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「開門! 我が国が誇る王立騎士団の特使、ゼノス卿の御到着である!」
砦の正門前で、キンキンと響く甲高い声が上がった。
現れたのは、磨き上げられた白銀の鎧に身を包んだ、いかにも高慢そうな貴族の青年だった。
彼は鼻をつまみながら、無骨な砦を蔑むような目で見つめている。
「……ふん、野蛮なバルカ帝国の要塞か。家畜小屋のような臭いがするな。さっさと我が国の反逆者、マーシャ・ランドールをこちらへ引き渡せ」
城壁の上からそれを見下ろしていたカイルは、心底面倒そうに吐き捨てた。
「……おい、誰だあいつは。キラキラしすぎて目が痛いんだが」
「……王太子の腰巾着、ゼノス伯爵令息ですわ。あの方は『冷めたコンソメスープには価値がない』と言って、給仕にスープをぶっかけるような、大変教育の行き届いたお方ですわね」
カイルの隣で、マーシャが平然と答えた。
彼女の手には、試作段階のブルーチーズを乗せたクラッカーが握られている。
「……お前の元知り合いか。ろくなのがいないな、あの国は」
「ええ、本当ですわ。あ、カイル様。このチーズ、もう少し熟成させた方がパンチが効くと思いますの。今はまだ、お上品すぎますわ」
「引き渡しを要求されている状況で、よくもまあチーズの批評ができるな、お前は」
カイルは苦笑しつつ、階下のゼノスに向かって声を張り上げた。
「特使殿。残念ながら、彼女を渡すつもりはない。彼女は現在、我がバルカ帝国の『重要経済顧問』兼『軍事糧食改善担当官』だ。返してほしければ、帝国の首都まで来て皇帝陛下と直接交渉するんだな」
「黙れ、野蛮人! マーシャは我が国の罪人だ! 王太子殿下は、彼女を再教育……もとい、毒味役として王宮に連れ戻すよう仰せなのだ!」
ゼノスが叫んだ瞬間、マーシャの瞳から温度が消えた。
「……毒味役。あの偏食のウィフレッド殿下が、リリア様の殺人料理を私に押し付けようとしているわけですわね」
マーシャは手に持っていたクラッカーを一口で咀嚼し、冷ややかに笑った。
「カイル様。ちょっと失礼いたしますわ」
マーシャは城壁の端まで歩み出ると、下で騒ぐゼノスを見下ろした。
「お久しぶりですわ、ゼノス様。……相変わらず、薄っぺらい鎧をお召しね。そんなに重厚感のない素材では、帝国の冬の寒さには耐えられませんわよ?」
「マーシャ! 貴様、どの面下げて……! さっさと降りてこい! この売国奴め!」
「お断りしますわ。……ゼノス様、一つお聞きしたいのですが。今朝、何をお召し上がりになりました?」
唐突な質問に、ゼノスは毒気を抜かれたように言葉を詰まらせた。
「な……朝食だと? そ、それは……リリア様が真心込めて作ってくださった『虹色のオムレツ』だ! 見た目は少し独創的だったが、聖女様の料理だぞ!」
「……そうですか。それで、胃腸の具合はいかが? 先ほどから、お顔の色がナスビのように紫がかっておりますけれど」
ゼノスの顔が、みるみるうちに蒼白になった。
彼は必死に耐えていたが、マーシャの指摘通り、リリアの料理による激しい腹痛と格闘していたのだ。
「……う、うるさい! これは……これは、武者震いだ!」
「無理をなさらないで。……カイル様、あの方に『砦特製・薬膳ジンジャースープ』の一杯でも差し上げてはいかが? もちろん、有料で」
カイルはニヤリと笑った。
「いいな。……おい、ゼノス特使。お前の顔色を見るに、今すぐ休息が必要なようだ。外交特権として、我が砦の『最高級の食事』を味見させてやろう。ただし、一口につき金貨一枚だ」
「な……っ!? ふざけるな! 私がそんな……う、ううっ……!」
ゼノスは腹部を押さえ、その場に崩れ落ちた。
リリアの「毒」が、ついに限界を超えたらしい。
「ああ、残念。騎士の誇りよりも、胃袋の悲鳴が勝ったようですわね」
数分後。
砦の応接室で、ゼノスは涙を流しながら、マーシャが用意した温かいスープを啜っていた。
