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チュンチュン、と小鳥のさえずりが聞こえる。
爽やかな朝だ。
私は重いまぶたを開けた。
目の前には、白いシャツの布地がある。
そして、温かい体温と、規則正しい鼓動。
「……ん?」
状況を把握するのに数秒かかった。
私は今、誰かの腕の中にガッチリとホールドされている。
私の頭は、その人の胸板に乗っており、その人の顎が私の頭頂部に乗っている。
「……シグルド様?」
恐る恐る見上げると、そこには無防備な寝顔の「氷の公爵」がいた。
普段の鉄壁のポーカーフェイスはどこへやら、安らかな、まるで少年のように穏やかな顔だ。
(……睫毛、長っ)
見惚れている場合ではない。
彼の腕は私の腰に回されており、抜け出そうとしてもビクともしない。
昨夜、「手は出さん」と言っていた紳士はどこへ行ったのか。
「……おい、起きろ」
私は彼の頬をつついた。
「ん……アンズ……?」
シグルド様が薄目を開けた。
青い瞳がぼんやりと私を映し、それからゆっくりと焦点を結ぶ。
「……おはよう」
「おはようございます。……で、この状況の説明を求めても?」
私が自分の腰の腕を指差すと、シグルド様は数秒間フリーズし、パッと手を離した。
「……失敬。寝ぼけていたようだ」
「『私のもの』アピールが夢の中にまで侵食してません?」
「布団が狭かっただけだ」
シグルド様は咳払いをして、そっぽを向いた。
耳が赤い。
まあ、私も心臓がバクバクしているのでお互い様だ。
その時。
ドゴォォォン!!
部屋の窓ガラスが、盛大に砕け散った。
「なにごと!?」
私とシグルド様が飛び起きると、割れた窓から赤い影が飛び込んできた。
三階なのに。
「アンズーーッ!! 助けてーーッ!!」
着地と同時に転がり込んできたのは、シャルロット王女だった。
背中には愛犬アレクサンダーを背負い、目には涙を浮かべている。
「シャルロット王女!? どうしたんですか、朝っぱらから空襲ですか!?」
「緊急事態なの! 私の貞操と、アレクサンダーの命がかかってるのよ!」
王女は私のパジャマの裾を掴んで泣きついた。
「結婚させられるの! あの変態兄貴(ラファエル)のせいで!」
「結婚?」
シグルド様が眉をひそめた。
「政略結婚か。相手は?」
「国内の有力貴族、バルバロス公爵よ!」
バルバロス公爵。
私は聞き覚えのない名前に首をかしげたが、シグルド様は険しい顔になった。
「……『毒蛇』のバルバロスか。ラファエルの懐刀だな」
「そうなの! あいつ、金持ちで権力はあるけど、性格が最悪なのよ!」
シャルロット王女が訴える。
「私のことを『野蛮なじゃじゃ馬』って馬鹿にするし、何より……『犬は汚いから捨てろ。毛皮にしてやる』って言ったのよ!」
「わんっ!」
アレクサンダーが抗議するように吠えた。
「それは許せませんね」
私は即座に反応した。
犬を愛する者に悪い人はいないが、犬を毛皮にしようとする奴に人権はない。
「でも、シャルロット様なら、そのモーニングスターでお断りすればいいのでは?」
「それができないの!」
王女は悔しげに拳を叩きつけた。
「兄貴が言ったの。『もしこの縁談を断れば、腹いせにアンズを我が国の後宮に監禁する』って!」
「……はい?」
私に飛び火した。
「それに、『シグルド公爵にはスパイ容疑をかけて処刑する』とも言ってたわ!」
「……なるほど」
シグルド様の目が据わった。
部屋の温度が急降下する。
「ラファエルめ。私のパートナーと命を、交渉材料にするとはな」
つまり、こういうことだ。
ラファエル王子は、妹を自分の手駒(バルバロス公爵)と結婚させて国内の基盤を盤石にしつつ、それを拒否すれば私たちに危害を加えると脅しているのだ。
一石二鳥の卑劣な罠だ。
「アンズ、どうしよう……! 私が結婚すればアンズたちは助かるけど、アレクサンダーが毛皮に……! でも断ればアンズが監禁生活……!」
