誘拐されて、悪役令嬢として断罪されているよです!

ハチワレ

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「……おい。ここをどこだと思っている。貴様は一応、捕虜なのだぞ」

カイルは執務の合間を縫って、マーシャの「監禁部屋」を訪れた。
しかし、扉を開けた瞬間に鼻を突いたのは、石造りの部屋特有の湿った匂いではなかった。

芳醇な焦がしバターの香りと、甘酸っぱいベリーの香り。
そして、なぜか高級レストランでしかお目にかかれないような、銀の食器が触れ合う軽やかな音だ。

「あら、カイル様。お仕事、お疲れ様ですわ。今ちょうど、新作のスフレが焼き上がったところなんですの。ご一緒にいかが?」

マーシャは、監禁用のはずの簡素なテーブルに、どこからか調達してきた真っ白なテーブルクロスを敷いていた。
その上には、ふんわりと膨らんだ黄金色のスフレが、誇らしげに湯気を立てている。

カイルは眉間を押さえ、深くため息をついた。

「……その銀食器はどこから出した。それにそのオーブン。昨日まではなかったはずだ」

「ああ、これかしら? バルドさんが『マーシャ様が不自由されているのは忍びない』と言って、使っていない倉庫から運び込んでくださったの。オーブンは、暗殺者……いえ、皮剥き係の彼が、魔法で余熱を管理してくれていますわ」

部屋の隅を見ると、かつて「影の刺客」と呼ばれた男が、真剣な面持ちで火魔法を微調整していた。

「……火力が一分でも揺らげば、スフレは萎む。これは戦いだ。一歩も引けぬ戦いなのだ……!」

男はブツブツと呟きながら、自らの魔力を全てオーブンの温度維持に注ぎ込んでいる。

カイルは、もはや突っ込む気力すら失いつつあった。

「……監禁というのは、もっとこう、冷たい床で震えながらパンの耳を齧るような生活を指す言葉だと思っていたが」

「まあ、そんな非衛生的で非能率的なこと! そんなことをしたら、私の肌はボロボロになり、思考力も低下して、カイル様との『交渉』にも支障が出ますわ。これは必要な経費ですの」

マーシャは上品にスフレを一口食べると、うっとりと目を細めた。

「ふふっ。閉じ込められているからこそ、食材のわずかな変化に敏感になれますわ。外の喧騒に惑わされず、ただひたすらに胃袋と対話する……。監禁生活、最高ですわね!」

「……貴様、本当に帰りたくないようだな」

カイルは空いている椅子を引き、マーシャの向かいに腰を下ろした。

「母国では、お前の『悪行』がさらに尾ひれをつけて広まっているぞ。昨日の報告では、お前は『夜な夜な兵士たちの魂を吸い取り、代わりにジャガイモを植える魔女』に昇格していた」

「あながち間違いではありませんわね。彼らの胃袋(たましい)を掴んでいるのは事実ですし、荒地には実際ジャガイモを植えましたもの」

マーシャは気にした風もなく、紅茶を一口飲んだ。

「でも、カイル様。私がここにいることで、あなたの悩みも一つ減ったのではないかしら? ……例えば、兵士たちの『離反率』とか」

カイルは図星を指され、言葉に詰まった。

この一週間、砦の兵士たちの士気は異常なほど高まっている。
過酷な辺境任務、不味い飯、終わりの見えない小競り合い。
それらに不満を抱いていた連中が、今や「マーシャ様の次の献立を食べるまでは死ねない」と、驚異的な結束力を見せているのだ。

「……お前のせいで、うちの軍の規律が『食事第一』に書き換えられようとしている。これは将軍として、非常に危惧すべき事態だ」

「あら、素晴らしいことですわ。お腹がいっぱいの人間は、無駄な争いを好みませんもの。……さて、カイル様。実はお話があるのです」

マーシャが少しだけ真面目な顔になり、カイルを見つめた。

「なんだ。今度は高級ワインでも輸入しろと言うのか?」

「いいえ。この砦の北側にある冷涼な洞窟。あそこを、私の『秘密の熟成庫』として開放していただきたいのです」

「……熟成庫だと?」

「ええ。バルカ帝国の乳製品は素晴らしい。ですが、まだそのポテンシャルを引き出しきれていませんわ。あの洞窟の温度と湿度なら、世界を震撼させる『ブルーチーズ』が作れるはずです」

マーシャの瞳が、野望に燃えてギラリと光った。

「そのチーズがあれば、帝国の輸出品として莫大な利益を生むでしょう。身代金なんて、ちっぽけな金額に思えるほどの富が、あなたの手に入りますわ。……どうかしら?」

カイルは、目の前の令嬢が単なる食いしん坊ではないことを、改めて思い知らされた。
彼女は自分の欲望を、いつの間にか国家レベルの利益にすり替えて交渉してくる。

「……お前、本当に悪役令嬢だったんじゃないのか? その計算高さ、恐ろしいほどだ」

「褒め言葉として受け取っておきますわ。さあ、カイル様。答えは?」

カイルは少しの間、沈黙した。
そして、目の前にあるスフレの最後の一口を奪い取って口に入れると、不敵に笑った。

「……いいだろう。そのチーズ、俺が一番に味見をするのが条件だ」

「もちろんですわ! ……あ、ちょっと! それは私の最後の一口でしたのに!」

監禁部屋に、令嬢の抗議と、将軍の珍しく晴れやかな笑い声が響いた。

その頃。
砦の城壁の外では、潜入に失敗して「皮剥き係」となった仲間の帰りを待つ、別の隠密部隊が困惑していた。

「……おい。中からすごくいい匂いがするんだが」

「ああ……。なんだか、殺意が失せてくる匂いだな……」

王国からの追っ手たちもまた、マーシャが放つ「美食の結界」に、じわじわと侵食され始めていた。
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