殿下、私以外の誰かを愛してください。

ハチワレ

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「……ラブリー、私は反省したよ。君の言う通り、私の愛は少しばかり……物理的すぎたのかもしれない」


朝の光が差し込むバルコニー。
クロードが、今までにないほどしおらしい表情で、紅茶のカップを置きました。
その背後には、いつも浮遊しているドローンも、茂みに潜む騎士団もいません。


「あら、殿下。ようやくご自分の異常性に気づいてくださいましたのね?」


ラブリーは、期待を込めて身を乗り出しました。
ついに、この過剰な包容力から解放される日が来たのでしょうか。


「ああ。君が求めているのは、過保護な王子ではなく、隣を歩く『普通の男』なんだろう? だから私は昨晩、古今東西の『普通』に関する文献を三千冊ほど読破し、完璧な『一般男性シミュレーション』を構築した」


「三千冊読んでいる時点で、すでに普通ではありませんわよ……」


「まあ聞きなさい。……さあ、ミリー嬢。例のブツを」


控えていたミリーが、深いため息とともに、一冊の分厚い……いえ、レンガのような重厚な本をテーブルに置きました。
表紙には『一般的・平民的・標準的行動指針:改訂第28版(著者:クロード・ド・マニフィーク)』と金文字で刻まれています。


「……殿下。これ、あなたが書いたんですの?」


「ああ。普通とは何かを定義した、私の集大成だ。……さあ、ラブリー。今日はこの指針に従い、私は君と『普通のデート』を楽しもうと思う。……まずは、君の荷物を持たせてもらえないかな?」


クロードが、爽やかな、あまりに爽やかすぎて逆に不気味な笑顔で手を差し出しました。


「荷物……。あ、この小さなポーチですわね。ええ、よろしいですわよ。……って、殿下、何をしてらっしゃいますの!」


クロードは、ラブリーが手渡した布製のポーチを、恭しく銀の盆の上に乗せました。
そして、その盆を四人の屈強な無言の従者が持ち上げ、さらにその上から防弾魔法のシールドが展開されました。


「……殿下。これがあなたの『普通』ですの?」


「そうだよ。指針第4条第2項。『女性の荷物は、男性が責任を持って、宇宙からの隕石落下にも耐えうる環境で運搬すべし』。……非常に一般的だろう?」


「どこがですのーっ! 重いですわ! 設定も物理的な防護も重すぎますわよ!」


ラブリーが絶叫すると、クロードは困惑したように指針をめくりました。


「おかしいな……。では、次は第12条。『歩くスピードを合わせる』だ。……さあ、ラブリー、歩き出そう。私が君の歩幅をミリ単位で予測し、一歩ごとに地面の硬さを最適化するからね」


「地面の硬さを最適化……?」


ラブリーが恐る恐る一歩踏み出すと、彼女が足を下ろす寸前に、クロードが指をパチンと鳴らしました。
すると、石畳が瞬時に柔らかいクッション状に変形し、彼女の足を優しく包み込んだのです。


「……ミリー様。これ、普通に歩くより疲れますわ。足元がフカフカすぎて、酔ってしまいます」


「ラブリー様、諦めてください。殿下にとっての『普通』は、対象を神殿に祀り上げて愛でるのと同義なんですもの」


ミリーがメモ帳に『第25話:殿下の普通=全自動・超精密・神格化サポート』と、絶望の筆致で書き込みました。


「……殿下。もう結構ですわ。あなたが『普通』になろうとすればするほど、世界の物理法則が乱れてしまいます。……それより、もっと別の……こう、言葉で愛を伝えてくださるだけでいいんですの」


ラブリーが溜息混じりに言うと、クロードの瞳が怪しく輝きました。


「言葉……。なるほど、非物理的なアプローチだね。……では、用意した『普通の発言リスト』から選ぼう。……コホン。……『ラブリー、今日の君は昨日より0.003%ほど輝きが増しているね。その光を吸収するために、太陽を少しだけ西にずらしておいたよ』」


「太陽を動かさないでくださいまし! 異常気象になりますわ!」


「……ダメかい? ではこれだ。『君の瞳の中に、私の心という名の銀河が吸い込まれていく。……あ、吸い込まれすぎたから、今、宇宙を少し拡張しておいた』」


「規模が大きすぎて、愛というより天変地異ですわよ!」


ラブリーは、ついに膝から崩れ落ちました。
クロードは慌てて彼女を抱き留めようとしましたが、またしても「自動・安全・受け止めシステム」が発動し、彼女の体は宙に浮いたまま優しくソファへと運ばれました。


「……殿下。あなたは、どうしても私に『普通』の苦労をさせてくださらないんですのね」


「苦労? そんな不衛生なものを君に贈るわけがないだろう。……君が望むなら、私は『普通』という概念そのものを、私の定義に書き換えてしまおう。……そう、世界中が、君を過保護に扱うのが『当たり前』になるようにね」


クロードが、至福の表情でラブリーの髪を撫でました。
それは、もはや一国の王子の発言ではなく、一人の狂信的な信者の誓いのようでした。


「……ミリー様。私、もうこのまま殿下の『定義』の中で生きていくしかないのかしら」


「……それが一番安全で、一番騒がしい人生でしょうね、ラブリー様」


自由を求めた悪役令嬢は、ついに「クロードが支配する、新世界の常識」へと飲み込まれていくのでした。
ミリーのメモ帳には、『候補者:全滅。普通:絶滅。愛:世界改変レベルへ到達』と、壮大な一文が刻まれました。
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