「……旨い。なんだ、これは……。胃の腑が、洗われるようだ……。あ、あり得ん。あのマーシャが、これほど慈愛に満ちた味を作るとは……!」
「あら、慈愛なんて入っていませんわよ。それはただの、食材のポテンシャルを引き出しただけの論理的な一品ですわ。……さて、ゼノス様」
マーシャは優雅に椅子に座り、ゼノスを冷たく見下ろした。
「そのスープを飲み終えたら、お帰りくださいませ。私は帰りません。あんな、料理を冒涜する者が跋扈する国に、私の居場所はありませんもの」
「……し、しかし、殿下が……」
「殿下にはこうお伝えください。――『美味しいものが食べたいなら、まずご自分の性格から磨き直してはいかが?』と」
ゼノスは反論しようとしたが、二杯目のおかわりを差し出すハンス(元暗殺者)の無言の圧力に屈した。
「……わかった。今日のところは退散しよう。……だが、覚えておけよ! このスープのレシピ、後でこっそり教えてくれ!」
「金貨百枚で承りますわ。お気をつけて、ナスビ様」
ゼノス率いる特使団が、尻尾を巻いて逃げ出していくのを見送りながら、カイルはマーシャに問いかけた。
「……良かったのか? あいつ、王国に帰ったらお前のことをさらに悪く言いふらすぞ」
「構いませんわ。……カイル様。私、決めましたの」
マーシャは、夕焼けに染まるバルカ帝国の広大な大地を見つめた。
「あの国の人たちの胃袋を、バルカ帝国の農産物で完全に依存させてやりますわ。武力で制圧するより、ずっと確実に、そして美味しく支配できると思いませんこと?」
カイルは、彼女の横顔を見て、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
(……この女、やっぱり悪役令嬢なんてレベルじゃない。本物の『支配者』だ)
「……お前の野望に、俺が付き合わされる羽目になりそうだな」
「あら、光栄に思ってくださいませ。……さあ、カイル様。特使から巻き上げた金貨で、新しい牛を買いに行きましょう!」
マーシャの「胃袋による世界征服」が、一歩、着実に前進した瞬間だった。
砦の正門前で、キンキンと響く甲高い声が上がった。
現れたのは、磨き上げられた白銀の鎧に身を包んだ、いかにも高慢そうな貴族の青年だった。
彼は鼻をつまみながら、無骨な砦を蔑むような目で見つめている。
「……ふん、野蛮なバルカ帝国の要塞か。家畜小屋のような臭いがするな。さっさと我が国の反逆者、マーシャ・ランドールをこちらへ引き渡せ」
城壁の上からそれを見下ろしていたカイルは、心底面倒そうに吐き捨てた。
「……おい、誰だあいつは。キラキラしすぎて目が痛いんだが」
「……王太子の腰巾着、ゼノス伯爵令息ですわ。あの方は『冷めたコンソメスープには価値がない』と言って、給仕にスープをぶっかけるような、大変教育の行き届いたお方ですわね」
カイルの隣で、マーシャが平然と答えた。
彼女の手には、試作段階のブルーチーズを乗せたクラッカーが握られている。
「……お前の元知り合いか。ろくなのがいないな、あの国は」
「ええ、本当ですわ。あ、カイル様。このチーズ、もう少し熟成させた方がパンチが効くと思いますの。今はまだ、お上品すぎますわ」
「引き渡しを要求されている状況で、よくもまあチーズの批評ができるな、お前は」
カイルは苦笑しつつ、階下のゼノスに向かって声を張り上げた。
「特使殿。残念ながら、彼女を渡すつもりはない。彼女は現在、我がバルカ帝国の『重要経済顧問』兼『軍事糧食改善担当官』だ。返してほしければ、帝国の首都まで来て皇帝陛下と直接交渉するんだな」
「黙れ、野蛮人! マーシャは我が国の罪人だ! 王太子殿下は、彼女を再教育……もとい、毒味役として王宮に連れ戻すよう仰せなのだ!」
ゼノスが叫んだ瞬間、マーシャの瞳から温度が消えた。
「……毒味役。あの偏食のウィフレッド殿下が、リリア様の殺人料理を私に押し付けようとしているわけですわね」
