あの日、最高の婚約破棄を。

八雲

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「……地獄へようこそ、皆様。いいえ、今日からは『ボナパルト式・再建工場』と呼びましょうか」

ファルルが再び王宮の執務室に足を踏み入れた瞬間、その場の空気が氷点下まで下がった。

そこには、やつれ果てたシリウス王子、震える官吏たち、そしてなぜか隅っこで小さくなっているリリアンの姿があった。

ファルルは私物の「黄金の指示棒」を机に叩きつけ、全員を見渡した。

「まず、大前提をはっきりさせておきます。私は皆様の『母』でも『恋人』でもありません。この破綻した組織を立て直すために雇われた、高額な『コンサルタント』です」

「ファ、ファルル……! 戻ってきてくれたんだな! さあ、まずは俺のこの、左右で長さの違うズボンの裾を……」

シリウスが涙目で縋り付こうとしたが、ファルルは無言で指示棒を彼の喉元に突きつけた。

「殿下。公私混同は、私の契約における最大の禁止事項です。今の発言により、特別対応費として金貨五枚を請求させていただきます。セバス、記録を」

「承知いたしました。……殿下、後ほど請求書を。ツケは認められませんので、お手持ちの宝石を売却してご用意ください」

セバスが冷徹にメモを取る。シリウスは口をパクパクさせ、そのまま固まった。

「さて、本日から適用される『ファルル・プロトコル』を発表します」

ファルルは、分厚い契約書を官吏たちの前に並べた。

「第一条:完全時給制、および出来高払いの導入。……仕事が遅い者の給与は、その分カットします。また、私の指導を受ける際は一分ごとに加算料金が発生しますわ」

「じ、時給制!? 我々は王族に仕える高貴な身分だぞ!」

一人の官吏が叫んだが、ファルルは一瞥しただけで彼を黙らせた。

「高貴な身分で、なぜこれほどまでに未決済書類が山積みになっているのかしら? 仕事ができないプライドは、ただのゴミと同じですわ」

官吏たちは一斉に目を逸らし、肩を窄めた。

「第二条:週休二日制の導入。……土日は一切の業務を停止します。殿下が池の金魚と心中しようが、私は休みます。もし呼び出すなら、国を一つ買うくらいの違約金を頂戴しますわよ」

「ファルル、それはあんまりだ! 俺はどうすればいいんだ!」

「自立してください。……そして第三条、これが最も重要です」

ファルルはシリウスの目をまっすぐに見つめ、不敵に微笑んだ。

「殿下との『恋愛行為』、および『それを示唆する一切の言動』の禁止です」

「な……ななな、なんだと!? 俺とお前の仲ではないか!」

「契約上のパートナーに、仲も何もありませんわ。甘い言葉を一つ吐くごとに、私は業務を放棄し、即座に実家へ帰らせていただきます」

シリウスは、まるで世界の終わりを見たような絶望の表情を浮かべた。

「そ、そんな……! 俺は、お前との愛を再確認するために、この契約を……」

「愛なら、そちらのリリアン様と存分にどうぞ。あ、リリアン様も例外ではありませんわよ。職務中に愛を語るなら、その分の『騒音被害料』を頂きます」

隅にいたリリアンが、ピィッと短い悲鳴を上げて首を振った。

「嫌ですわ! 私、もうベーコンさえ頂ければ、愛なんて二の次ですわ!」

「……随分と現実的な思考になられましたわね。よろしい、採用ですわ」

ファルルは、ペンを回しながら続けた。

「さあ、お喋りは終わりです。現在、午前九時二分。九時五分から、滞っていた三ヶ月分の予算案の見直しを開始します。……一秒でも遅れた者は、即座にクビ(物理)にしますわよ」

「……ひっ! やる、やるぞ! やるから鞭だけは勘弁してくれ!」

シリウスは、慌てて机にしがみつき、今まで一度も見せたことのないような必死さでペンを握った。

「セバス。……時計を動かして」

「御意。……お嬢様、王宮の再生、第一歩でございますな」

ファルルの「冷徹な再建計画」が、今、幕を開けた。

そこにはもはや、悪役令嬢として虐げられた過去はなく、王宮を掌の上で転がす圧倒的な「女王」の姿だけがあった。
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