11 / 29
11
しおりを挟む
時を少し戻し、アンズたちが「犬」を発見する数時間前。
王宮の執務室は、地獄の様相を呈していた。
「ええい! 次から次へと! この書類の山はなんなのだ!」
クロード王太子は、机の上に積み上げられた書類の塔を崩し、インク壺をひっくり返した。
「殿下! それは北部の治水工事に関する決裁書です! インクを拭かないでください!」
「うるさい! 文字が小さすぎて読めん! 要約はどうした、要約は!」
側近の文官が青ざめた顔で答える。
「ですから、これまではアンズ様が全ての書類に目を通し、三行で分かる要約メモを付けてくださっていたのです。今はもう、アンズ様はいらっしゃいませんので……」
「チッ……! あの女、辞めるなら引き継ぎくらいしていけ!」
クロードは悪態をつき、椅子にふんぞり返った。
「大体、僕は王太子だぞ? こんな事務作業をするために生まれたのではない。もっとこう、国の未来を語るとか、舞踏会で愛を囁くとか、そういうのが仕事だろう!」
「いえ、王族の仕事の九割は地味な事務作業です」
文官の冷徹なツッコミが入る。
クロードは頭を抱えた。
婚約破棄をしてから一ヶ月。
自由で甘美な日々が訪れると思っていた。
愛しのミナとイチャイチャし、邪魔なアンズの小言を聞くこともない。
しかし現実は、過労死寸前のデスマーチだった。
アンズ・バーミリオン。
あの可愛げのない女が、どれほど異常な処理能力でこの国の行政を回していたか、クロードはようやく(嫌々ながら)理解し始めていた。
「もういい! 今日は終わりだ! ミナに会いに行く!」
クロードが逃亡を図ろうとしたその時。
バン!!
執務室の扉が乱暴に開かれた。
「殿下! 大変です!」
飛び込んできたのは、顔面蒼白の近衛兵だった。
「なんだ、騒々しい。ミナか? ミナが僕に会いに来てくれたのか?」
「違います! 隣国の……オリエント王国のシャルロット王女殿下が、アポなしで突撃してこられました!」
「ああん? シャルロット?」
クロードは眉をひそめた。
オリエント王国の第二王女。
噂では、絶世の美女だが性格に難があり、気に入らないことがあると魔法で爆破することから『爆炎の姫君』と呼ばれているらしい。
「ふん。あの国の王女が、僕になんの用だ?」
「そ、それが……非常に興奮されておりまして、『私の大事なアレクサンダーを返せ!』と……」
「アレクサンダー?」
クロードは首をかしげた。
「誰だそれは。男の名前か?」
「はあ、おそらく……」
クロードの中で、得意の脳内変換回路が火を吹いた。
(アレクサンダー……男の名前……返せ……?)
(つまり、彼女の恋人がこの国に亡命し、それを僕が匿っていると勘違いしているのか?)
(いや、待てよ。もしかして……)
クロードはニヤリと笑った。
(『アレクサンダー』というのは隠語で、本当は『私の心を奪ったクロード様、責任を取って』と言いたいのではないか?)
そうに違いない。
自分の美貌とカリスマ性は国境を越える。
隣国の王女が、婚約破棄でフリーになった自分を狙って押し掛けてきたのだ。
「ふっ、罪作りな男だな、僕は」
クロードは前髪をかき上げた。
「通せ。謁見の間で話を聞こう」
「えっ、よろしいのですか? 王女殿下は武器(モーニングスター)をお持ちですが……」
「構わん。愛の鞭というやつだろう」
「……はあ(ダメだこの人)」
◇ ◇ ◇
謁見の間。
重厚な扉が開くと同時に、殺気が吹き荒れた。
「おい、こら! そこの金髪のチャラ男!」
真っ赤なドレスに身を包み、身の丈ほどもある巨大なモーニングスター(鉄球)を引きずって現れたのは、シャルロット王女だった。
燃えるような赤髪に、釣り上がった猫目。
美少女だが、その目は完全に「獲物を狩る捕食者」のそれだ。
クロードは玉座(の横の王太子の椅子)に座り、優雅に足を組んだ。
「やあ、シャルロット王女。遠路はるばる、僕に会いに来てくれたのかな?」
「あぁ? 寝言は寝て言え。私の『アレクサンダー』はどこだ!」
王女が鉄球を床に叩きつける。
ゴガンッ!!
