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「……『貴国の公爵による、我が国の第一王位継承者に対する非人道的な扱い(具体的には、急速冷凍および鮮魚扱いでの輸送)に対し、厳重に抗議する』」
執務室で、ルーアは隣国から届いた抗議文を無感情に読み上げた。
その横で、クラウスが不機嫌そうに腕を組んでいる。
「事実を書いて送っただけだ。『要冷蔵』のシールも貼ってやった。むしろ感謝してほしいくらいだな」
「ええ、品質管理としては完璧でした。ですが、向こうの言い分としては、『王族を荷物扱いするな』ということのようです」
ルーアは手紙の続きに目を走らせる。
「……つきましては、事実確認および、ルーア嬢が不当な労働を強いられていないか調査するため、正式な『王立視察団』を派遣する。なお、団員は総勢百名。滞在期間は二週間とする」
読み終えたルーアは、手紙をペラリと机に置いた。
「……なるほど。意図が透けて見えますね」
「意図?」
「嫌がらせです。総勢百名もの大所帯で押しかけ、食費と滞在費で公爵家の財政を圧迫し、さらに粗探しをして慰謝料を踏み倒そうという魂胆でしょう」
ルーアは冷ややかに分析した。
冬のドラグーン領において、百名分の食料と燃料を急遽確保するのは容易ではない。
普通ならパニックになるところだ。
だが、ルーアの目は怪しく輝いていた。
「……面白い」
彼女は愛用の計算機(クラウスからのプレゼント)を取り出し、高速でキーを叩き始めた。
コトコトコトコトッ!
「食費、一人当たり一日金貨一枚として……宿泊費、光熱費、サービス料……ふむ。閣下、これはチャンスです」
「チャンス?」
「はい。彼らを『視察団』として迎えるから経費がかかるのです。彼らを『富裕層向け冬季限定ツアーのお客様』として処理すれば、莫大な観光収入が見込めます」
ルーアはニヤリと笑った。
「タダで飯が食えると思っている彼らから、骨の髄まで毟り取ってやりましょう。これは『おもてなし』という名の集金イベントです」
クラウスは呆気にとられた後、楽しそうに口角を上げた。
「……君は本当に、転んでもタダでは起きないな。いいだろう、許可する。思う存分『おもてなし』してやれ」
「承知いたしました。では、迎撃……いえ、歓迎準備に入ります!」
***
翌日。
ドラグーン公爵城の正門前に、豪華絢爛な馬車の列が到着した。
先頭の馬車から降りてきたのは、分厚い毛皮にくるまり、鼻水をすすっているロランド王子だ。
「はっくしょん! さ、寒い……なんだこの国は……冷蔵庫の中か……!」
前回の『冷凍刑』がトラウマになっているのか、彼は青ざめた顔で周囲を警戒している。
その横には、同じくダルマのように着ぶくれたミナ。
「ロランド様ぁ、私、お鼻が赤くなってないですかぁ? 可愛くないですかぁ?」
そして、彼らの後ろから、神経質そうな眼鏡をかけた痩せぎすの男が現れた。
隣国の財務大臣、ガミール伯爵だ。
彼は手に持ったチェックシートを見ながら、嫌味ったらしく呟いた。
「ふん……城壁に苔が生えている。減点1。門番の敬礼の角度が二度ずれている。減点1……」
「ガミール、頼んだぞ。あの生意気な女の弱みを握り、借金を帳消しにするのだ!」
「お任せください、殿下。私の目は誤魔化せません。どんな些細な不正も見逃さず、徹底的に糾弾してやりますよ」
ガミール伯爵は、重箱の隅をつつくことに関しては右に出る者はいないと言われる、通称『ネチネチ伯爵』である。
一行が城門をくぐろうとした、その時だった。
「ようこそお越しくださいました、皆様!」
凛とした声が響き渡る。
城のエントランスには、整列した使用人たちと、その中心で完璧な笑顔を浮かべるルーアの姿があった。
