誘拐されて、悪役令嬢として断罪されているよです!

ハチワレ

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「……なんだ、これは。泥水か? それとも家畜の餌か?」

王立学園の優雅な食堂に、ウィフレッド王太子の怒声が響き渡った。

目の前に並べられているのは、王族の朝食とは思えないほど、しなびた野菜のサラダと、石のように硬いパン。
そして、異臭を放つ灰色のスープである。

「も、申し訳ございません、殿下! しかし、これまで食材の調達を一手に引き受けていたランドール公爵家からの供給が、完全に止まってしまいまして……」

震えながら説明する料理長を、ウィフレッドは激しく睨みつけた。

「ランドールだと? あの悪女マーシャの実家か! あの一族は、反逆者の娘を匿うだけでなく、食糧まで出し惜しみするつもりか!」

「いえ……その。出し惜しみと言いますか、マーシャ様がいらっしゃらなくなったことで、独自の流通ルートが全て機能不全に陥っているのです。あの方が個人的に契約していた『幻の農家』や『伝説の漁師』たちが、彼女以外との取引を一切拒否しておりまして……」

ウィフレッドはテーブルを叩いた。

「ふざけるな! 代わりの農家などいくらでもいるだろう! リリア、お前の聖女の力でどうにかできないのか?」

隣に座る聖女(自称)リリアは、困ったように首を傾げた。

「ええっ……。ウィフレッド様、私にそんな泥臭い農作業の真似事をしろとおっしゃるのですか? 私の清らかな魔力は、人々の心を癒やすためのもの。ジャガイモを育てるなんて、はしたないですわ!」

「しかし、このままでは学園の生徒たちから不満が出る。現に、一部の令嬢たちは『マーシャ様がいた頃のフォアグラのテリーヌが恋しい』などと泣き言を言っているのだぞ」

リリアはふんと鼻を鳴らし、わざとらしく溜息をついた。

「皆様、贅沢に慣れすぎていらっしゃるのね。これもマーシャ様が、甘い汁を吸わせて手なずけていた証拠ですわ。……そうだわ! 私が皆様に、愛の溢れる特製スープを作って差し上げます!」

「おお、リリア! さすがは我が国の光だ。期待しているぞ」

数時間後。

学園の厨房は、地獄のような惨状と化していた。

「……リリア様。その、お鍋の中に香水を入れるのはお止めください……」

「あら、良い香りがした方が皆様も喜ぶでしょう? あと、このお魚は内臓を取るのが可哀想だから、そのまま丸ごと入れることにしますわ。命への感謝を込めて!」

「そ、そんな!? 鱗も取らずに!?」

リリアが「聖女の直感」と称して作り上げた料理――それは、もはや食べ物と呼ぶことすら躊躇われる、紫色の発光体であった。

その日の昼食時、学園の食堂からは悲鳴と、そして大量の嘔吐の音が鳴り響くこととなった。

「……う、うう。マーシャ様……。あの方が『味覚が死んでいる』と罵りながらも、完璧な栄養バランスで提供してくださっていたあのランチが食べたい……」

「厳しかったけど、あの方の管理する食堂は、いつも最高に美味しかったのに……」

生徒たちの間で、隠しきれない本音が漏れ始める。
マーシャを「悪役令嬢」と罵っていたはずの者たちが、今や彼女の不在によって、深刻な「美食ロス」に陥っていた。

ウィフレッド王太子は、自室でリリアの作った「聖女のスープ(殺傷能力高)」を前に、青ざめた顔で震えていた。

「ウィフレッド様、どうかなさいました? さあ、あーんですわ!」

「……あ、ああ。リリア、気持ちだけ受け取っておく。私は……そう、急な公務を思い出した! さらばだ!」

王太子は、人生で最高速度の逃走を図った。
彼が向かった先は、皮肉にもマーシャがかつて管理していた、今は封鎖された備蓄倉庫だった。

「……何かないのか。一口でいい、まともな食べ物を……!」

彼が必死に棚を漁ると、一つの小さな瓶が見つかった。
そこにはマーシャの筆跡で『非常食(ウィフレッド様がまた偏食で倒れた時用)』と記されていた。

中身は、彼女が手間暇かけて作った、極上のピクルス。

一口食べた瞬間、ウィフレッドの目に涙が溢れた。

「……旨い。なんだ、この絶妙な酸味と歯応えは……。マーシャ、お前はこんなにも私の健康を……いや、待て! これはきっと、私を依存させるための罠だ! あの悪女め、どこまで計算高いのだ!」

彼は自分の愚かさを認める代わりに、さらにマーシャへの憎しみを(無理やり)燃やすことで、精神の平穏を保とうとした。

しかし、その胃袋だけは正直だった。

同じ頃、バルカ帝国の最前線要塞では。

「おーい、マーシャ様! 今日のデザートの『揚げ芋の蜂蜜がけ』、おかわりはあるかい!?」

「はいはい、焦らないで。皮剥き係さんが頑張ってくれたおかげで、山ほどありますわよ!」

「マーシャ様! 一生ついていきます!」

帝国兵たちは、ツヤツヤとした肌艶で、活気に満ち溢れていた。
一方、王国の騎士たちは、リリアの料理による集団食中毒で、半数が寝込んでいた。

「……カイル様。王国の偵察部隊が、何だかフラフラしながら撤退していきましたが、何か新しい兵器でも使いましたの?」

マーシャが不思議そうに尋ねると、カイルは遠い目をしながら答えた。

「いや……。恐らく、自滅だろうな。……お前のいた国が、これほど脆いとは思わなかったぞ」

「あら。美味しいものを食べないから、気力が続かないのですわ。自業自得ね」

マーシャは、暗殺者(現・皮剥き係)が差し出した、完璧に面取りされたジャガイモを受け取り、満足そうに微笑んだ。

王国の崩壊は、剣や魔法によるものではなく、「胃袋の反乱」から始まろうとしていた。
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