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「……不合格です。やり直し」
ファルルの冷徹な声が、執務室に響いた。
彼女の指先が示したのは、シリウスが三時間かけて作成した「本日の夕食献立希望表」である。
「なぜだ! 誤字脱字はないし、リリアンの好きなベーコンも盛り込んだ完璧な布陣だぞ!」
「殿下。これは『公務』の進捗を報告する場所です。なぜ私が、あなたの個人的な食欲の管理まで無償でしなければならないのですか?」
ファルルは眼鏡のブリッジを押し上げ、深いため息をついた。
「そもそも、先ほどお渡しした『西領土の治水事業報告書』の要約はどうなりました? まさか、一枚も進んでいないわけではありませんわね?」
「……あ、あの、その……。漢字が難しくて、目が滑るのだ。あと、紙の端で指を切ったらどうする! 王子の指は国の宝だぞ!」
シリウスが胸を張って言い訳をすると、ファルルの背後に控えていたセバスが、スッと一歩前へ出た。
「殿下。お嬢様の貴重な五分間を、その程度の低レベルな言い訳で浪費されましたね。……現在、お嬢様の時給は金貨百枚に設定されております。五分間の損失、金貨八枚強を頂戴いたします」
「金を取るのか!? 話をしただけで!」
「コンサルタントとはそういう職業ですわ、殿下」
ファルルは手元の赤いペンで、シリウスの名札に大きな×印を書いた。
「決めましたわ。殿下、あなたは本日をもって『王子(見習い)』から、『雑用係(下僕)』に格下げいたします」
「げ、下僕!? 俺を、このアルカディアの光である俺をか!」
「光にしては、周囲を照らすどころか、自分の足元すら見えていないようですもの。セバス、彼に新しい制服を」
セバスが差し出したのは、豪華な刺繍の一切ない、地味な灰色のエプロンだった。
「これを着て、まずはこの部屋の床磨きから始めてください。自分の出したゴミも片付けられない方に、国の予算を片付ける資格はありませんわ」
「な、……そんなこと、俺ができるわけないだろう! 俺は生まれてこの方、雑巾なんて握ったこともないんだぞ!」
「あら、ご安心なさい。リリアン様もすでに、厨房でジャガイモの皮剥きを担当されていますわ。彼女、最近では『愛よりもビタミン』が合言葉だそうです」
ファルルが窓の外を指差すと、そこには必死の形相でジャガイモと格闘するリリアンの姿があった。
「リリアンまで……! あぁ、なんという非道な。ファルル、お前に心はないのか!」
「心はありますが、無能への慈悲は予算外です。……さあ、始めてください。一時間でこの部屋をピカピカにできなければ、本日の夕食は『パンの耳』一択にさせていただきます」
シリウスは、震える手で灰色のエプロンを手に取った。
「……くっ。……おぼえていろよ、ファルル。俺が、俺が最高の『下僕』になって、お前を驚かせてやるからな!」
「その意気ですわ。……あ、そこのコーナーは特に入念にお願いしますね。ホコリがたまると私の鼻がムズムズしますの」
ファルルはシリウスを一顧だにせず、山のような書類の束に向き直った。
背後から「ぐぬぬ……」という唸り声と、バケツに水を入れるバシャバシャという音が聞こえてくる。
かつて、彼女はこの男のために全てをお膳立てし、泥を被り、完璧な王子として飾り立ててきた。
だが今は、その男が自分の足元で、必死に床を磨いている。
「……セバス。なんだか、今までで一番仕事が捗る気がするわ」
「左様でございますな、お嬢様。適材適所……いえ、『身の程を知る』というプロセスは、組織再生において欠かせない工程でございます」
ファルルは、ペンを走らせながら、小さく、本当に小さく微笑んだ。
王宮の再建は、かつての王子が「働く」という言葉の意味を知ることから、本格的に始まろうとしていた。
ファルルの冷徹な声が、執務室に響いた。
彼女の指先が示したのは、シリウスが三時間かけて作成した「本日の夕食献立希望表」である。
「なぜだ! 誤字脱字はないし、リリアンの好きなベーコンも盛り込んだ完璧な布陣だぞ!」
「殿下。これは『公務』の進捗を報告する場所です。なぜ私が、あなたの個人的な食欲の管理まで無償でしなければならないのですか?」
ファルルは眼鏡のブリッジを押し上げ、深いため息をついた。
「そもそも、先ほどお渡しした『西領土の治水事業報告書』の要約はどうなりました? まさか、一枚も進んでいないわけではありませんわね?」
「……あ、あの、その……。漢字が難しくて、目が滑るのだ。あと、紙の端で指を切ったらどうする! 王子の指は国の宝だぞ!」
シリウスが胸を張って言い訳をすると、ファルルの背後に控えていたセバスが、スッと一歩前へ出た。
「殿下。お嬢様の貴重な五分間を、その程度の低レベルな言い訳で浪費されましたね。……現在、お嬢様の時給は金貨百枚に設定されております。五分間の損失、金貨八枚強を頂戴いたします」
「金を取るのか!? 話をしただけで!」
「コンサルタントとはそういう職業ですわ、殿下」
ファルルは手元の赤いペンで、シリウスの名札に大きな×印を書いた。
「決めましたわ。殿下、あなたは本日をもって『王子(見習い)』から、『雑用係(下僕)』に格下げいたします」
「げ、下僕!? 俺を、このアルカディアの光である俺をか!」
「光にしては、周囲を照らすどころか、自分の足元すら見えていないようですもの。セバス、彼に新しい制服を」
セバスが差し出したのは、豪華な刺繍の一切ない、地味な灰色のエプロンだった。
「これを着て、まずはこの部屋の床磨きから始めてください。自分の出したゴミも片付けられない方に、国の予算を片付ける資格はありませんわ」
「な、……そんなこと、俺ができるわけないだろう! 俺は生まれてこの方、雑巾なんて握ったこともないんだぞ!」
「あら、ご安心なさい。リリアン様もすでに、厨房でジャガイモの皮剥きを担当されていますわ。彼女、最近では『愛よりもビタミン』が合言葉だそうです」
ファルルが窓の外を指差すと、そこには必死の形相でジャガイモと格闘するリリアンの姿があった。
「リリアンまで……! あぁ、なんという非道な。ファルル、お前に心はないのか!」
「心はありますが、無能への慈悲は予算外です。……さあ、始めてください。一時間でこの部屋をピカピカにできなければ、本日の夕食は『パンの耳』一択にさせていただきます」
シリウスは、震える手で灰色のエプロンを手に取った。
「……くっ。……おぼえていろよ、ファルル。俺が、俺が最高の『下僕』になって、お前を驚かせてやるからな!」
「その意気ですわ。……あ、そこのコーナーは特に入念にお願いしますね。ホコリがたまると私の鼻がムズムズしますの」
ファルルはシリウスを一顧だにせず、山のような書類の束に向き直った。
背後から「ぐぬぬ……」という唸り声と、バケツに水を入れるバシャバシャという音が聞こえてくる。
かつて、彼女はこの男のために全てをお膳立てし、泥を被り、完璧な王子として飾り立ててきた。
だが今は、その男が自分の足元で、必死に床を磨いている。
「……セバス。なんだか、今までで一番仕事が捗る気がするわ」
「左様でございますな、お嬢様。適材適所……いえ、『身の程を知る』というプロセスは、組織再生において欠かせない工程でございます」
ファルルは、ペンを走らせながら、小さく、本当に小さく微笑んだ。
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