マーシャは手に持っていたクラッカーを一口で咀嚼し、冷ややかに笑った。
「カイル様。ちょっと失礼いたしますわ」
マーシャは城壁の端まで歩み出ると、下で騒ぐゼノスを見下ろした。
「お久しぶりですわ、ゼノス様。……相変わらず、薄っぺらい鎧をお召しね。そんなに重厚感のない素材では、帝国の冬の寒さには耐えられませんわよ?」
「マーシャ! 貴様、どの面下げて……! さっさと降りてこい! この売国奴め!」
「お断りしますわ。……ゼノス様、一つお聞きしたいのですが。今朝、何をお召し上がりになりました?」
唐突な質問に、ゼノスは毒気を抜かれたように言葉を詰まらせた。
「な……朝食だと? そ、それは……リリア様が真心込めて作ってくださった『虹色のオムレツ』だ! 見た目は少し独創的だったが、聖女様の料理だぞ!」
「……そうですか。それで、胃腸の具合はいかが? 先ほどから、お顔の色がナスビのように紫がかっておりますけれど」
ゼノスの顔が、みるみるうちに蒼白になった。
彼は必死に耐えていたが、マーシャの指摘通り、リリアの料理による激しい腹痛と格闘していたのだ。
「……う、うるさい! これは……これは、武者震いだ!」
「無理をなさらないで。……カイル様、あの方に『砦特製・薬膳ジンジャースープ』の一杯でも差し上げてはいかが? もちろん、有料で」
カイルはニヤリと笑った。
「いいな。……おい、ゼノス特使。お前の顔色を見るに、今すぐ休息が必要なようだ。外交特権として、我が砦の『最高級の食事』を味見させてやろう。ただし、一口につき金貨一枚だ」
「な……っ!? ふざけるな! 私がそんな……う、ううっ……!」
ゼノスは腹部を押さえ、その場に崩れ落ちた。
リリアの「毒」が、ついに限界を超えたらしい。
「ああ、残念。騎士の誇りよりも、胃袋の悲鳴が勝ったようですわね」
数分後。
砦の応接室で、ゼノスは涙を流しながら、マーシャが用意した温かいスープを啜っていた。
「……旨い。なんだ、これは……。胃の腑が、洗われるようだ……。あ、あり得ん。あのマーシャが、これほど慈愛に満ちた味を作るとは……!」
「あら、慈愛なんて入っていませんわよ。それはただの、食材のポテンシャルを引き出しただけの論理的な一品ですわ。……さて、ゼノス様」
マーシャは優雅に椅子に座り、ゼノスを冷たく見下ろした。
「そのスープを飲み終えたら、お帰りくださいませ。私は帰りません。あんな、料理を冒涜する者が跋扈する国に、私の居場所はありませんもの」
「……し、しかし、殿下が……」
「殿下にはこうお伝えください。――『美味しいものが食べたいなら、まずご自分の性格から磨き直してはいかが?』と」
ゼノスは反論しようとしたが、二杯目のおかわりを差し出すハンス(元暗殺者)の無言の圧力に屈した。
「……わかった。今日のところは退散しよう。……だが、覚えておけよ! このスープのレシピ、後でこっそり教えてくれ!」
「金貨百枚で承りますわ。お気をつけて、ナスビ様」
ゼノス率いる特使団が、尻尾を巻いて逃げ出していくのを見送りながら、カイルはマーシャに問いかけた。
「……良かったのか? あいつ、王国に帰ったらお前のことをさらに悪く言いふらすぞ」
「構いませんわ。……カイル様。私、決めましたの」
マーシャは、夕焼けに染まるバルカ帝国の広大な大地を見つめた。
「あの国の人たちの胃袋を、バルカ帝国の農産物で完全に依存させてやりますわ。武力で制圧するより、ずっと確実に、そして美味しく支配できると思いませんこと?」
カイルは、彼女の横顔を見て、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
(……この女、やっぱり悪役令嬢なんてレベルじゃない。本物の『支配者』だ)
「……お前の野望に、俺が付き合わされる羽目になりそうだな」
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