6 / 29
6
しおりを挟む
「……はぁ、見てくださいませカイル様。この愛らしい芽吹きの瞬間を。まるで、大地の吐息が聞こえてくるようですわ」
砦の裏手、かつては「死の荒地」と呼ばれていた場所に、マーシャの感嘆の声が響き渡った。
カイルは信じられないものを見る目で、足元の地面を見つめていた。
昨日まで石ころだらけだったはずの土壌から、青々としたジャガイモの芽が、異常な密度で突き出している。
「……マーシャ。お前、さっきから何をしていた? ただの『家庭魔法』をかけただけだと言っていなかったか?」
「ええ、そうですわよ。お掃除の魔法を少し応用して、土の中の不純物を取り除き、お洗濯の魔法を捻って、適度な水分と栄養を循環させただけですわ。仕上げに『成長促進(お花を長持ちさせる程度)』の術を少々」
「それが、この一晩で収穫間近まで育てるような規模の魔法か……!?」
カイルは戦慄した。
軍事用の大規模農耕魔法でも、これほどの成果を出すには数人の魔導師がかりで数週間はかかる。
それを、彼女は「家事のついで」のような顔でやってのけたのだ。
「カイル様、そんな怖い顔をしないで。美味しいジャガイモが早く食べたい、その純粋な祈りが奇跡を起こしただけですわ。さあ、そろそろ収穫できそうな……あら?」
マーシャがふと、茂みの奥に視線を向けた。
そこには、周囲の風景に溶け込むような「光学迷彩」の魔導具を纏った人影が、音もなく潜んでいた。
王国の王太子ウィフレッドが放った、超一流の暗殺者である。
(……見つけたぞ。悪役令嬢マーシャ・ランドール。貴様さえ消せば、我が主の汚名は完全に消える)
暗殺者は、毒を塗った鋭い投げナイフを構えた。
その時。
「ちょうどいいところに! そこの方、ちょっと手伝ってくださる?」
マーシャが、茂みに向かって屈託のない笑顔で手を振った。
暗殺者は心臓が跳ね上がるのを感じた。
(……気配を完全に絶っていたはずだぞ!? なぜ見つかった!?)
「ええい、死ね!」
放たれた三本のナイフ。
それはマーシャの喉元、心臓、そして眉間を正確に狙っていた。
「あら、危ないわ」
マーシャは手に持っていた小さな園芸用のシャベルを、ひょいと一振りした。
キン、キン、キン! と軽い音が響き、最高級の鋼で作られた暗殺ナイフは、あっけなく地面に叩き落とされた。
「……え?」
暗殺者が呆然としている間に、マーシャは信じられない速度で距離を詰め、彼の襟首を掴み上げた。
「これ、あなたが投げたの? 困りますわ、折角のジャガイモが傷ついたらどうするんですの。それよりも……あなた、いいナイフをお持ちね」
「な……なな、離せ! この化け物令嬢め!」
「まあ、失礼ね。……ふーん、このナイフの刃渡り。これは『皮剥き』に最適だわ! カイル様、捕虜の一人くらい、厨房の皮剥き係として使ってもよろしくて?」
カイルは、一瞬で「光学迷彩」を無効化され、引きずり出された暗殺者の無惨な姿を見て、深く溜息をついた。
「……あいつは王国の隠密部隊の中でも、指折りの手練れだったはずだがな」
「あら、そんなにすごい方なんですの? それなら作業効率も期待できそうですわね。ほら、あなた。このナイフで、あそこのバケツ三杯分のジャガイモを剥いてちょうだい。少しでも身を削りすぎたら、夕食抜きですからね」
「お、俺に、暗殺者の誇り高き俺に、イモを剥けだと……!?」
暗殺者は屈辱に震えたが、マーシャの背後から立ち昇る「食への執念」という名の圧倒的なプレッシャーに、思わず膝をついた。
「……わ、わかりました……。剥けばいいんだろ、剥けば……!」
数分後。
砦の広場では、超一流の暗殺者が、涙を流しながら超高速でジャガイモの皮を剥くという、奇妙な光景が繰り広げられていた。
カイルは、その光景を眺めながらマーシャに問いかけた。
「マーシャ。お前、本当に自覚がないのか? お前が今使った魔法、そしてあの身体能力……。王国では『聖女』の力はリリアにあるとされているが、どう見ても……」
「カイル様、それはタブーですわ」
マーシャは人差し指を口元に当てて、悪戯っぽく微笑んだ。
「私が聖女だろうが、悪役令嬢だろうが、そんなことはどうでもいいのです。大事なのは、この大地で育ったジャガイモを、どうやって一番美味しく食べるか。……今夜は、シンプルに塩茹でにして、あなたが調達してくれた『あのバター』をたっぷり乗せていただくのが正解だと思いませんこと?」
カイルは、彼女の瞳の奥に宿る、底なしの「欲望」と「慈愛」の混ざり合った色を見た。
彼女を「悪役」と呼び、国から追い出した連中は、本当に取り返しのつかない間違いを犯したのだと、彼は改めて確信した。
「……ああ、そうだな。バターなら、一番いいやつが今朝届いたところだ」
「まあ! さすがカイル様、お仕事が早いわ! さあ、皮剥き係さん、手を休めないで! お湯が沸騰してしまいますわよ!」
「はいっ! ただいま!」
暗殺者さえも軍門(という名の厨房)に降らせたマーシャの快進撃は、留まるところを知らなかった。
その晩、砦中に広がった「ジャガバター」の香りは、国境を越えて王国の偵察兵たちの鼻にまで届き、彼らを激しい空腹と後悔で悶絶させたという。
砦の裏手、かつては「死の荒地」と呼ばれていた場所に、マーシャの感嘆の声が響き渡った。
カイルは信じられないものを見る目で、足元の地面を見つめていた。
昨日まで石ころだらけだったはずの土壌から、青々としたジャガイモの芽が、異常な密度で突き出している。
「……マーシャ。お前、さっきから何をしていた? ただの『家庭魔法』をかけただけだと言っていなかったか?」
「ええ、そうですわよ。お掃除の魔法を少し応用して、土の中の不純物を取り除き、お洗濯の魔法を捻って、適度な水分と栄養を循環させただけですわ。仕上げに『成長促進(お花を長持ちさせる程度)』の術を少々」
「それが、この一晩で収穫間近まで育てるような規模の魔法か……!?」
カイルは戦慄した。
軍事用の大規模農耕魔法でも、これほどの成果を出すには数人の魔導師がかりで数週間はかかる。
それを、彼女は「家事のついで」のような顔でやってのけたのだ。
「カイル様、そんな怖い顔をしないで。美味しいジャガイモが早く食べたい、その純粋な祈りが奇跡を起こしただけですわ。さあ、そろそろ収穫できそうな……あら?」
マーシャがふと、茂みの奥に視線を向けた。
そこには、周囲の風景に溶け込むような「光学迷彩」の魔導具を纏った人影が、音もなく潜んでいた。
王国の王太子ウィフレッドが放った、超一流の暗殺者である。
(……見つけたぞ。悪役令嬢マーシャ・ランドール。貴様さえ消せば、我が主の汚名は完全に消える)
暗殺者は、毒を塗った鋭い投げナイフを構えた。
その時。
「ちょうどいいところに! そこの方、ちょっと手伝ってくださる?」
マーシャが、茂みに向かって屈託のない笑顔で手を振った。
暗殺者は心臓が跳ね上がるのを感じた。
(……気配を完全に絶っていたはずだぞ!? なぜ見つかった!?)
「ええい、死ね!」
放たれた三本のナイフ。
それはマーシャの喉元、心臓、そして眉間を正確に狙っていた。
「あら、危ないわ」
マーシャは手に持っていた小さな園芸用のシャベルを、ひょいと一振りした。
キン、キン、キン! と軽い音が響き、最高級の鋼で作られた暗殺ナイフは、あっけなく地面に叩き落とされた。
「……え?」
暗殺者が呆然としている間に、マーシャは信じられない速度で距離を詰め、彼の襟首を掴み上げた。
「これ、あなたが投げたの? 困りますわ、折角のジャガイモが傷ついたらどうするんですの。それよりも……あなた、いいナイフをお持ちね」
「な……なな、離せ! この化け物令嬢め!」
「まあ、失礼ね。……ふーん、このナイフの刃渡り。これは『皮剥き』に最適だわ! カイル様、捕虜の一人くらい、厨房の皮剥き係として使ってもよろしくて?」
カイルは、一瞬で「光学迷彩」を無効化され、引きずり出された暗殺者の無惨な姿を見て、深く溜息をついた。
「……あいつは王国の隠密部隊の中でも、指折りの手練れだったはずだがな」
「あら、そんなにすごい方なんですの? それなら作業効率も期待できそうですわね。ほら、あなた。このナイフで、あそこのバケツ三杯分のジャガイモを剥いてちょうだい。少しでも身を削りすぎたら、夕食抜きですからね」
「お、俺に、暗殺者の誇り高き俺に、イモを剥けだと……!?」
暗殺者は屈辱に震えたが、マーシャの背後から立ち昇る「食への執念」という名の圧倒的なプレッシャーに、思わず膝をついた。
「……わ、わかりました……。剥けばいいんだろ、剥けば……!」
数分後。
砦の広場では、超一流の暗殺者が、涙を流しながら超高速でジャガイモの皮を剥くという、奇妙な光景が繰り広げられていた。
カイルは、その光景を眺めながらマーシャに問いかけた。
「マーシャ。お前、本当に自覚がないのか? お前が今使った魔法、そしてあの身体能力……。王国では『聖女』の力はリリアにあるとされているが、どう見ても……」
「カイル様、それはタブーですわ」
マーシャは人差し指を口元に当てて、悪戯っぽく微笑んだ。
「私が聖女だろうが、悪役令嬢だろうが、そんなことはどうでもいいのです。大事なのは、この大地で育ったジャガイモを、どうやって一番美味しく食べるか。……今夜は、シンプルに塩茹でにして、あなたが調達してくれた『あのバター』をたっぷり乗せていただくのが正解だと思いませんこと?」
カイルは、彼女の瞳の奥に宿る、底なしの「欲望」と「慈愛」の混ざり合った色を見た。
彼女を「悪役」と呼び、国から追い出した連中は、本当に取り返しのつかない間違いを犯したのだと、彼は改めて確信した。
「……ああ、そうだな。バターなら、一番いいやつが今朝届いたところだ」
「まあ! さすがカイル様、お仕事が早いわ! さあ、皮剥き係さん、手を休めないで! お湯が沸騰してしまいますわよ!」
「はいっ! ただいま!」
暗殺者さえも軍門(という名の厨房)に降らせたマーシャの快進撃は、留まるところを知らなかった。
その晩、砦中に広がった「ジャガバター」の香りは、国境を越えて王国の偵察兵たちの鼻にまで届き、彼らを激しい空腹と後悔で悶絶させたという。
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。
黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」
豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。
しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
【完結】旦那様、わたくし家出します。
さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。
溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。