その笑顔は、かつてロランドに向けられていた冷ややかなものではなく、まるで高級ホテルのコンシェルジュのような、洗練された『営業スマイル』だった。
「ル、ルーア!?」
ロランドが後ずさる。
「な、なんだその愛想の良さは……! 何か罠があるのか!?」
「まあ、殿下。元婚約者の里帰りを歓迎するのは当然ではありませんか。さあ、皆様。長旅でお疲れでしょう。まずは温かいお飲み物をご用意しております」
ルーアが手を叩くと、メイドたちが湯気の立つカップを載せたワゴンを押してきた。
甘いココアの香りが漂う。
極寒の中、震えていた視察団員たちの喉がゴクリと鳴る。
「ふん、どうせ毒でも入っているのだろう!」
ガミール伯爵が疑り深く言うが、若い団員の一人が耐えきれずにカップに手を伸ばした。
「い、いただきます……う、美味い!」
「なんだこのコクは! 冷えた体に染み渡る!」
「最高級のカカオと、この領地特産の濃厚ミルクですね!?」
次々とカップに手が伸びる。ロランドもミナも、誘惑に勝てずに口をつけた。
「うっ、美味い……! くそっ、悔しいが温まる!」
その様子を見て、ルーアは心の中で電卓を弾いた。
(よし。ウェルカムドリンク、一杯につき銀貨五枚。原価率10%だから……まずは一勝)
「さて、ガミール様とお見受けします。滞在中のスケジュールについてご説明を――」
「待て!」
ガミール伯爵がココアを飲み干した後、カップを乱暴に置いてルーアを睨みつけた。
「我々は遊びに来たのではない! 貴様の『不当労働』の実態を暴きに来たのだ! まずは帳簿を見せろ! それから労働環境の視察だ!」
「ええ、もちろんご案内します。ですが、まずはチェックインをお願いいたします」
「チェックインだと?」
「はい。当公爵家では、セキュリティ管理のため、入館者全員に『入館証』の発行と、滞在契約書へのサインをお願いしております」
ルーアは事務官に目配せし、人数分の書類とペンを配らせた。
そこには細かい字でびっしりと規約が書かれている。
「なんだこの細かい字は……読むのが面倒だ!」
ロランドが文句を言う。
「形式的なものですので。サインをいただけないと、城内への立ち入りは許可できません。外でお待ちになりますか? 現在の気温はマイナス十度ですが」
「ぐぬぬ……わかった、書けばいいんだろう!」
ロランドたちは寒さに負け、内容をよく読みもせずにサインをした。
ルーアはその書類を回収し、にっこりと微笑んだ。
(契約完了。第15条『城内で提供される全てのサービスは有償とし、退去時に一括精算する』……しっかりと同意いただきましたわよ)
「では、ご案内いたします。こちらへどうぞ」
ルーアは彼らを城内へと導いた。
廊下は塵一つなく磨き上げられ、窓ガラスは曇りなく輝いている。
ガミール伯爵は目を皿のようにしてアラを探した。
「……ふん、掃除は行き届いているようだな。だが、これはどうだ?」
彼は通りがかったメイドを呼び止めた。
「おい、そこの者。正直に答えろ。この女(ルーア)に、理不尽な命令をされていないか? 休みもなく働かされているのではないか?」
メイドはきょとんとして、それからパッと顔を輝かせた。
「いいえ! ルーア様のおかげで、残業がなくなりました! 以前は深夜までかかっていた洗濯も、新しい動線と乾燥魔導具の導入で午前中に終わるんです!」
「な、なに?」
「しかも、空いた時間でスキルアップ研修まで受けさせてもらえて……今は簿記3級の勉強中です!」
メイドは嬉々として語り、去っていった。
「……なんだあれは。洗脳か?」
ガミールが呆然とする。
「いいえ、業務改善の成果です」
ルーアは涼しい顔で答えた。
