライスとクライン・ガスターはどちらも公爵家の生まれで政略結婚のために婚約したが、お互い愛し合っていた……はずだった。 二人は貴族が通う学園の同級生で、クラスメイトたちにもその仲の良さは知られていた。 しかし、昨年クラインの妹、レイラが貴族が学園に入学してから状況が変わった。 元々人のいいところがあるクラインは、甘えがちな妹にばかり構う。 そのたびにカレンは聞き分けよく我慢せざるをえなかった。 が、ある日クラインがレイラのためにデートをすっぽかしてからカレンは決心する。 このまま聞き分けのいい婚約者をしていたところで状況は悪くなるだけだ、と。 ※ざまぁというよりは改心系です。 ※4/5【レイラ視点】【リーアム視点】の間に、入れ忘れていた【女友達視点】の話を追加しました。申し訳ありません。

《本編完結》あの人を綺麗さっぱり忘れる方法

本見りん
恋愛
メラニー アイスナー子爵令嬢はある日婚約者ディートマーから『婚約破棄』を言い渡される。  ショックで落ち込み、彼と婚約者として過ごした日々を思い出して涙していた───が。  ……あれ? 私ってずっと虐げられてない? 彼からはずっと嫌な目にあった思い出しかないんだけど!?  やっと自分が虐げられていたと気付き目が覚めたメラニー。  しかも両親も昔からディートマーに騙されている為、両親の説得から始めなければならない。  そしてこの王国ではかつて王子がやらかした『婚約破棄騒動』の為に、世間では『婚約破棄、ダメ、絶対』な風潮がある。    自分の思うようにする為に手段を選ばないだろう元婚約者ディートマーから、メラニーは無事自由を勝ち取る事が出来るのだろうか……。

沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―

柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。 最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。 しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。 カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。 離婚届の上に、涙が落ちる。 それでもシャルロッテは信じたい。 あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。 すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。

鈍感令嬢は分からない

yukiya
恋愛
 彼が好きな人と結婚したいようだから、私から別れを切り出したのに…どうしてこうなったんだっけ?

〖完結〗終着駅のパッセージ

苺迷音
恋愛
分厚い眼鏡と、ひっつめた髪を毛糸帽で覆う女性・カレン。 彼女はとある想いを胸に北へ向かう蒸気機関車に乗っていた。 王都から離れてゆく車窓を眺めながら、カレンは夫と婚姻してから三年という長い時間を振り返る。 その間、夫が帰宅したのは数えるほどだった。 ※ご覧いただけましたらとても嬉しいです。よろしくお願いいたします。

とある伯爵の憂鬱

如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。

【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから

えとう蜜夏
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。 ※他サイトに自立も掲載しております 21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)

蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。 聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。 愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。 いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。 ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。 それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。 心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。

処理中です...