大理石の床にヒビが入った。
周囲の兵士たちが震え上がる中、クロードだけは余裕の笑みを崩さない。
「くくく……。そうカッカするな。君の熱い想いは伝わっているよ」
「は?」
「『アレクサンダー』……偉大な王の名だ。つまり君は、僕にそれだけの器を感じているということだろう?」
「何言ってんのコイツ」
王女が素で引いている。
だが、クロードは止まらない。
「残念だが、僕の心は今、傷ついているんだ。君のような情熱的な女性も悪くはないが……今はまだ、君の愛を受け入れる準備ができていない」
「……」
「だから、その物騒なオモチャを置いて、まずは僕とティータイムでも……」
ブォン!!
風切り音がした。
クロードの顔の横、数センチのところを、鉄球が通過した。
背後の壁に、ドゴォォォン!! と大穴が開く。
「ひぃっ!?」
クロードが椅子から転げ落ちた。
「……てめぇ、私の話をちっとも聞いてねぇな?」
シャルロット王女の髪が、怒りで逆立っているように見える。
「私は愛犬のアレクサンダーを探しに来たんだよ! この国の王宮に迷い込んだって占いで出たんだ!」
「い、犬ぅ!?」
「そうだ! 世界一可愛いコーギーだ! それを『愛を受け入れる』だの『ティータイム』だの……この私が、お前みたいな軟弱男に惚れるわけねぇだろバーカ!」
「バ、バカ……!?」
「三つ数える間にアレクサンダーを出せ! さもなくば、この城を更地にしてやる!」
「ひ、ひとつ!」
王女がいきなりカウントを始めた。
「ちょ、待て! 知らない! 僕は犬なんて……!」
「ふたーつ!」
鉄球がブンブンと唸りを上げる。
「衛兵! 衛兵ーーッ!!」
クロードが叫ぶが、衛兵たちも恐ろしくて近づけない。
隣国の王女を斬るわけにもいかず、かといって止める実力もない。
「みーーっ……つ!!」
「うわあああ死ぬうううう!!」
シャルロット王女が、必殺の一撃を放とうと踏み込んだ、その瞬間。
「待ちなさーーーいッ!!」
凛とした声が、ホールに響き渡った。
全員の動きが止まる。
入り口の扉が大きく開かれ、息を切らせた二人の人物が立っていた。
一人は、不機嫌そうな顔をした銀髪の公爵。
そしてもう一人は、小脇に「何か」を抱えた、赤髪の令嬢。
「ア、アンズ……!?」
クロードが救世主を見るような目で叫んだ。
私は乱れた呼吸を整え、王女に向かって、抱えていた「モフモフ」を突き出した。
「ストップ! 王女殿下! 振りかぶらないで! 人質……じゃなくて、犬質(けんじち)はこちらです!」
「わんっ!」
私の腕の中で、ハニーちゃん改め、アレクサンダーが元気に吠えた。
シャルロット王女の動きがピタリと止まる。
鬼の形相が一瞬で崩壊し、デレデレの笑顔になった。
「アレクサンダーーーッ!!」
王女が鉄球を放り投げ(床がまた割れた)、私に向かって猛ダッシュしてくる。
「無事だったのね! ママ心配したのよおおお!」
王女は私からアレクサンダーをひったくり、頬ずりを始めた。
「よしよし! 怖いおじさんに食べられたりしなかった? お腹空いてない? ああ、可愛い!」
「……」
「……」
私とシグルド様、そして床に這いつくばったクロード殿下は、その光景を無言で見つめた。
「……助かった」
クロード殿下がへなへなと脱力する。
「しかし、なぜアンズが? それに兄上も?」
私は冷ややかな目で元婚約者を見下ろした。
「説明は後です。それより殿下、お客様への対応がなっていませんね。部屋を破壊させた修理費、ご自身の小遣いから出してくださいね?」
「なっ……! こいつが勝手に!」
「外交問題にならなかっただけ感謝してください。……シグルド様、あとは任せました」
私は一歩下がって、シグルド様にバトンタッチした。
公爵様は「やれやれ」と肩をすくめ、未だ犬と戯れている王女に歩み寄った。
「シャルロット王女。愛犬が見つかって何よりだ」
「ん? ああ、シグルド公爵か。……ふん、礼を言うわ。この国にも、まともに仕事ができる人間がいたようね」