「さあ、次は執務室へご案内します。そこに全ての帳簿がございます」
一行は執務室へと向かった。
そこでは、氷の魔導公爵クラウスが、魔王のような威圧感で待ち構えていた。
「……よく来たな、羽虫ども」
ドスの利いた声。
ロランドが「ひいっ」と悲鳴を上げてミナの後ろに隠れる。
「か、閣下! 我々は公式な視察団だぞ! 手出しは無用だ!」
「安心しろ。ルーアから『お客様』として扱うよう言われている。……金払いのいいカモとしてな」
クラウスが不敵に笑う。
ガミール伯爵は脂汗を拭いながら、机の上に積まれた帳簿に飛びついた。
「こ、これか! 必ずボロを出してやる!」
彼は鬼の形相で帳簿をめくり始めた。
「……む? なんだこの計算の速さは。ミスがない……」
「……経費の分類が完璧すぎる。使途不明金がゼロだと?」
「……前年比200%の黒字……どうなっているんだ!?」
めくればめくるほど、ガミール伯爵の顔色が悪くなっていく。
叩いても埃が出ないどころか、叩けば叩くほど「健全経営」という黄金の輝きが溢れ出してくるのだ。
「そんな馬鹿な……! これほど完璧な帳簿、見たことがない!」
「お褒めいただき光栄です」
ルーアは隣で紅茶(有料)を飲みながら答えた。
「私が担当になってから、全ての数字を洗い直しましたので。不正や無駄を見つけるのは、雪原でダイヤモンドを見つけるより難しいですよ」
「くっ……! だが、まだ諦めんぞ! 数字が合っていても、現場に不満があるはずだ!」
ガミール伯爵は帳簿を閉じ、叫んだ。
「食事だ! 食事を見せろ! どうせ粗末な食事を出して、経費を浮かしているのだろう!」
「お食事ですね。では、今夜の歓迎晩餐会にて、当家の実力をお見せしましょう」
ルーアは自信たっぷりに言った。
「ただし、視察の一環とはいえ、材料費は実費請求させていただきますが」
「ふん、構わん! 不味かったらタダにしろよ!」
ロランドが吠える。
その夜。
大広間で開かれた晩餐会は、彼らの予想を遥かに超えるものだった。
「な、なんだこの料理は……!」
テーブルに並ぶのは、ドラグーン領の特産品をふんだんに使った極上料理の数々。
『雪花牛のロースト・氷結熟成ソース添え』
『極寒甘エビのビスク』
『ホワイトアスパラガスのムース』
どれも、王都の三ツ星レストランでもお目にかかれないレベルの逸品だ。
「美味い……美味すぎる……!」
「この牛、口の中で溶けるぞ!」
「野菜が甘い! なんだこれは!」
視察団員たちは、敵地であることを忘れて貪り食った。
ロランドもミナも、無言で肉を頬張っている。
ルーアはその様子を、壁際でワイングラスを片手に見守っていた。
「……計画通りですね」
「ああ。よく食うな、あいつら」
隣に立ったクラウスが呆れたように言う。
「あの牛肉、市場に出せない規格外品だろう?」
「ええ。味は最高級ですが、形が不揃いなため安値で取引されていたものです。それを一流シェフの腕で加工すれば、この通り」
ルーアはグラスを揺らした。
「彼らが食べれば食べるほど、在庫処分が進み、さらに『視察経費』として定価の三倍を請求できます」
「……君は本当に、悪魔的だな」
「商売上手と言ってください」
宴が進み、視察団員たちが満腹感とアルコールで幸福感に包まれた頃。
ルーアは静かに、しかし確実に『請求書』の準備を始めていた。
「さて、明日は『雪山サバイバル体験(遭難救助費用別途)』をご案内しましょうか。それとも『魔導鉱山見学(お土産購入必須)』になさいますか?」
ルーアの手帳には、彼らから搾り取るための完璧なプランが、向こう二週間分びっしりと書き込まれていた。
ロランドたちはまだ知らない。
この「美味しい歓迎」が、全てルーアの手のひらの上での出来事であり、最終日に突きつけられる請求書の桁が、彼らの寿命を縮めることになるということを。