王女は板挟みになって泣いている。
根はいい子なのだ。
破壊神だけど。
私は王女の肩に手を置いた。
「泣かないでください、シャルロット様。誰も犠牲になる必要はありません」
「え?」
「向こうが卑劣な手を使うなら、こちらも『悪役』の手法で対抗するまでです」
私はニヤリと笑った。
「婚約破棄、あるいは縁談の白紙撤回。……私の専門分野ですわ」
「本当!?」
「ええ。ただし、物理攻撃(爆破)は禁止ですよ? あくまで『相手側から願い下げだ』と言わせる、精神的な攻撃で行きます」
「分かった! アンズ師匠についていくわ!」
「師匠はやめてください(クロードだけで十分です)」
こうして、緊急作戦会議が始まった。
**【作戦名:毒蛇の牙を抜け! 婚約ブレイク作戦】**
「まず、バルバロス公爵の弱点を探ります」
私はシグルド様に視線を送った。
彼は既に手帳を開いている。
「バルバロスは潔癖症だ。塵一つない部屋を好み、女性にも完璧な清潔さと従順さを求める」
「なるほど。潔癖症で、モラハラ気質と」
私はホワイトボード(持ち込み)に書き込んだ。
**対策1:生理的嫌悪感を煽る**
「シャルロット様。今日の午後、バルバロス公爵とのお茶会があるそうですね?」
「ええ、兄貴に無理やりセッティングされたわ」
「そこが戦場です。最高に『汚らしく』て『ガサツ』な女を演じてください」
「ガサツ? 任せて! いつも通りでいいのね?」
「……いつも以上にお願いします。例えば、スコーンを手づかみで粉々に砕きながら食べるとか、紅茶をズルズル音を立てて啜るとか」
「簡単ね!」
「そして、アレクサンダーも同席させましょう。彼が公爵の膝の上で『粗相』をすれば効果は倍増です」
「わんっ!(任せろ)」
アレクサンダーが自信満々に尻尾を振った。
「シグルド様、私たちは?」
「護衛として同席する。ラファエルが余計な茶々を入れないよう、私が釘を刺しておく」
「完璧な布陣ですね」
数時間後。
王宮のサンルームにて、地獄のお茶会が幕を開けた。
「やあ、シャルロット王女。今日も美しい……と言いたいところだが、その犬はなんだ?」
バルバロス公爵は、神経質そうな細面の男だった。
真っ白な手袋をし、空気中の埃を払うような仕草をしている。
「あら、ごきげんよう公爵。私の一部よ。文句ある?」
シャルロット王女は、泥だらけの足のアレクサンダーを抱きかかえ、公爵の真っ白なテーブルクロスの上にドンと置いた。
「ひぃっ!? な、何をするのですか! バイ菌が!」
「細かい男ねぇ。ほら、アレクサンダー、ブルブルしなさい」
「ぶるるるっ!」
アレクサンダーが体を震わせ、泥と抜け毛を撒き散らす。
公爵の紅茶に毛が入った。
「あああ! 私の最高級茶葉が!」
「あらごめんあそばせ~」
王女は悪びれもせず、スコーンを素手で鷲掴みにし、バリボリと音を立てて噛み砕いた。
食べかすが公爵の膝に飛ぶ。
「なっ……! なんというマナーの悪さだ! 王族としての品位はないのですか!」
「ないわよ。私、こういう『ワイルド』なスタイルが好きなの。結婚しても毎日こうするわよ?」
「し、信じられん……!」
バルバロス公爵の顔が青ざめていく。
作戦は順調だ。
しかし、ここで予想外の邪魔が入った。
「おや、賑やかだね」
ラファエル王子が現れたのだ。
彼は惨状を見ても動じず、むしろ楽しそうに笑った。
「バルバロス公。妹は少し活発だが、そこが魅力だろう? 君なら彼女を『教育』できると信じているよ」
「は、はい殿下……。しかし、この犬だけは……」
「犬は処分すればいい。結婚式の翌日にでもね」
ラファエル王子が冷酷に言い放つ。
シャルロット王女の目が座った。
モーニングスターに手が伸びそうになるのを、私が目配せで止める。
(まだです、シャルロット様。ここで暴れたら負けです)
私は一歩進み出た。
「失礼いたします、ラファエル殿下。バルバロス公爵」
「ん? なんだアンズ。君も混ざりたいのか?」
「いいえ。ただ、公爵様に一つお伝えしたいことがありまして」
私はバルバロス公爵に向き直り、もったいぶった態度で囁いた。
「実は……シャルロット王女には、公爵様には言えない『秘密の趣味』があるのです」
「秘密の趣味?」
公爵が怪訝な顔をする。
潔癖症の彼は、「秘密」という言葉に敏感だ。
「はい。王女殿下は……実は、無類の『爬虫類好き』でして」
「は、爬虫類?」
「ええ。寝室には無数の蛇やトカゲを放し飼いにされており、毎晩それらと添い寝をされているとか」
これは真っ赤な嘘だ。
だが、シャルロット王女は話を合わせてくれた。
「あ、バレちゃった? そうなのよ。特にヌルヌルした大蛇が可愛くてねぇ。結婚したら、公爵のベッドにも入れてあげるわね?」
「ひぃぃぃぃ!?」
バルバロス公爵が悲鳴を上げた。
「へ、蛇!? ヌルヌル!? 無理だ! 絶対に無理だ!」
「あら、遠慮しないで。毒はない……と思うわ。たぶん」
「毒!? 死ぬ! 私は死にたくない!」
バルバロス公爵はガタガタと震え、ラファエル王子にすがりついた。
「殿下! この話はなかったことに! 私は降ります! こんな野蛮で不潔で蛇女な王女とは結婚できません!」
「おい、バルバロス。私の命令が聞けないのか?」
「命あっての物種です! 私は帰らせていただきます!」
バルバロス公爵は脱兎のごとく逃げ出した。
潔癖症の彼にとって、「泥だらけの犬」と「ヌルヌルした蛇」のダブルパンチは致死量だったようだ。
「……チッ。使えない男だ」
ラファエル王子が舌打ちをした。
勝負ありだ。
「残念でしたね、お兄様」
シャルロット王女が、アレクサンダーを抱きしめて勝ち誇った。
「縁談は破談よ。これに懲りたら、私の結婚には口を出さないで!」
「ふん……。まあいい」
ラファエル王子は私の方を向き、妖しく目を細めた。
「今回は君の勝ちだ、アンズ。見事な嘘だったよ」
「お褒めにあずかり光栄です」
「だが、これで終わりではないぞ。私はまだ、君を諦めていない」
王子は不穏な言葉を残し、去っていった。
「やったー! ありがとうアンズ! さすが師匠!」
「だから師匠はやめてください」
王女に抱きつかれながら、私は安堵の息をついた。
とりあえず、隣国の王女を救うことには成功した。
そして、ラファエル王子の手駒を一つ減らすこともできた。
だが、王子の最後の言葉が引っかかる。
彼はまだ何か、奥の手を隠し持っている気がする。
そして、その予感は的中する。
翌日、私たちの前に現れたのは、まさかの人物――我が国から追ってきた、「筋肉の使者」だったのだ。
爽やかな朝だ。
私は重いまぶたを開けた。
目の前には、白いシャツの布地がある。
そして、温かい体温と、規則正しい鼓動。
「……ん?」
状況を把握するのに数秒かかった。
私は今、誰かの腕の中にガッチリとホールドされている。
私の頭は、その人の胸板に乗っており、その人の顎が私の頭頂部に乗っている。
「……シグルド様?」
恐る恐る見上げると、そこには無防備な寝顔の「氷の公爵」がいた。
普段の鉄壁のポーカーフェイスはどこへやら、安らかな、まるで少年のように穏やかな顔だ。
(……睫毛、長っ)
見惚れている場合ではない。
彼の腕は私の腰に回されており、抜け出そうとしてもビクともしない。
昨夜、「手は出さん」と言っていた紳士はどこへ行ったのか。
「……おい、起きろ」
私は彼の頬をつついた。
「ん……アンズ……?」
シグルド様が薄目を開けた。
青い瞳がぼんやりと私を映し、それからゆっくりと焦点を結ぶ。
「……おはよう」
「おはようございます。……で、この状況の説明を求めても?」
私が自分の腰の腕を指差すと、シグルド様は数秒間フリーズし、パッと手を離した。
「……失敬。寝ぼけていたようだ」
「『私のもの』アピールが夢の中にまで侵食してません?」
「布団が狭かっただけだ」
シグルド様は咳払いをして、そっぽを向いた。
耳が赤い。
まあ、私も心臓がバクバクしているのでお互い様だ。
その時。
ドゴォォォン!!
部屋の窓ガラスが、盛大に砕け散った。
「なにごと!?」
私とシグルド様が飛び起きると、割れた窓から赤い影が飛び込んできた。
三階なのに。
「アンズーーッ!! 助けてーーッ!!」
着地と同時に転がり込んできたのは、シャルロット王女だった。
背中には愛犬アレクサンダーを背負い、目には涙を浮かべている。
「シャルロット王女!? どうしたんですか、朝っぱらから空襲ですか!?」
「緊急事態なの! 私の貞操と、アレクサンダーの命がかかってるのよ!」
王女は私のパジャマの裾を掴んで泣きついた。
「結婚させられるの! あの変態兄貴(ラファエル)のせいで!」
「結婚?」
シグルド様が眉をひそめた。
「政略結婚か。相手は?」
「国内の有力貴族、バルバロス公爵よ!」
バルバロス公爵。
私は聞き覚えのない名前に首をかしげたが、シグルド様は険しい顔になった。
「……『毒蛇』のバルバロスか。ラファエルの懐刀だな」
「そうなの! あいつ、金持ちで権力はあるけど、性格が最悪なのよ!」
シャルロット王女が訴える。
「私のことを『野蛮なじゃじゃ馬』って馬鹿にするし、何より……『犬は汚いから捨てろ。毛皮にしてやる』って言ったのよ!」
「わんっ!」
アレクサンダーが抗議するように吠えた。
「それは許せませんね」
私は即座に反応した。
犬を愛する者に悪い人はいないが、犬を毛皮にしようとする奴に人権はない。
「でも、シャルロット様なら、そのモーニングスターでお断りすればいいのでは?」
「それができないの!」
王女は悔しげに拳を叩きつけた。
「兄貴が言ったの。『もしこの縁談を断れば、腹いせにアンズを我が国の後宮に監禁する』って!」
「……はい?」
私に飛び火した。
「それに、『シグルド公爵にはスパイ容疑をかけて処刑する』とも言ってたわ!」
「……なるほど」
シグルド様の目が据わった。
部屋の温度が急降下する。
「ラファエルめ。私のパートナーと命を、交渉材料にするとはな」
つまり、こういうことだ。
ラファエル王子は、妹を自分の手駒(バルバロス公爵)と結婚させて国内の基盤を盤石にしつつ、それを拒否すれば私たちに危害を加えると脅しているのだ。
一石二鳥の卑劣な罠だ。
「アンズ、どうしよう……! 私が結婚すればアンズたちは助かるけど、アレクサンダーが毛皮に……! でも断ればアンズが監禁生活……!」
王女は板挟みになって泣いている。
根はいい子なのだ。
破壊神だけど。
私は王女の肩に手を置いた。
「泣かないでください、シャルロット様。誰も犠牲になる必要はありません」
「え?」
「向こうが卑劣な手を使うなら、こちらも『悪役』の手法で対抗するまでです」
私はニヤリと笑った。
「婚約破棄、あるいは縁談の白紙撤回。……私の専門分野ですわ」
「本当!?」
「ええ。ただし、物理攻撃(爆破)は禁止ですよ? あくまで『相手側から願い下げだ』と言わせる、精神的な攻撃で行きます」
「分かった! アンズ師匠についていくわ!」
「師匠はやめてください(クロードだけで十分です)」
こうして、緊急作戦会議が始まった。
**【作戦名:毒蛇の牙を抜け! 婚約ブレイク作戦】**
「まず、バルバロス公爵の弱点を探ります」
私はシグルド様に視線を送った。
彼は既に手帳を開いている。
「バルバロスは潔癖症だ。塵一つない部屋を好み、女性にも完璧な清潔さと従順さを求める」
「なるほど。潔癖症で、モラハラ気質と」
私はホワイトボード(持ち込み)に書き込んだ。
**対策1:生理的嫌悪感を煽る**
「シャルロット様。今日の午後、バルバロス公爵とのお茶会があるそうですね?」
「ええ、兄貴に無理やりセッティングされたわ」
「そこが戦場です。最高に『汚らしく』て『ガサツ』な女を演じてください」
「ガサツ? 任せて! いつも通りでいいのね?」
「……いつも以上にお願いします。例えば、スコーンを手づかみで粉々に砕きながら食べるとか、紅茶をズルズル音を立てて啜るとか」
「簡単ね!」
「そして、アレクサンダーも同席させましょう。彼が公爵の膝の上で『粗相』をすれば効果は倍増です」
「わんっ!(任せろ)」
アレクサンダーが自信満々に尻尾を振った。
「シグルド様、私たちは?」
「護衛として同席する。ラファエルが余計な茶々を入れないよう、私が釘を刺しておく」
「完璧な布陣ですね」
数時間後。
王宮のサンルームにて、地獄のお茶会が幕を開けた。
「やあ、シャルロット王女。今日も美しい……と言いたいところだが、その犬はなんだ?」
バルバロス公爵は、神経質そうな細面の男だった。
真っ白な手袋をし、空気中の埃を払うような仕草をしている。
「あら、ごきげんよう公爵。私の一部よ。文句ある?」
シャルロット王女は、泥だらけの足のアレクサンダーを抱きかかえ、公爵の真っ白なテーブルクロスの上にドンと置いた。
「ひぃっ!? な、何をするのですか! バイ菌が!」
「細かい男ねぇ。ほら、アレクサンダー、ブルブルしなさい」
「ぶるるるっ!」
アレクサンダーが体を震わせ、泥と抜け毛を撒き散らす。
公爵の紅茶に毛が入った。
「あああ! 私の最高級茶葉が!」
「あらごめんあそばせ~」
王女は悪びれもせず、スコーンを素手で鷲掴みにし、バリボリと音を立てて噛み砕いた。
食べかすが公爵の膝に飛ぶ。
「なっ……! なんというマナーの悪さだ! 王族としての品位はないのですか!」
「ないわよ。私、こういう『ワイルド』なスタイルが好きなの。結婚しても毎日こうするわよ?」
「し、信じられん……!」
バルバロス公爵の顔が青ざめていく。
作戦は順調だ。
しかし、ここで予想外の邪魔が入った。
「おや、賑やかだね」
ラファエル王子が現れたのだ。
彼は惨状を見ても動じず、むしろ楽しそうに笑った。
「バルバロス公。妹は少し活発だが、そこが魅力だろう? 君なら彼女を『教育』できると信じているよ」
「は、はい殿下……。しかし、この犬だけは……」
「犬は処分すればいい。結婚式の翌日にでもね」
ラファエル王子が冷酷に言い放つ。
シャルロット王女の目が座った。
モーニングスターに手が伸びそうになるのを、私が目配せで止める。
(まだです、シャルロット様。ここで暴れたら負けです)
私は一歩進み出た。
「失礼いたします、ラファエル殿下。バルバロス公爵」
「ん? なんだアンズ。君も混ざりたいのか?」
「いいえ。ただ、公爵様に一つお伝えしたいことがありまして」
私はバルバロス公爵に向き直り、もったいぶった態度で囁いた。
「実は……シャルロット王女には、公爵様には言えない『秘密の趣味』があるのです」
「秘密の趣味?」
公爵が怪訝な顔をする。
潔癖症の彼は、「秘密」という言葉に敏感だ。
「はい。王女殿下は……実は、無類の『爬虫類好き』でして」
「は、爬虫類?」
「ええ。寝室には無数の蛇やトカゲを放し飼いにされており、毎晩それらと添い寝をされているとか」
これは真っ赤な嘘だ。
だが、シャルロット王女は話を合わせてくれた。
「あ、バレちゃった? そうなのよ。特にヌルヌルした大蛇が可愛くてねぇ。結婚したら、公爵のベッドにも入れてあげるわね?」
「ひぃぃぃぃ!?」
バルバロス公爵が悲鳴を上げた。
「へ、蛇!? ヌルヌル!? 無理だ! 絶対に無理だ!」
「あら、遠慮しないで。毒はない……と思うわ。たぶん」
「毒!? 死ぬ! 私は死にたくない!」
バルバロス公爵はガタガタと震え、ラファエル王子にすがりついた。
「殿下! この話はなかったことに! 私は降ります! こんな野蛮で不潔で蛇女な王女とは結婚できません!」
「おい、バルバロス。私の命令が聞けないのか?」
「命あっての物種です! 私は帰らせていただきます!」
バルバロス公爵は脱兎のごとく逃げ出した。
潔癖症の彼にとって、「泥だらけの犬」と「ヌルヌルした蛇」のダブルパンチは致死量だったようだ。
「……チッ。使えない男だ」
ラファエル王子が舌打ちをした。
勝負ありだ。
「残念でしたね、お兄様」
シャルロット王女が、アレクサンダーを抱きしめて勝ち誇った。
「縁談は破談よ。これに懲りたら、私の結婚には口を出さないで!」
「ふん……。まあいい」
ラファエル王子は私の方を向き、妖しく目を細めた。
「今回は君の勝ちだ、アンズ。見事な嘘だったよ」
「お褒めにあずかり光栄です」
「だが、これで終わりではないぞ。私はまだ、君を諦めていない」
王子は不穏な言葉を残し、去っていった。
「やったー! ありがとうアンズ! さすが師匠!」
「だから師匠はやめてください」
王女に抱きつかれながら、私は安堵の息をついた。
とりあえず、隣国の王女を救うことには成功した。
そして、ラファエル王子の手駒を一つ減らすこともできた。
だが、王子の最後の言葉が引っかかる。
彼はまだ何か、奥の手を隠し持っている気がする。
そして、その予感は的中する。
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