王女はチラリとクロードを見て、鼻で笑った。
「そこの金髪の案山子(かかし)とは大違いだわ」
「か、案山子だと!?」
「事実でしょう。犬一匹探せない、話も通じない。こんなのが次期国王なんて、この国も終わりね」
王女の容赦ない言葉が、クロードのプライドを粉々に砕く。
しかし、王女はすぐに私の方を向き、興味深そうに目を細めた。
「で? そこの赤髪の女」
「……はい」
「お前、いい顔してるな」
「は?」
「さっき入ってきた時の、絶妙なタイミングと声の張り。そして何より、このバカ王子を見る時の『ゴミを見るような目』。……気に入ったわ」
王女はニヤリと笑った。
「名前は?」
「アンズ・バーミリオンでございます」
「アンズか。覚えておくわ。……おい、褒美だ。受け取れ」
王女が指輪を外し、私に投げてよこした。
それは、とんでもなく巨大なルビーの指輪だった。
「こ、こんな高価なもの……!」
「私の機嫌を直した礼だ。……じゃあな! 帰るぞ、アレクサンダー!」
王女は嵐のように去っていった。
残されたのは、半壊した謁見の間と、プライドが崩壊した王子。
そして、高価な指輪を持って立ち尽くす私。
「……なんだったの、今のは」
「台風だな」
シグルド様がポツリと言った。
「だが、最悪の事態は回避できた。……よくやった、アンズ」
「褒めるならボーナスをください。精神的疲労が限界です」
私がため息をつくと、床からクロード殿下がよろよろと立ち上がった。
「ま、待てアンズ……!」
「はい?」
「帰るな……! 書類が……書類が終わらないんだ……! 手伝ってくれ……いや、全部やってくれ!」
殿下が涙目で縋り付いてきた。
私はその手を、持っていた扇子で「ペチッ」と叩き落とした。
「お断りします」
「なぜだ! 国のためだろう!」
「私はもう、ただの民間人ですので。公務員の仕事は管轄外です」
私はニッコリと笑い、シグルド様の腕を取った。
「行きましょう、公爵様。美味しいケーキを食べさせてくれる約束でしたよね?」
「ああ。予約してある」
「待て! 待ってくれぇぇぇ!」
クロード殿下の悲痛な叫びを背に、私たちは優雅に王宮を後にした。
だが、これで終わりではなかった。
あの「核弾頭」王女に気に入られたことが、後にとんでもない厄介事を引き寄せることになるのだった。
王宮の執務室は、地獄の様相を呈していた。
「ええい! 次から次へと! この書類の山はなんなのだ!」
クロード王太子は、机の上に積み上げられた書類の塔を崩し、インク壺をひっくり返した。
「殿下! それは北部の治水工事に関する決裁書です! インクを拭かないでください!」
「うるさい! 文字が小さすぎて読めん! 要約はどうした、要約は!」
側近の文官が青ざめた顔で答える。
「ですから、これまではアンズ様が全ての書類に目を通し、三行で分かる要約メモを付けてくださっていたのです。今はもう、アンズ様はいらっしゃいませんので……」
「チッ……! あの女、辞めるなら引き継ぎくらいしていけ!」
クロードは悪態をつき、椅子にふんぞり返った。
「大体、僕は王太子だぞ? こんな事務作業をするために生まれたのではない。もっとこう、国の未来を語るとか、舞踏会で愛を囁くとか、そういうのが仕事だろう!」
「いえ、王族の仕事の九割は地味な事務作業です」
文官の冷徹なツッコミが入る。
クロードは頭を抱えた。
婚約破棄をしてから一ヶ月。
自由で甘美な日々が訪れると思っていた。
愛しのミナとイチャイチャし、邪魔なアンズの小言を聞くこともない。
しかし現実は、過労死寸前のデスマーチだった。
アンズ・バーミリオン。
あの可愛げのない女が、どれほど異常な処理能力でこの国の行政を回していたか、クロードはようやく(嫌々ながら)理解し始めていた。
「もういい! 今日は終わりだ! ミナに会いに行く!」
クロードが逃亡を図ろうとしたその時。
バン!!
