呼ばれても戻りません!婚約破棄された悪役令嬢ですので。

八雲

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「シロ、貴方って本当に『無職』なの?」

ある日の午後。
リビングで優雅に紅茶を飲んでいたシロに向かって、私は素朴な疑問を投げかけた。

彼はカップを置く所作一つとっても、洗練されすぎている。
背筋はピンと伸び、指先の動きは滑らか。
とても行き倒れていた遭難者とは思えない。

「……なぜだ?」

シロが眉をひそめる。

「だって、そのカップの持ち方。王族や高位貴族にしか教えられないマナーよ? それに昨日の夜、冒険者たちが持ってきた新聞を読んで、『北方の関税率が0.5%上がったか。愚策だな』って呟いていたじゃない」

私はズバリ指摘した。

「貴方、実は……」

シロの身体がピクリと固まる。
横で控えていたセバスも、気配を消したまま眼鏡を光らせた。

(バレたか……?)

シロの瞳に緊張が走る。
もし正体がバレれば、この気楽な生活は終わる。
「隣国皇帝」として扱われれば、もう二度と気軽にドラゴンステーキをねだることはできないだろう。

私は人差し指を突きつけた。

「貴方、実は……『没落貴族の執事』だったんでしょう!?」

「…………は?」

シロがポカンと口を開けた。
セバスが「ブッ」と吹き出しそうになるのを堪えて、顔を背ける。

「だって、その気配り! その知識! きっと、どこかの名家にお仕えしていたけど、お家が取り潰されて職を失ったのね……。辛かったわね、シロ」

私はホロリと涙を拭った。

「安心して。ここなら貴方の過去なんて関係ないわ。好きなだけ『執事ごっこ』……じゃなくて、くつろいでいいのよ」

「……あ、ああ。そうか。バレてしまっては仕方がない」

シロは安堵の溜息をつくと同時に、苦笑いを浮かべた。

「そうだ。私は……ある高貴な方に仕えていたが、色々あって職を辞したのだ」

「やっぱり! 私の目は誤魔化せないわよ」

私はドヤ顔で胸を張った。
筋肉と直感だけは鋭いのだ。

「では、元執事さん。今日の洗濯物を干すのを手伝ってくれる?」

「……承知した。お嬢様」

シロは恭しく頭を下げた。
その姿が様になりすぎていて、私は「やっぱり元プロね!」と感心するばかりだった。

***

その夜。
私は早々に眠りにつき(筋肉の超回復のためには八時間睡眠が必須だ)、深夜のリビングには静寂が満ちていた。

暖炉の火がパチパチと爆ぜる中、シロが一人、ソファでワイングラスを傾けている。

「……『元執事』とは。彼女の想像力には驚かされる」

「左様でございますね、陛下」

闇の中から、セバスが音もなく現れた。
手には新しいワインボトルを持っている。

「セバスチャン。いつから気づいていた?」

「最初にお拾いした時からでございます。その剣の紋章、そして纏っている覇気。我が国のアレック殿下とは比べ物にならない『王者の風格』……隣国の若き皇帝、シリウス・グランディ陛下とお見受けします」

セバスは静かにワインを注いだ。

シロ――シリウス皇帝は、自嘲気味に笑った。

「参ったな。あの『最強の淑女』の側近だけあって、食えない老人だ」

「お褒めに預かり光栄です。……して、いつまで『シロ』を演じられるおつもりで?」

セバスの問いに、シリウスは暖炉の炎を見つめた。

「国では、私の影武者がうまくやっている。宰相には『長期休暇を取る』と伝えてあるから、あと一ヶ月は大丈夫だろう」

「一ヶ月も? 一国の皇帝が、このような僻地で?」

「ここは良い。暗殺の恐怖もないし、媚びへつらう貴族もいない。あるのは美味い飯と、温泉と……」

シリウスは天井を見上げた。

「見ていて飽きない、彼女がいる」

「ふふ、お嬢様は劇薬ですよ。中毒性がございます」

「違いない」

シリウスは楽しげに笑った。

その時。
窓の外で、微かな風切り音がした。

ヒュンッ!

何かが窓の隙間から飛び込み、シリウスの手元に突き刺さった。
苦無(クナイ)だ。
結び付けられた手紙には、密偵からの報告が記されている。

『陛下。本国にて不穏な動きあり。南部の貴族派が……』

シリウスの目が、一瞬にして冷徹な「皇帝の目」に変わる。

「……仕事か」

彼は手紙を暖炉に放り込んだ。

「セバスチャン。私は少し、夜風に当たってくる」

「行ってらっしゃいませ。お夜食を用意してお待ちしております」

「助かる。……コロロには内緒にしておいてくれよ? 『トイレが長い』とでも言っておいてくれ」

「承知いたしました」

シリウスは窓を開け、闇夜へと身を躍らせた。
その動きは、先ほどまでの「優雅な居候」とは別人のように鋭い。

***

翌朝。

「おはよう、シロ! 顔色が悪くない? 夜更かししたの?」

朝食の席で、私はシロの顔を覗き込んだ。
目の下にうっすらとクマができている。

「いや……少し、蚊がいてね」

シロは曖昧に笑いながら、ドラゴンオムレツを口に運んだ。
実は昨晩、国境付近まで高速移動して密偵と会い、反乱分子の鎮圧指示を出してきたらしい(と、セバスがこっそり教えてくれた。トイレにしては長いと思ったのよ)。

「蚊? おかしいわね。この辺の蚊は、私の殺気に怯えて近寄らないはずなんだけど」

私は首を傾げた。

「まあいいわ。今日は『リゾート開発』の総仕上げよ! シロも手伝って!」

「ああ、望むところだ」

シロはナイフを置くと、穏やかな瞳で私を見た。

「君の作る国(リゾート)のためなら、微力ながら力を貸そう」

「ふふ、頼りにしてるわよ、元執事さん!」

私は彼の背中をバンと叩いた。
ゴホッ、とシロがむせたが、その顔はどこか嬉しそうだった。

こうして、皇帝陛下による「極秘・二重生活」は、私の鈍感さとセバスの黙認によって、ギリギリのバランスで保たれていた。
彼が本当の正体を明かす時、それがこの領地にとって最大の「切り札」になることを、私はまだ知らない。

(……にしても、シロってば時々、すごく怖い顔で空を見てるのよね。やっぱり無職の将来が不安なのかしら? 今度、ハローワークでも紹介してあげようかしら)

そんな的外れな心配をしながら、私は今日もつるはしを担いで荒野へと向かうのだった。
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