婚約破棄、心より感謝申し上げます!

苺マカロン

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時を少し戻し、アンズたちが「犬」を発見する数時間前。

王宮の執務室は、地獄の様相を呈していた。

「ええい! 次から次へと! この書類の山はなんなのだ!」

クロード王太子は、机の上に積み上げられた書類の塔を崩し、インク壺をひっくり返した。

「殿下! それは北部の治水工事に関する決裁書です! インクを拭かないでください!」

「うるさい! 文字が小さすぎて読めん! 要約はどうした、要約は!」

側近の文官が青ざめた顔で答える。

「ですから、これまではアンズ様が全ての書類に目を通し、三行で分かる要約メモを付けてくださっていたのです。今はもう、アンズ様はいらっしゃいませんので……」

「チッ……! あの女、辞めるなら引き継ぎくらいしていけ!」

クロードは悪態をつき、椅子にふんぞり返った。

「大体、僕は王太子だぞ? こんな事務作業をするために生まれたのではない。もっとこう、国の未来を語るとか、舞踏会で愛を囁くとか、そういうのが仕事だろう!」

「いえ、王族の仕事の九割は地味な事務作業です」

文官の冷徹なツッコミが入る。

クロードは頭を抱えた。

婚約破棄をしてから一ヶ月。

自由で甘美な日々が訪れると思っていた。

愛しのミナとイチャイチャし、邪魔なアンズの小言を聞くこともない。

しかし現実は、過労死寸前のデスマーチだった。

アンズ・バーミリオン。

あの可愛げのない女が、どれほど異常な処理能力でこの国の行政を回していたか、クロードはようやく(嫌々ながら)理解し始めていた。

「もういい! 今日は終わりだ! ミナに会いに行く!」

クロードが逃亡を図ろうとしたその時。

バン!!

執務室の扉が乱暴に開かれた。

「殿下! 大変です!」

飛び込んできたのは、顔面蒼白の近衛兵だった。

「なんだ、騒々しい。ミナか? ミナが僕に会いに来てくれたのか?」

「違います! 隣国の……オリエント王国のシャルロット王女殿下が、アポなしで突撃してこられました!」

「ああん? シャルロット?」

クロードは眉をひそめた。

オリエント王国の第二王女。

噂では、絶世の美女だが性格に難があり、気に入らないことがあると魔法で爆破することから『爆炎の姫君』と呼ばれているらしい。

「ふん。あの国の王女が、僕になんの用だ?」

「そ、それが……非常に興奮されておりまして、『私の大事なアレクサンダーを返せ!』と……」

「アレクサンダー?」

クロードは首をかしげた。

「誰だそれは。男の名前か?」

「はあ、おそらく……」

クロードの中で、得意の脳内変換回路が火を吹いた。

(アレクサンダー……男の名前……返せ……?)

(つまり、彼女の恋人がこの国に亡命し、それを僕が匿っていると勘違いしているのか?)

(いや、待てよ。もしかして……)

クロードはニヤリと笑った。

(『アレクサンダー』というのは隠語で、本当は『私の心を奪ったクロード様、責任を取って』と言いたいのではないか?)

そうに違いない。

自分の美貌とカリスマ性は国境を越える。

隣国の王女が、婚約破棄でフリーになった自分を狙って押し掛けてきたのだ。

「ふっ、罪作りな男だな、僕は」

クロードは前髪をかき上げた。

「通せ。謁見の間で話を聞こう」

「えっ、よろしいのですか? 王女殿下は武器(モーニングスター)をお持ちですが……」

「構わん。愛の鞭というやつだろう」

「……はあ(ダメだこの人)」

◇ ◇ ◇

謁見の間。

重厚な扉が開くと同時に、殺気が吹き荒れた。

「おい、こら! そこの金髪のチャラ男!」

真っ赤なドレスに身を包み、身の丈ほどもある巨大なモーニングスター(鉄球)を引きずって現れたのは、シャルロット王女だった。

燃えるような赤髪に、釣り上がった猫目。

美少女だが、その目は完全に「獲物を狩る捕食者」のそれだ。

クロードは玉座(の横の王太子の椅子)に座り、優雅に足を組んだ。

「やあ、シャルロット王女。遠路はるばる、僕に会いに来てくれたのかな?」

「あぁ? 寝言は寝て言え。私の『アレクサンダー』はどこだ!」

王女が鉄球を床に叩きつける。

ゴガンッ!!

大理石の床にヒビが入った。

周囲の兵士たちが震え上がる中、クロードだけは余裕の笑みを崩さない。

「くくく……。そうカッカするな。君の熱い想いは伝わっているよ」

「は?」

「『アレクサンダー』……偉大な王の名だ。つまり君は、僕にそれだけの器を感じているということだろう?」

「何言ってんのコイツ」

王女が素で引いている。

だが、クロードは止まらない。

「残念だが、僕の心は今、傷ついているんだ。君のような情熱的な女性も悪くはないが……今はまだ、君の愛を受け入れる準備ができていない」

「……」

「だから、その物騒なオモチャを置いて、まずは僕とティータイムでも……」

ブォン!!

風切り音がした。

クロードの顔の横、数センチのところを、鉄球が通過した。

背後の壁に、ドゴォォォン!! と大穴が開く。

「ひぃっ!?」

クロードが椅子から転げ落ちた。

「……てめぇ、私の話をちっとも聞いてねぇな?」

シャルロット王女の髪が、怒りで逆立っているように見える。

「私は愛犬のアレクサンダーを探しに来たんだよ! この国の王宮に迷い込んだって占いで出たんだ!」

「い、犬ぅ!?」

「そうだ! 世界一可愛いコーギーだ! それを『愛を受け入れる』だの『ティータイム』だの……この私が、お前みたいな軟弱男に惚れるわけねぇだろバーカ!」

「バ、バカ……!?」

「三つ数える間にアレクサンダーを出せ! さもなくば、この城を更地にしてやる!」

「ひ、ひとつ!」

王女がいきなりカウントを始めた。

「ちょ、待て! 知らない! 僕は犬なんて……!」

「ふたーつ!」

鉄球がブンブンと唸りを上げる。

「衛兵! 衛兵ーーッ!!」

クロードが叫ぶが、衛兵たちも恐ろしくて近づけない。

隣国の王女を斬るわけにもいかず、かといって止める実力もない。

「みーーっ……つ!!」

「うわあああ死ぬうううう!!」

シャルロット王女が、必殺の一撃を放とうと踏み込んだ、その瞬間。

「待ちなさーーーいッ!!」

凛とした声が、ホールに響き渡った。

全員の動きが止まる。

入り口の扉が大きく開かれ、息を切らせた二人の人物が立っていた。

一人は、不機嫌そうな顔をした銀髪の公爵。

そしてもう一人は、小脇に「何か」を抱えた、赤髪の令嬢。

「ア、アンズ……!?」

クロードが救世主を見るような目で叫んだ。

私は乱れた呼吸を整え、王女に向かって、抱えていた「モフモフ」を突き出した。

「ストップ! 王女殿下! 振りかぶらないで! 人質……じゃなくて、犬質(けんじち)はこちらです!」

「わんっ!」

私の腕の中で、ハニーちゃん改め、アレクサンダーが元気に吠えた。

シャルロット王女の動きがピタリと止まる。

鬼の形相が一瞬で崩壊し、デレデレの笑顔になった。

「アレクサンダーーーッ!!」

王女が鉄球を放り投げ(床がまた割れた)、私に向かって猛ダッシュしてくる。

「無事だったのね! ママ心配したのよおおお!」

王女は私からアレクサンダーをひったくり、頬ずりを始めた。

「よしよし! 怖いおじさんに食べられたりしなかった? お腹空いてない? ああ、可愛い!」

「……」

「……」

私とシグルド様、そして床に這いつくばったクロード殿下は、その光景を無言で見つめた。

「……助かった」

クロード殿下がへなへなと脱力する。

「しかし、なぜアンズが? それに兄上も?」

私は冷ややかな目で元婚約者を見下ろした。

「説明は後です。それより殿下、お客様への対応がなっていませんね。部屋を破壊させた修理費、ご自身の小遣いから出してくださいね?」

「なっ……! こいつが勝手に!」

「外交問題にならなかっただけ感謝してください。……シグルド様、あとは任せました」

私は一歩下がって、シグルド様にバトンタッチした。

公爵様は「やれやれ」と肩をすくめ、未だ犬と戯れている王女に歩み寄った。

「シャルロット王女。愛犬が見つかって何よりだ」

「ん? ああ、シグルド公爵か。……ふん、礼を言うわ。この国にも、まともに仕事ができる人間がいたようね」

王女はチラリとクロードを見て、鼻で笑った。

「そこの金髪の案山子(かかし)とは大違いだわ」

「か、案山子だと!?」

「事実でしょう。犬一匹探せない、話も通じない。こんなのが次期国王なんて、この国も終わりね」

王女の容赦ない言葉が、クロードのプライドを粉々に砕く。

しかし、王女はすぐに私の方を向き、興味深そうに目を細めた。

「で? そこの赤髪の女」

「……はい」

「お前、いい顔してるな」

「は?」

「さっき入ってきた時の、絶妙なタイミングと声の張り。そして何より、このバカ王子を見る時の『ゴミを見るような目』。……気に入ったわ」

王女はニヤリと笑った。

「名前は?」

「アンズ・バーミリオンでございます」

「アンズか。覚えておくわ。……おい、褒美だ。受け取れ」

王女が指輪を外し、私に投げてよこした。

それは、とんでもなく巨大なルビーの指輪だった。

「こ、こんな高価なもの……!」

「私の機嫌を直した礼だ。……じゃあな! 帰るぞ、アレクサンダー!」

王女は嵐のように去っていった。

残されたのは、半壊した謁見の間と、プライドが崩壊した王子。

そして、高価な指輪を持って立ち尽くす私。

「……なんだったの、今のは」

「台風だな」

シグルド様がポツリと言った。

「だが、最悪の事態は回避できた。……よくやった、アンズ」

「褒めるならボーナスをください。精神的疲労が限界です」

私がため息をつくと、床からクロード殿下がよろよろと立ち上がった。

「ま、待てアンズ……!」

「はい?」

「帰るな……! 書類が……書類が終わらないんだ……! 手伝ってくれ……いや、全部やってくれ!」

殿下が涙目で縋り付いてきた。

私はその手を、持っていた扇子で「ペチッ」と叩き落とした。

「お断りします」

「なぜだ! 国のためだろう!」

「私はもう、ただの民間人ですので。公務員の仕事は管轄外です」

私はニッコリと笑い、シグルド様の腕を取った。

「行きましょう、公爵様。美味しいケーキを食べさせてくれる約束でしたよね?」

「ああ。予約してある」

「待て! 待ってくれぇぇぇ!」

クロード殿下の悲痛な叫びを背に、私たちは優雅に王宮を後にした。

だが、これで終わりではなかった。

あの「核弾頭」王女に気に入られたことが、後にとんでもない厄介事を引き寄せることになるのだった。

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