「ふふっ……稼ぎ時ですね、閣下」
「お手柔らかに頼むよ。彼らがショック死しない程度にな」
ドラグーン公爵城の夜は、カモたちの笑い声と、ルーアの電卓の音と共に更けていった。
執務室で、ルーアは隣国から届いた抗議文を無感情に読み上げた。
その横で、クラウスが不機嫌そうに腕を組んでいる。
「事実を書いて送っただけだ。『要冷蔵』のシールも貼ってやった。むしろ感謝してほしいくらいだな」
「ええ、品質管理としては完璧でした。ですが、向こうの言い分としては、『王族を荷物扱いするな』ということのようです」
ルーアは手紙の続きに目を走らせる。
「……つきましては、事実確認および、ルーア嬢が不当な労働を強いられていないか調査するため、正式な『王立視察団』を派遣する。なお、団員は総勢百名。滞在期間は二週間とする」
読み終えたルーアは、手紙をペラリと机に置いた。
「……なるほど。意図が透けて見えますね」
「意図?」
「嫌がらせです。総勢百名もの大所帯で押しかけ、食費と滞在費で公爵家の財政を圧迫し、さらに粗探しをして慰謝料を踏み倒そうという魂胆でしょう」
ルーアは冷ややかに分析した。
冬のドラグーン領において、百名分の食料と燃料を急遽確保するのは容易ではない。
普通ならパニックになるところだ。
だが、ルーアの目は怪しく輝いていた。
「……面白い」
彼女は愛用の計算機(クラウスからのプレゼント)を取り出し、高速でキーを叩き始めた。
コトコトコトコトッ!
「食費、一人当たり一日金貨一枚として……宿泊費、光熱費、サービス料……ふむ。閣下、これはチャンスです」
「チャンス?」
「はい。彼らを『視察団』として迎えるから経費がかかるのです。彼らを『富裕層向け冬季限定ツアーのお客様』として処理すれば、莫大な観光収入が見込めます」
ルーアはニヤリと笑った。
「タダで飯が食えると思っている彼らから、骨の髄まで毟り取ってやりましょう。これは『おもてなし』という名の集金イベントです」
クラウスは呆気にとられた後、楽しそうに口角を上げた。
「……君は本当に、転んでもタダでは起きないな。いいだろう、許可する。思う存分『おもてなし』してやれ」
「承知いたしました。では、迎撃……いえ、歓迎準備に入ります!」
***
翌日。
ドラグーン公爵城の正門前に、豪華絢爛な馬車の列が到着した。
先頭の馬車から降りてきたのは、分厚い毛皮にくるまり、鼻水をすすっているロランド王子だ。
「はっくしょん! さ、寒い……なんだこの国は……冷蔵庫の中か……!」
前回の『冷凍刑』がトラウマになっているのか、彼は青ざめた顔で周囲を警戒している。
その横には、同じくダルマのように着ぶくれたミナ。
「ロランド様ぁ、私、お鼻が赤くなってないですかぁ? 可愛くないですかぁ?」
そして、彼らの後ろから、神経質そうな眼鏡をかけた痩せぎすの男が現れた。
隣国の財務大臣、ガミール伯爵だ。
彼は手に持ったチェックシートを見ながら、嫌味ったらしく呟いた。
「ふん……城壁に苔が生えている。減点1。門番の敬礼の角度が二度ずれている。減点1……」
「ガミール、頼んだぞ。あの生意気な女の弱みを握り、借金を帳消しにするのだ!」
「お任せください、殿下。私の目は誤魔化せません。どんな些細な不正も見逃さず、徹底的に糾弾してやりますよ」
ガミール伯爵は、重箱の隅をつつくことに関しては右に出る者はいないと言われる、通称『ネチネチ伯爵』である。
一行が城門をくぐろうとした、その時だった。
「ようこそお越しくださいました、皆様!」
凛とした声が響き渡る。
城のエントランスには、整列した使用人たちと、その中心で完璧な笑顔を浮かべるルーアの姿があった。
その笑顔は、かつてロランドに向けられていた冷ややかなものではなく、まるで高級ホテルのコンシェルジュのような、洗練された『営業スマイル』だった。
「ル、ルーア!?」
ロランドが後ずさる。
「な、なんだその愛想の良さは……! 何か罠があるのか!?」
「まあ、殿下。元婚約者の里帰りを歓迎するのは当然ではありませんか。さあ、皆様。長旅でお疲れでしょう。まずは温かいお飲み物をご用意しております」
ルーアが手を叩くと、メイドたちが湯気の立つカップを載せたワゴンを押してきた。
甘いココアの香りが漂う。
極寒の中、震えていた視察団員たちの喉がゴクリと鳴る。
「ふん、どうせ毒でも入っているのだろう!」
ガミール伯爵が疑り深く言うが、若い団員の一人が耐えきれずにカップに手を伸ばした。
「い、いただきます……う、美味い!」
「なんだこのコクは! 冷えた体に染み渡る!」
「最高級のカカオと、この領地特産の濃厚ミルクですね!?」
次々とカップに手が伸びる。ロランドもミナも、誘惑に勝てずに口をつけた。
「うっ、美味い……! くそっ、悔しいが温まる!」
その様子を見て、ルーアは心の中で電卓を弾いた。
(よし。ウェルカムドリンク、一杯につき銀貨五枚。原価率10%だから……まずは一勝)
「さて、ガミール様とお見受けします。滞在中のスケジュールについてご説明を――」
「待て!」
ガミール伯爵がココアを飲み干した後、カップを乱暴に置いてルーアを睨みつけた。
「我々は遊びに来たのではない! 貴様の『不当労働』の実態を暴きに来たのだ! まずは帳簿を見せろ! それから労働環境の視察だ!」
「ええ、もちろんご案内します。ですが、まずはチェックインをお願いいたします」
「チェックインだと?」
「はい。当公爵家では、セキュリティ管理のため、入館者全員に『入館証』の発行と、滞在契約書へのサインをお願いしております」
ルーアは事務官に目配せし、人数分の書類とペンを配らせた。
そこには細かい字でびっしりと規約が書かれている。
「なんだこの細かい字は……読むのが面倒だ!」
ロランドが文句を言う。
「形式的なものですので。サインをいただけないと、城内への立ち入りは許可できません。外でお待ちになりますか? 現在の気温はマイナス十度ですが」
「ぐぬぬ……わかった、書けばいいんだろう!」
ロランドたちは寒さに負け、内容をよく読みもせずにサインをした。
ルーアはその書類を回収し、にっこりと微笑んだ。
(契約完了。第15条『城内で提供される全てのサービスは有償とし、退去時に一括精算する』……しっかりと同意いただきましたわよ)
「では、ご案内いたします。こちらへどうぞ」
ルーアは彼らを城内へと導いた。
廊下は塵一つなく磨き上げられ、窓ガラスは曇りなく輝いている。
ガミール伯爵は目を皿のようにしてアラを探した。
「……ふん、掃除は行き届いているようだな。だが、これはどうだ?」
彼は通りがかったメイドを呼び止めた。
「おい、そこの者。正直に答えろ。この女(ルーア)に、理不尽な命令をされていないか? 休みもなく働かされているのではないか?」
メイドはきょとんとして、それからパッと顔を輝かせた。
「いいえ! ルーア様のおかげで、残業がなくなりました! 以前は深夜までかかっていた洗濯も、新しい動線と乾燥魔導具の導入で午前中に終わるんです!」
「な、なに?」
「しかも、空いた時間でスキルアップ研修まで受けさせてもらえて……今は簿記3級の勉強中です!」
メイドは嬉々として語り、去っていった。
「……なんだあれは。洗脳か?」
ガミールが呆然とする。
「いいえ、業務改善の成果です」
ルーアは涼しい顔で答えた。
「さあ、次は執務室へご案内します。そこに全ての帳簿がございます」
一行は執務室へと向かった。
そこでは、氷の魔導公爵クラウスが、魔王のような威圧感で待ち構えていた。
「……よく来たな、羽虫ども」
ドスの利いた声。
ロランドが「ひいっ」と悲鳴を上げてミナの後ろに隠れる。
「か、閣下! 我々は公式な視察団だぞ! 手出しは無用だ!」
「安心しろ。ルーアから『お客様』として扱うよう言われている。……金払いのいいカモとしてな」
クラウスが不敵に笑う。
ガミール伯爵は脂汗を拭いながら、机の上に積まれた帳簿に飛びついた。
「こ、これか! 必ずボロを出してやる!」
彼は鬼の形相で帳簿をめくり始めた。
「……む? なんだこの計算の速さは。ミスがない……」
「……経費の分類が完璧すぎる。使途不明金がゼロだと?」
「……前年比200%の黒字……どうなっているんだ!?」
めくればめくるほど、ガミール伯爵の顔色が悪くなっていく。
叩いても埃が出ないどころか、叩けば叩くほど「健全経営」という黄金の輝きが溢れ出してくるのだ。
「そんな馬鹿な……! これほど完璧な帳簿、見たことがない!」
「お褒めいただき光栄です」
ルーアは隣で紅茶(有料)を飲みながら答えた。
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ガミール伯爵は帳簿を閉じ、叫んだ。
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「ただし、視察の一環とはいえ、材料費は実費請求させていただきますが」
「ふん、構わん! 不味かったらタダにしろよ!」
ロランドが吠える。
その夜。
大広間で開かれた晩餐会は、彼らの予想を遥かに超えるものだった。
「な、なんだこの料理は……!」
テーブルに並ぶのは、ドラグーン領の特産品をふんだんに使った極上料理の数々。
『雪花牛のロースト・氷結熟成ソース添え』
『極寒甘エビのビスク』
『ホワイトアスパラガスのムース』
どれも、王都の三ツ星レストランでもお目にかかれないレベルの逸品だ。
「美味い……美味すぎる……!」
「この牛、口の中で溶けるぞ!」
「野菜が甘い! なんだこれは!」
視察団員たちは、敵地であることを忘れて貪り食った。
ロランドもミナも、無言で肉を頬張っている。
ルーアはその様子を、壁際でワイングラスを片手に見守っていた。
「……計画通りですね」
「ああ。よく食うな、あいつら」
隣に立ったクラウスが呆れたように言う。
「あの牛肉、市場に出せない規格外品だろう?」
「ええ。味は最高級ですが、形が不揃いなため安値で取引されていたものです。それを一流シェフの腕で加工すれば、この通り」
ルーアはグラスを揺らした。
「彼らが食べれば食べるほど、在庫処分が進み、さらに『視察経費』として定価の三倍を請求できます」
「……君は本当に、悪魔的だな」
「商売上手と言ってください」
宴が進み、視察団員たちが満腹感とアルコールで幸福感に包まれた頃。
ルーアは静かに、しかし確実に『請求書』の準備を始めていた。
「さて、明日は『雪山サバイバル体験(遭難救助費用別途)』をご案内しましょうか。それとも『魔導鉱山見学(お土産購入必須)』になさいますか?」
ルーアの手帳には、彼らから搾り取るための完璧なプランが、向こう二週間分びっしりと書き込まれていた。
ロランドたちはまだ知らない。
この「美味しい歓迎」が、全てルーアの手のひらの上での出来事であり、最終日に突きつけられる請求書の桁が、彼らの寿命を縮めることになるということを。
「ふふっ……稼ぎ時ですね、閣下」
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