執務室の扉が乱暴に開かれた。
「殿下! 大変です!」
飛び込んできたのは、顔面蒼白の近衛兵だった。
「なんだ、騒々しい。ミナか? ミナが僕に会いに来てくれたのか?」
「違います! 隣国の……オリエント王国のシャルロット王女殿下が、アポなしで突撃してこられました!」
「ああん? シャルロット?」
クロードは眉をひそめた。
オリエント王国の第二王女。
噂では、絶世の美女だが性格に難があり、気に入らないことがあると魔法で爆破することから『爆炎の姫君』と呼ばれているらしい。
「ふん。あの国の王女が、僕になんの用だ?」
「そ、それが……非常に興奮されておりまして、『私の大事なアレクサンダーを返せ!』と……」
「アレクサンダー?」
クロードは首をかしげた。
「誰だそれは。男の名前か?」
「はあ、おそらく……」
クロードの中で、得意の脳内変換回路が火を吹いた。
(アレクサンダー……男の名前……返せ……?)
(つまり、彼女の恋人がこの国に亡命し、それを僕が匿っていると勘違いしているのか?)
(いや、待てよ。もしかして……)
クロードはニヤリと笑った。
(『アレクサンダー』というのは隠語で、本当は『私の心を奪ったクロード様、責任を取って』と言いたいのではないか?)
そうに違いない。
自分の美貌とカリスマ性は国境を越える。
隣国の王女が、婚約破棄でフリーになった自分を狙って押し掛けてきたのだ。
「ふっ、罪作りな男だな、僕は」
クロードは前髪をかき上げた。
「通せ。謁見の間で話を聞こう」
「えっ、よろしいのですか? 王女殿下は武器(モーニングスター)をお持ちですが……」
「構わん。愛の鞭というやつだろう」
「……はあ(ダメだこの人)」
◇ ◇ ◇
謁見の間。
重厚な扉が開くと同時に、殺気が吹き荒れた。
「おい、こら! そこの金髪のチャラ男!」
真っ赤なドレスに身を包み、身の丈ほどもある巨大なモーニングスター(鉄球)を引きずって現れたのは、シャルロット王女だった。
燃えるような赤髪に、釣り上がった猫目。
美少女だが、その目は完全に「獲物を狩る捕食者」のそれだ。
クロードは玉座(の横の王太子の椅子)に座り、優雅に足を組んだ。
「やあ、シャルロット王女。遠路はるばる、僕に会いに来てくれたのかな?」
「あぁ? 寝言は寝て言え。私の『アレクサンダー』はどこだ!」
王女が鉄球を床に叩きつける。
ゴガンッ!!
大理石の床にヒビが入った。
周囲の兵士たちが震え上がる中、クロードだけは余裕の笑みを崩さない。
「くくく……。そうカッカするな。君の熱い想いは伝わっているよ」
「は?」
「『アレクサンダー』……偉大な王の名だ。つまり君は、僕にそれだけの器を感じているということだろう?」
「何言ってんのコイツ」
王女が素で引いている。
だが、クロードは止まらない。
「残念だが、僕の心は今、傷ついているんだ。君のような情熱的な女性も悪くはないが……今はまだ、君の愛を受け入れる準備ができていない」
「……」
「だから、その物騒なオモチャを置いて、まずは僕とティータイムでも……」
ブォン!!
風切り音がした。
クロードの顔の横、数センチのところを、鉄球が通過した。
背後の壁に、ドゴォォォン!! と大穴が開く。
「ひぃっ!?」
クロードが椅子から転げ落ちた。
「……てめぇ、私の話をちっとも聞いてねぇな?」
シャルロット王女の髪が、怒りで逆立っているように見える。
「私は愛犬のアレクサンダーを探しに来たんだよ! この国の王宮に迷い込んだって占いで出たんだ!」
「い、犬ぅ!?」
「そうだ! 世界一可愛いコーギーだ! それを『愛を受け入れる』だの『ティータイム』だの……この私が、お前みたいな軟弱男に惚れるわけねぇだろバーカ!」
「バ、バカ……!?」
「三つ数える間にアレクサンダーを出せ! さもなくば、この城を更地にしてやる!」
「ひ、ひとつ!」
王女がいきなりカウントを始めた。
「ちょ、待て! 知らない! 僕は犬なんて……!」
「ふたーつ!」
鉄球がブンブンと唸りを上げる。
「衛兵! 衛兵ーーッ!!」
クロードが叫ぶが、衛兵たちも恐ろしくて近づけない。
隣国の王女を斬るわけにもいかず、かといって止める実力もない。
「みーーっ……つ!!」
「うわあああ死ぬうううう!!」
シャルロット王女が、必殺の一撃を放とうと踏み込んだ、その瞬間。
「待ちなさーーーいッ!!」
凛とした声が、ホールに響き渡った。
全員の動きが止まる。
入り口の扉が大きく開かれ、息を切らせた二人の人物が立っていた。
一人は、不機嫌そうな顔をした銀髪の公爵。
そしてもう一人は、小脇に「何か」を抱えた、赤髪の令嬢。
「ア、アンズ……!?」
クロードが救世主を見るような目で叫んだ。
私は乱れた呼吸を整え、王女に向かって、抱えていた「モフモフ」を突き出した。
「ストップ! 王女殿下! 振りかぶらないで! 人質……じゃなくて、犬質(けんじち)はこちらです!」
「わんっ!」
私の腕の中で、ハニーちゃん改め、アレクサンダーが元気に吠えた。
シャルロット王女の動きがピタリと止まる。
鬼の形相が一瞬で崩壊し、デレデレの笑顔になった。
「アレクサンダーーーッ!!」
王女が鉄球を放り投げ(床がまた割れた)、私に向かって猛ダッシュしてくる。
「無事だったのね! ママ心配したのよおおお!」
王女は私からアレクサンダーをひったくり、頬ずりを始めた。
「よしよし! 怖いおじさんに食べられたりしなかった? お腹空いてない? ああ、可愛い!」
「……」
「……」
私とシグルド様、そして床に這いつくばったクロード殿下は、その光景を無言で見つめた。
「……助かった」
クロード殿下がへなへなと脱力する。
「しかし、なぜアンズが? それに兄上も?」
私は冷ややかな目で元婚約者を見下ろした。
「説明は後です。それより殿下、お客様への対応がなっていませんね。部屋を破壊させた修理費、ご自身の小遣いから出してくださいね?」
「なっ……! こいつが勝手に!」
「外交問題にならなかっただけ感謝してください。……シグルド様、あとは任せました」
私は一歩下がって、シグルド様にバトンタッチした。
公爵様は「やれやれ」と肩をすくめ、未だ犬と戯れている王女に歩み寄った。
「シャルロット王女。愛犬が見つかって何よりだ」
「ん? ああ、シグルド公爵か。……ふん、礼を言うわ。この国にも、まともに仕事ができる人間がいたようね」
王女はチラリとクロードを見て、鼻で笑った。
「そこの金髪の案山子(かかし)とは大違いだわ」
「か、案山子だと!?」
「事実でしょう。犬一匹探せない、話も通じない。こんなのが次期国王なんて、この国も終わりね」
王女の容赦ない言葉が、クロードのプライドを粉々に砕く。
しかし、王女はすぐに私の方を向き、興味深そうに目を細めた。
「で? そこの赤髪の女」
「……はい」
「お前、いい顔してるな」
「は?」
「さっき入ってきた時の、絶妙なタイミングと声の張り。そして何より、このバカ王子を見る時の『ゴミを見るような目』。……気に入ったわ」
王女はニヤリと笑った。
「名前は?」
「アンズ・バーミリオンでございます」
「アンズか。覚えておくわ。……おい、褒美だ。受け取れ」
王女が指輪を外し、私に投げてよこした。
それは、とんでもなく巨大なルビーの指輪だった。
「こ、こんな高価なもの……!」
「私の機嫌を直した礼だ。……じゃあな! 帰るぞ、アレクサンダー!」
王女は嵐のように去っていった。
残されたのは、半壊した謁見の間と、プライドが崩壊した王子。
そして、高価な指輪を持って立ち尽くす私。
「……なんだったの、今のは」
「台風だな」
シグルド様がポツリと言った。
「だが、最悪の事態は回避できた。……よくやった、アンズ」
「褒めるならボーナスをください。精神的疲労が限界です」
私がため息をつくと、床からクロード殿下がよろよろと立ち上がった。
「ま、待てアンズ……!」
「はい?」
「帰るな……! 書類が……書類が終わらないんだ……! 手伝ってくれ……いや、全部やってくれ!」
殿下が涙目で縋り付いてきた。
私はその手を、持っていた扇子で「ペチッ」と叩き落とした。
「お断りします」
「なぜだ! 国のためだろう!」
「私はもう、ただの民間人ですので。公務員の仕事は管轄外です」
私はニッコリと笑い、シグルド様の腕を取った。
「行きましょう、公爵様。美味しいケーキを食べさせてくれる約束でしたよね?」
「ああ。予約してある」
「待て! 待ってくれぇぇぇ!」
クロード殿下の悲痛な叫びを背に、私たちは優雅に王宮を後にした。
だが、これで終わりではなかった。
あの「核弾頭」王女に気に入られたことが、後にとんでもない厄介事を引き寄せることになるのだった。
0
あなたにおすすめの小説
恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ
棗
恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。
王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。
長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。
婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。
ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。
濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。
※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています
次代の希望 愛されなかった王太子妃の愛
Rj
恋愛
王子様と出会い結婚したグレイス侯爵令嬢はおとぎ話のように「幸せにくらしましたとさ」という結末を迎えられなかった。愛し合っていると思っていたアーサー王太子から結婚式の二日前に愛していないといわれ、表向きは仲睦まじい王太子夫妻だったがアーサーにはグレイス以外に愛する人がいた。次代の希望とよばれた王太子妃の物語。
全十二話。(全十一話で投稿したものに一話加えました。2/6変更)
あなたに嘘を一つ、つきました
小蝶
恋愛
ユカリナは夫ディランと政略結婚して5年がたつ。まだまだ戦乱の世にあるこの国の騎士である夫は、今日も戦地で命をかけて戦っているはずだった。彼が戦地に赴いて3年。まだ戦争は終わっていないが、勝利と言う戦況が見えてきたと噂される頃、夫は帰って来た。隣に可愛らしい女性をつれて。そして私には何も告げぬまま、3日後には結婚式を挙げた。第2夫人となったシェリーを寵愛する夫。だから、私は愛するあなたに嘘を一つ、つきました…
最後の方にしか主人公目線がない迷作となりました。読みづらかったらご指摘ください。今さらどうにもなりませんが、努力します(`・ω・́)ゞ
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる