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パーティー会場の外、校門へと続く並木道。
カシアン閣下の怪しげな勧誘に応じた直後、背後から地鳴りのような怒鳴り声が響いた。
「待て! ミリアーナ! 貴様、どこへ行くつもりだ!」
振り返ると、そこには顔を真っ赤にして激昂する父、オーブリー公爵が立っていた。
その後ろには、まだ鼻を押さえているウィルフレッド王子と、勝ち誇った顔のルルアさんも引き連れている。
私は、ゆっくりとため息をついた。
「……お父様。そんなに大声を出すと、血管が切れて余計な医療費がかかりますわよ。ただでさえ、先ほど婚約が破棄されたことで、我が家の株価は暴落の危機にあるというのに、無駄なエネルギーを使うのはおやめなさい」
「黙れ! 王子殿下にあんな恥をかかせて、タダで済むと思っているのか! 今すぐ戻って土下座し、婚約継続を懇願しろ! さもなくば、お前をこの場で勘当し、修道院へ送る!」
お父様の言葉に、ウィルフレッド様が鼻を高くして頷く。
鼻毛が出ていないか、しきりに気にしているようだが。
「そうだ、ミリアーナ。今ならまだ許してやらんこともない。ルルアを側妃として認め、お前は影で俺を支える奴隷として働くならな!」
「……。閣下、今の発言をお聞きになりましたか?」
私は隣に立つカシアン閣下に話を振った。
閣下は、まるで極上の喜劇を観賞しているかのように、優雅に顎をさすっている。
「ああ。実に見事な『無能の三重奏』だね。特に王子の『奴隷として働くなら許す』というセリフ。国際法に照らし合わせても、人道的見地から見ても、これほど救いようのない失言はなかなかない」
「だ、誰だ貴様は!」
お父様がカシアン閣下を指差す。
カシアン閣下は、フッと冷ややかな笑みを浮かべ、懐から公爵家の紋章が入った手袋を地面に叩きつけた。
「隣国のカシアン・ノルド・グランヴィルだ。今この瞬間から、ミリアーナ嬢は私の専属秘書であり、グランヴィル家の庇護下に置かれる。彼女を修道院に送るというのなら、それは我が国への宣戦布告と受け取っても構わないが?」
会場の外にまで響き渡るような、威厳のある声。
「氷の軍神」としての顔を覗かせた閣下の迫力に、お父様も王子も蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
「ぐ、グランヴィル公爵……!? なぜ、こんな落ちこぼれの娘を……」
「落ちこぼれ? お父様、その認識のズレこそが、あなたが万年、王国議会で平議員に甘んじている理由ですわ。この私がいたからこそ、オーブリー家の領地経営は赤字を出さずに済んでいた。明日から、誰が帳簿の整合性を取ると思っていらっしゃるの?」
私は一歩前に出ると、お父様の胸ぐら……ではなく、曲がった勲章を真っ直ぐに直してあげた。
「いいですか。私が去った後の書斎、三番目の棚にある青いファイルは絶対に触らないでください。それは、あなたが行った『帳簿外の交際費』の証拠集めですから。私がいない間にそれを燃やそうとしても無駄ですわ。複写を既に信頼できる場所に預けてあります」
「な、ななな……っ!」
「それとウィルフレッド様。私を奴隷にしたいのなら、まずはご自分の算術レベルを公文式からやり直すことですわね。あなたが三桁の掛け算を間違えるたびに、私がどれだけ胃を痛めていたか、想像もつかないでしょう?」
「お、お前……そこまで言わなくても……!」
「言わないと分からないから、あなたは二十歳になっても自分の鼻毛の管理すらできないのです。……行きましょう、閣下。これ以上ここにいても、私の脳細胞が死滅するスピードが速まるだけですわ」
私がカシアン閣下を促すと、彼はこれ以上ないほど幸せそうな声を上げた。
「脳細胞の死滅! いい、ゾクゾクするねミリアーナ! 君の言葉は、まるで鋭利なメスで贅肉を削ぎ落とされるような、そんな清涼感がある!」
「……。閣下、その『変態の三重奏』みたいな喜び方は、私の前だけにしておいてください。外聞が悪すぎます」
「ああ、もちろんだ。君に叱られる権利は、私だけの特権だからね」
カシアン閣下は意気揚々と、待機させていた豪華な馬車の扉を開けた。
グランヴィル家の紋章が刻まれたその馬車は、王家のものよりも遥かに堅牢で、洗練されている。
乗り込む直前、私は最後にもう一度だけ振り返った。
「お父様、さようなら。今まで育てていただいた分の費用は、先ほど言った『青いファイル』を公表しないこととの相殺、ということで手を打ちましょう。二度とお会いすることはないと思いますわ」
「ま、待て! ミリアーナ! 誰が帳簿をつけるんだ! おい!」
叫び声を上げる父と、呆然と立ち尽くす王子。
そして、何が起きたのか理解できず「え、えぇ……?」とマヌケな声を漏らすルルアさん。
私は彼らを視界から排除し、馬車の中へと滑り込んだ。
扉が閉まり、馬車がゆっくりと動き出す。
「……ふぅ。疲れましたわ」
「お疲れ様。最高のショーだったよ、ミリアーナ。君は今日、この国で一番価値のある自由を手に入れたんだ」
対面に座るカシアン閣下が、ワイングラスを差し出してきた。
私はそれを無視して、馬車の座席の隙間に溜まっていた僅かなホコリを指でなぞった。
「閣下。自由を手に入れた感想を言う前に、この馬車の清掃状況について小一時間ほど問い詰めたいのですが、よろしいかしら? 隙間にホコリが溜まっているのは、使用人の教育が行き届いていない証拠。ひいては主人の管理能力不足です」
「……! いいぞ、初仕事だ! さあ、私の管理能力のなさを、もっと詳しく、徹底的に罵ってくれ!」
「……本当に、前途多難ですわね。この公爵邸、まずは大掃除から始める必要がありそうです」
私は窓の外に流れる夜景を見つめながら、これから始まる「変態公爵更生計画」の第一歩を噛み締めた。
もう、誰も私を縛ることはできない。
私の正論が、この変な男を救うのか、あるいは破滅させるのか。
それは、神のみぞ知る……といったところかしら。
カシアン閣下の怪しげな勧誘に応じた直後、背後から地鳴りのような怒鳴り声が響いた。
「待て! ミリアーナ! 貴様、どこへ行くつもりだ!」
振り返ると、そこには顔を真っ赤にして激昂する父、オーブリー公爵が立っていた。
その後ろには、まだ鼻を押さえているウィルフレッド王子と、勝ち誇った顔のルルアさんも引き連れている。
私は、ゆっくりとため息をついた。
「……お父様。そんなに大声を出すと、血管が切れて余計な医療費がかかりますわよ。ただでさえ、先ほど婚約が破棄されたことで、我が家の株価は暴落の危機にあるというのに、無駄なエネルギーを使うのはおやめなさい」
「黙れ! 王子殿下にあんな恥をかかせて、タダで済むと思っているのか! 今すぐ戻って土下座し、婚約継続を懇願しろ! さもなくば、お前をこの場で勘当し、修道院へ送る!」
お父様の言葉に、ウィルフレッド様が鼻を高くして頷く。
鼻毛が出ていないか、しきりに気にしているようだが。
「そうだ、ミリアーナ。今ならまだ許してやらんこともない。ルルアを側妃として認め、お前は影で俺を支える奴隷として働くならな!」
「……。閣下、今の発言をお聞きになりましたか?」
私は隣に立つカシアン閣下に話を振った。
閣下は、まるで極上の喜劇を観賞しているかのように、優雅に顎をさすっている。
「ああ。実に見事な『無能の三重奏』だね。特に王子の『奴隷として働くなら許す』というセリフ。国際法に照らし合わせても、人道的見地から見ても、これほど救いようのない失言はなかなかない」
「だ、誰だ貴様は!」
お父様がカシアン閣下を指差す。
カシアン閣下は、フッと冷ややかな笑みを浮かべ、懐から公爵家の紋章が入った手袋を地面に叩きつけた。
「隣国のカシアン・ノルド・グランヴィルだ。今この瞬間から、ミリアーナ嬢は私の専属秘書であり、グランヴィル家の庇護下に置かれる。彼女を修道院に送るというのなら、それは我が国への宣戦布告と受け取っても構わないが?」
会場の外にまで響き渡るような、威厳のある声。
「氷の軍神」としての顔を覗かせた閣下の迫力に、お父様も王子も蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
「ぐ、グランヴィル公爵……!? なぜ、こんな落ちこぼれの娘を……」
「落ちこぼれ? お父様、その認識のズレこそが、あなたが万年、王国議会で平議員に甘んじている理由ですわ。この私がいたからこそ、オーブリー家の領地経営は赤字を出さずに済んでいた。明日から、誰が帳簿の整合性を取ると思っていらっしゃるの?」
私は一歩前に出ると、お父様の胸ぐら……ではなく、曲がった勲章を真っ直ぐに直してあげた。
「いいですか。私が去った後の書斎、三番目の棚にある青いファイルは絶対に触らないでください。それは、あなたが行った『帳簿外の交際費』の証拠集めですから。私がいない間にそれを燃やそうとしても無駄ですわ。複写を既に信頼できる場所に預けてあります」
「な、ななな……っ!」
「それとウィルフレッド様。私を奴隷にしたいのなら、まずはご自分の算術レベルを公文式からやり直すことですわね。あなたが三桁の掛け算を間違えるたびに、私がどれだけ胃を痛めていたか、想像もつかないでしょう?」
「お、お前……そこまで言わなくても……!」
「言わないと分からないから、あなたは二十歳になっても自分の鼻毛の管理すらできないのです。……行きましょう、閣下。これ以上ここにいても、私の脳細胞が死滅するスピードが速まるだけですわ」
私がカシアン閣下を促すと、彼はこれ以上ないほど幸せそうな声を上げた。
「脳細胞の死滅! いい、ゾクゾクするねミリアーナ! 君の言葉は、まるで鋭利なメスで贅肉を削ぎ落とされるような、そんな清涼感がある!」
「……。閣下、その『変態の三重奏』みたいな喜び方は、私の前だけにしておいてください。外聞が悪すぎます」
「ああ、もちろんだ。君に叱られる権利は、私だけの特権だからね」
カシアン閣下は意気揚々と、待機させていた豪華な馬車の扉を開けた。
グランヴィル家の紋章が刻まれたその馬車は、王家のものよりも遥かに堅牢で、洗練されている。
乗り込む直前、私は最後にもう一度だけ振り返った。
「お父様、さようなら。今まで育てていただいた分の費用は、先ほど言った『青いファイル』を公表しないこととの相殺、ということで手を打ちましょう。二度とお会いすることはないと思いますわ」
「ま、待て! ミリアーナ! 誰が帳簿をつけるんだ! おい!」
叫び声を上げる父と、呆然と立ち尽くす王子。
そして、何が起きたのか理解できず「え、えぇ……?」とマヌケな声を漏らすルルアさん。
私は彼らを視界から排除し、馬車の中へと滑り込んだ。
扉が閉まり、馬車がゆっくりと動き出す。
「……ふぅ。疲れましたわ」
「お疲れ様。最高のショーだったよ、ミリアーナ。君は今日、この国で一番価値のある自由を手に入れたんだ」
対面に座るカシアン閣下が、ワイングラスを差し出してきた。
私はそれを無視して、馬車の座席の隙間に溜まっていた僅かなホコリを指でなぞった。
「閣下。自由を手に入れた感想を言う前に、この馬車の清掃状況について小一時間ほど問い詰めたいのですが、よろしいかしら? 隙間にホコリが溜まっているのは、使用人の教育が行き届いていない証拠。ひいては主人の管理能力不足です」
「……! いいぞ、初仕事だ! さあ、私の管理能力のなさを、もっと詳しく、徹底的に罵ってくれ!」
「……本当に、前途多難ですわね。この公爵邸、まずは大掃除から始める必要がありそうです」
私は窓の外に流れる夜景を見つめながら、これから始まる「変態公爵更生計画」の第一歩を噛み締めた。
もう、誰も私を縛ることはできない。
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