名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。
名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。
登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*)
第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中
〈完結〉【書籍化&コミカライズ】悪妃は余暇を楽しむ
ごろごろみかん。
恋愛
「こちら、離縁届です。私と、離縁してくださいませ、陛下」
ある日、悪妃と名高いクレメンティーナが夫に渡したのは、離縁届だった。彼女はにっこりと笑って言う。
「先日、あなた方の真実の愛を拝見させていただきまして……有難いことに目が覚めましたわ。ですので、王妃、やめさせていただこうかと」
何せ、あれだけ見せつけてくれたのである。ショックついでに前世の記憶を取り戻して、千年の恋も瞬間冷凍された。
都合のいい女は本日で卒業。
今後は、余暇を楽しむとしましょう。
吹っ切れた悪妃は身辺整理を終えると早々に城を出て行ってしまった。
【完結】転生したら悪役継母でした
入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。
その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。
しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。
絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。
記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。
夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。
◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆
*旧題:転生したら悪妻でした
『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』
鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」
幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された
公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。
その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、
彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。
目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。
だが、中身は何ひとつ変わっていない。
にもかかわらず、
かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、
「やり直したい」とすり寄ってくる。
「見かけが変わっても、中身は同じです。
それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」
静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。
やがて彼女に興味を示したのは、
隣国ノルディアの王太子エドワルド。
彼が見ていたのは、美貌ではなく――
対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。
これは、
外見で価値を決められた令嬢が、
「選ばれる人生」をやめ、
自分の意思で未来を選び直す物語。
静かなざまぁと、
対等な関係から始まる大人の恋。
そして――
自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。
---
はじめまして、旦那様。離婚はいつになさいます?
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
「はじめてお目にかかります。……旦那様」
「……あぁ、君がアグリア、か」
「それで……、離縁はいつになさいます?」
領地の未来を守るため、同じく子爵家の次男で軍人のシオンと期間限定の契約婚をした貧乏貴族令嬢アグリア。
両家の顔合わせなし、婚礼なし、一切の付き合いもなし。それどころかシオン本人とすら一度も顔を合わせることなく結婚したアグリアだったが、長らく戦地へと行っていたシオンと初対面することになった。
帰ってきたその日、アグリアは約束通り離縁を申し出たのだが――。
形だけの結婚をしたはずのふたりは、愛で結ばれた本物の夫婦になれるのか。
★HOTランキング最高2位をいただきました! ありがとうございます!
※書き上げ済みなので完結保証。他サイトでも掲載中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる