誘拐されて、悪役令嬢として断罪されているよです!

ハチワレ

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「……カイル様。一つお伺いしてもよろしいかしら?」

砦の最上階にある執務室。
人質として呼び出されたはずのマーシャは、豪華なソファに深く腰掛け、差し出されたハーブティーの香りを優雅に楽しんでいた。

デスクで山のような書類に追われていたカイルが、ぴくりと眉を動かす。

「……なんだ。言っておくが、今日の夕食に子羊のローストを出す予定はないぞ」

「あら、それは残念。ですが、もっと重大なことですわ。……この砦、もしかして『小麦粉の質』が落ちていませんこと?」

カイルの手が、ぴたりと止まった。
彼は鋭い視線をマーシャに向ける。

「……なぜそう思う」

「今朝いただいたパンですわ。表面はそれなりに焼けていましたが、中身の粘りと香りが足りません。恐らく、貯蔵庫の湿気管理に失敗しているか、あるいは古い在庫を掴まされていますわね。物流の責任者を呼んでくださる?」

カイルは椅子を鳴らして立ち上がると、マーシャの目の前に歩み寄った。

「貴様……。ただの食いしん坊かと思っていたが、パン一口でそこまで見抜くか。……その通りだ。この砦は現在、王国側からの嫌がらせで質の良い小麦の供給を止められている」

「まあ、なんてこと! 美味しいパンが食べられないなんて、それはもはや宣戦布告と同義ですわ!」

憤慨するマーシャに対し、カイルはため息をつきながら彼女を見下ろした。

「いいか、マーシャ。俺がお前を攫ったのは、単なる身代金目的ではない。王国の『知恵袋』と呼ばれたランドール公爵の愛娘なら、帝国の慢性的的な食糧問題を解決する何らかの策を持っていると思ったからだ」

「知恵袋……? ああ、お父様のことかしら。あの方は確かに、最高の熟成肉を作るための温度計算には長けていらっしゃいましたわね」

「……絶対、違う分野の知恵だと思うぞ、それは」

カイルは頭を抱えた。
王国でのマーシャの噂は「冷徹で計算高い、王国の影の支配者」だったはずだ。
だが目の前にいるのは、小麦粉の鮮度に命をかける「食の求道者」である。

「カイル様、そんなに難しい顔をなさらないで。材料が足りないのなら、今あるものを最高に輝かせればよろしいのよ。……ところで、この砦の裏手にある荒地。あそこ、自由に使ってもよろしいかしら?」

「荒地? あそこは石ころだらけで、雑草すらまともに生えん場所だが」

「フフッ。私に不可能はありませんわ。美味しいもののためなら、土壌すら跪かせて見せます」

マーシャは立ち上がると、カイルの胸元を人差し指でツンと突いた。

「交換条件ですわ。私がこの砦の食糧問題を解決の兆しへ導いたら……最高の『発酵バター』をどこからか調達してくださる?」

カイルはその自信に満ちた瞳に、一瞬だけ気圧された。

「……いいだろう。約束する。バルカ帝国の威信にかけて、最高級のバターを用意してやる」

「決まりですわね! あぁ、楽しみだわ。焼きたてのスコーンに、たっぷりのバター……」

マーシャは鼻歌を歌いながら執務室を後にした。
残されたカイルは、自分の指先に残る微かな「バニラの香り(マーシャがさっきまで食べていたお菓子の匂い)」を感じながら、独りごちた。

「……悪役令嬢、か。王国の連中も、節穴だな」

一方、砦の兵士たちの間では、すでにマーシャは「女神」として崇められ始めていた。

「おい、聞いたか? マーシャ様が、あのガチガチの保存食を『絶品パテ』に作り変える魔法を料理長に伝授したらしいぞ!」

「ああ、今日の昼飯は最高だった。あんなに柔らかい肉、人生で初めて食ったぜ……」

監禁されているはずの令嬢は、今や砦の最高権力者よりも人望を集めつつあった。
しかし、そんな平和な光景とは裏腹に。

「――見つけましたわ。マーシャ様を誘拐した、不届きな賊の足跡を」

国境付近。
王国の聖女リリアが、怪しく光る瞳で砦の方角を見つめていた。

「あの方には、もっと『悪役』らしく、惨めに死んでいただかなくては困りますもの。……ふふ、うふふふふ!」

背後には、ウィフレッド王太子が差し向けた精鋭部隊が控えている。
マーシャの知らないところで、不穏な影が着実に砦へと迫っていた。

当の本人はといえば。

「見てくださいバルドさん! この石ころ、実は加熱すると遠赤外線効果で素晴らしい焼き芋が作れると思いませんこと!?」

「お、おう! さすがマーシャ様だ! 石まで食材に見えてくるとは!」

厨房で石を洗って喜んでいるマーシャに、不吉な予感など微塵も感じられなかった。
彼女にとっての最大の敵は、いつだって「空腹」と「不味い食事」だけなのだから。
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