6 / 28
6
しおりを挟む
馬車に揺られること数時間、私たちは隣国・グランヴィル公爵領の広大な敷地へと足を踏み入れた。
目の前に現れたのは、歴史と伝統を感じさせる壮麗な白亜の城……ではなく、あまりにも装飾が過剰で、維持費が国家予算を圧迫していそうな巨大な邸宅だった。
私は馬車を降りるなり、手帳を開いて邸宅の外観を鋭く睨みつけた。
「……閣下。一つ伺ってもよろしいかしら?」
「なんだい、ミリアーナ。我が愛しの毒舌秘書よ。この邸宅の美しさに言葉を失ったかな?」
「いいえ。この邸宅の『無駄な維持費』を想像して、胃が痛くなっただけですわ。見てください、あの屋根に鎮座している金色のガーゴイル。あのような複雑な形状の像は、鳥の糞が溜まりやすく、清掃コストが通常の三倍はかかります。今すぐ撤去して、シンプルな雨どいに変更することを強く進言いたします」
「……! いきなり建物の構造から否定してくれるのか! 素晴らしい、その『効率の鬼』っぷり!」
カシアン閣下は一人で悶えているが、私は構わず正門へと進んだ。
そこには、閣下の帰還を待ちわびていたであろう数十人の使用人たちが、一列に並んで深々と頭を下げていた。
「お帰りなさいませ、閣下!」
一糸乱れぬ挨拶。
普通なら「教育が行き届いている」と感心するところだろうが、私の目は誤魔化せない。
「……。閣下、早速ですが初仕事に取り掛からせていただきます。……そこの、右から三番目のメイド」
「は、はい!?」
名指しされた若いメイドが、びくりと肩を揺らした。
「あなたのエプロン、右のポケットに甘菓子(キャンディ)の包み紙が入っていますわね。待機中に間食をしていた証拠です。それから、そちらの執事。靴の磨き方が甘い。つま先の光沢が周囲の石畳と調和していません。お客様を迎える準備としては二流以下ですわ」
「な、な……っ。何だ、この無礼な女は!」
年配の執事長が顔を真っ赤にして前に出た。
しかし、カシアン閣下がそれを手で制した。
「控えろ。彼女は今日から私の専属秘書であり、この屋敷の全権を握るミリアーナ・オーブリー嬢だ。彼女の言葉は、私の言葉だと思え」
「で、ですが閣下! このような小娘に何が分かると……」
「『分かると……』ではありませんわよ、執事長。私はオーブリー公爵邸の管理を十歳から任されておりました。この規模の屋敷なら、使用人の数は現在の三分の二で十分に回せます。つまり、残りの三分の一は、閣下の慈悲に甘えて給料を泥棒している『装飾品』と同じですわ」
私の冷徹な宣告に、並んでいた使用人たちの間に戦慄が走った。
「……さて。閣下、まずは帳簿を見せていただきます。それから、各部屋の清掃チェックリストと、食材の仕入れルートの明細。これらを確認するまで、私は一歩も動きません。もちろん、閣下への『生活態度改善命令』も同時並行で行いますわよ」
「いいぞ、やってくれ! まずはどこから始める?」
「決まっていますわ。あなたのその、無駄に広い執務室です。書類が山積みになっているのが外からでも想像できます。……行きましょう。ぐずぐずしている時間は、一秒ごとに金貨をドブに捨てているのと同じですわ」
私はカシアン閣下を先導するように屋敷の中へと突き進んだ。
執事長たちが後ろで「あ、あの女、魔女じゃないのか……」と囁いているのが聞こえたが、私はふっと鼻で笑った。
魔女? 心外ですわね。
私はただの、整理整頓が大好きな「元」公役令嬢です。
執務室の重厚な扉を開けると、案の定、そこはカオスの極みだった。
机の上には読みかけの本と書類が混ざり合い、ソファには脱ぎ捨てられた上着が放置されている。
「……。閣下、三秒だけ時間をあげます。この惨状に対する、納得のいく言い訳をどうぞ」
「あ、いや、これは……忙しくて手が回らなくて……」
「不合格です。忙しいのは能力不足の言い訳になりません。……いいですか、整理整頓ができない人間は、頭の中も散らかっています。頭の中が散らかっている人間に、領民の命を預かる資格はありませんわ。今すぐその上着を畳みなさい! でなければ、私が窓から放り捨てます!」
「……! 放り捨ててくれるのか! ああ、その冷たい眼差し、たまらない……!」
「喜んでいないで動く! ……それから執事長! あなたも見ていないで、今すぐこの部屋のホコリを検知する道具を持ってきなさい。私の指先が黒くなったら、あなたの解雇通知書をその場で作成しますわよ」
屋敷中に、私の叱咤激励(という名の罵倒)が響き渡った。
カシアン閣下の屋敷は、今日から私の「戦場」になった。
私は山積みの書類の一番上を手に取り、最初の一行を読み終える前に、赤ペンで大きくバツ印を書いた。
「……お粗末。閣下、この予算案を書いた者を今すぐここに呼びなさい。私が一時間かけて、算数から教え直してあげますわ」
「……ふふ、ミリアーナ。君がこの屋敷に来てくれて、本当によかった。……ああ、叱られるって、なんて豊かな時間なんだ……」
変態的な喜びを隠さない主人と、恐怖に震える使用人たち。
そして、冷徹にペンを振るう私。
グランヴィル公爵邸の「革命」は、こうして幕を開けたのである。
目の前に現れたのは、歴史と伝統を感じさせる壮麗な白亜の城……ではなく、あまりにも装飾が過剰で、維持費が国家予算を圧迫していそうな巨大な邸宅だった。
私は馬車を降りるなり、手帳を開いて邸宅の外観を鋭く睨みつけた。
「……閣下。一つ伺ってもよろしいかしら?」
「なんだい、ミリアーナ。我が愛しの毒舌秘書よ。この邸宅の美しさに言葉を失ったかな?」
「いいえ。この邸宅の『無駄な維持費』を想像して、胃が痛くなっただけですわ。見てください、あの屋根に鎮座している金色のガーゴイル。あのような複雑な形状の像は、鳥の糞が溜まりやすく、清掃コストが通常の三倍はかかります。今すぐ撤去して、シンプルな雨どいに変更することを強く進言いたします」
「……! いきなり建物の構造から否定してくれるのか! 素晴らしい、その『効率の鬼』っぷり!」
カシアン閣下は一人で悶えているが、私は構わず正門へと進んだ。
そこには、閣下の帰還を待ちわびていたであろう数十人の使用人たちが、一列に並んで深々と頭を下げていた。
「お帰りなさいませ、閣下!」
一糸乱れぬ挨拶。
普通なら「教育が行き届いている」と感心するところだろうが、私の目は誤魔化せない。
「……。閣下、早速ですが初仕事に取り掛からせていただきます。……そこの、右から三番目のメイド」
「は、はい!?」
名指しされた若いメイドが、びくりと肩を揺らした。
「あなたのエプロン、右のポケットに甘菓子(キャンディ)の包み紙が入っていますわね。待機中に間食をしていた証拠です。それから、そちらの執事。靴の磨き方が甘い。つま先の光沢が周囲の石畳と調和していません。お客様を迎える準備としては二流以下ですわ」
「な、な……っ。何だ、この無礼な女は!」
年配の執事長が顔を真っ赤にして前に出た。
しかし、カシアン閣下がそれを手で制した。
「控えろ。彼女は今日から私の専属秘書であり、この屋敷の全権を握るミリアーナ・オーブリー嬢だ。彼女の言葉は、私の言葉だと思え」
「で、ですが閣下! このような小娘に何が分かると……」
「『分かると……』ではありませんわよ、執事長。私はオーブリー公爵邸の管理を十歳から任されておりました。この規模の屋敷なら、使用人の数は現在の三分の二で十分に回せます。つまり、残りの三分の一は、閣下の慈悲に甘えて給料を泥棒している『装飾品』と同じですわ」
私の冷徹な宣告に、並んでいた使用人たちの間に戦慄が走った。
「……さて。閣下、まずは帳簿を見せていただきます。それから、各部屋の清掃チェックリストと、食材の仕入れルートの明細。これらを確認するまで、私は一歩も動きません。もちろん、閣下への『生活態度改善命令』も同時並行で行いますわよ」
「いいぞ、やってくれ! まずはどこから始める?」
「決まっていますわ。あなたのその、無駄に広い執務室です。書類が山積みになっているのが外からでも想像できます。……行きましょう。ぐずぐずしている時間は、一秒ごとに金貨をドブに捨てているのと同じですわ」
私はカシアン閣下を先導するように屋敷の中へと突き進んだ。
執事長たちが後ろで「あ、あの女、魔女じゃないのか……」と囁いているのが聞こえたが、私はふっと鼻で笑った。
魔女? 心外ですわね。
私はただの、整理整頓が大好きな「元」公役令嬢です。
執務室の重厚な扉を開けると、案の定、そこはカオスの極みだった。
机の上には読みかけの本と書類が混ざり合い、ソファには脱ぎ捨てられた上着が放置されている。
「……。閣下、三秒だけ時間をあげます。この惨状に対する、納得のいく言い訳をどうぞ」
「あ、いや、これは……忙しくて手が回らなくて……」
「不合格です。忙しいのは能力不足の言い訳になりません。……いいですか、整理整頓ができない人間は、頭の中も散らかっています。頭の中が散らかっている人間に、領民の命を預かる資格はありませんわ。今すぐその上着を畳みなさい! でなければ、私が窓から放り捨てます!」
「……! 放り捨ててくれるのか! ああ、その冷たい眼差し、たまらない……!」
「喜んでいないで動く! ……それから執事長! あなたも見ていないで、今すぐこの部屋のホコリを検知する道具を持ってきなさい。私の指先が黒くなったら、あなたの解雇通知書をその場で作成しますわよ」
屋敷中に、私の叱咤激励(という名の罵倒)が響き渡った。
カシアン閣下の屋敷は、今日から私の「戦場」になった。
私は山積みの書類の一番上を手に取り、最初の一行を読み終える前に、赤ペンで大きくバツ印を書いた。
「……お粗末。閣下、この予算案を書いた者を今すぐここに呼びなさい。私が一時間かけて、算数から教え直してあげますわ」
「……ふふ、ミリアーナ。君がこの屋敷に来てくれて、本当によかった。……ああ、叱られるって、なんて豊かな時間なんだ……」
変態的な喜びを隠さない主人と、恐怖に震える使用人たち。
そして、冷徹にペンを振るう私。
グランヴィル公爵邸の「革命」は、こうして幕を開けたのである。
0
あなたにおすすめの小説
一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。
木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」
結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。
彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。
身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。
こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。
マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。
「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」
一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。
それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。
それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。
夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。
妻よりも幼馴染が大事? なら、家と慰謝料はいただきます
佐藤 美奈
恋愛
公爵令嬢セリーヌは、隣国の王子ブラッドと政略結婚を果たし、幼い娘クロエを授かる。結婚後は夫の王領の離宮で暮らし、義王家とも程よい関係を保ち、領民に親しまれながら穏やかな日々を送っていた。
しかし数ヶ月前、ブラッドの幼馴染である伯爵令嬢エミリーが離縁され、娘アリスを連れて実家に戻ってきた。元は豊かな家柄だが、母子は生活に困っていた。
ブラッドは「昔から家族同然だ」として、エミリー母子を城に招き、衣装や馬車を手配し、催しにも同席させ、クロエとアリスを遊ばせるように勧めた。
セリーヌは王太子妃として堪えようとしたが、だんだんと不満が高まる。
頑張らない政略結婚
ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」
結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。
好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。
ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ!
五話完結、毎日更新
勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。
いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。
ただし、後のことはどうなっても知りませんよ?
* 他サイトでも投稿
* ショートショートです。あっさり終わります
自発的に失踪していた夫が、三年振りに戻ってきました。「もう一度やり直したい?」そんな都合のいいことがよく言えますね。
木山楽斗
恋愛
セレント公爵家の夫人であるエファーナは、夫であるフライグが失踪してから、彼の前妻の子供であるバルートと暮らしていた。
色々と大変なことはあったが、それでも二人は仲良く暮らしていた。実の親子ではないが、エファーナとバルートの間には確かな絆があったのだ。
そんな二人の前に、三年前に失踪したフライグが帰って来た。
彼は、失踪したことを反省して、「もう一度やり直したい」と二人に言ってきたのである。
しかし、二人にとってそれは許せないことだった。
身勝手な理由で捨てられた後、二人で手を取り合って頑張って来た二人は、彼を切り捨てるのだった。
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
あなたのことなんて、もうどうでもいいです
もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。
元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる