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執務室の窓から差し込む午後の光が、カシアン閣下の机を照らしている。
私は彼の隣で、領地の収支報告書を冷徹な手つきで仕分けしていた。
カサリ、と書類をめくる音だけが響く静謐な空間。
……のはずなのだが、先ほどから隣でペンを握っているはずの男が、微動だにしない。
私は視線だけを横に向けると、案の定、カシアン閣下が頬杖をつきながら、うっとりとした目でこちらを凝視していた。
「……閣下。あなたの瞳は、書類ではなく私の顔に固定されているようですが。私の顔面には、領地の納税額でも印字されているのですか?」
「いや、違うんだ、ミリアーナ。君が真剣な表情で赤ペンを走らせるたびに、その指先から零れる効率的なオーラが、私を浄化していくようでね。……ああ、その蔑むような冷たい視線。それだけで、今日の午後の紅茶は砂糖抜きでも十分に甘いよ」
私は手に持っていた報告書を、机の上に叩きつけた。
「砂糖抜きどころか、脳みそが溶け出しているのではないですか? 閣下、あなたがそうして無駄な時間を一秒過ごすごとに、領民三人が路頭に迷う可能性があるという自覚を持ちなさい。公爵という地位は、あなたの変態的な妄想を満たすための椅子ではありませんわ」
「『変態的な妄想』! ついに語彙が一段階上がったね! 素晴らしい。……それで、次は? 次はどんな言葉で私を断罪してくれるんだい?」
「……。閣下、お聞きなさい。あなたは先ほどから、この予算案の三ページ目から一歩も進んでいません。それは、あなたの知能が三歳児レベルで停滞していることを証明しているのか、あるいは単なる職務放棄か、どちらですか? 答える価値もありませんが、私は前者だと確信していますわ」
カシアン閣下は、ガタガタと肩を震わせながら、深く長い吐息を漏らした。
その表情には、もはや隠しようのない法悦が浮かんでいる。
「……ふぅ。最高だ。ミリアーナ、君に『三歳児レベル』と罵られると、自分の存在が根底から否定されるようで、言葉にできない解放感を感じる。……おっと、忘れるところだった。これは今日の分の『ご褒美』だ」
そう言って閣下が取り出したのは、掌に乗るほど小さな、しかし細工が驚くほど精巧な小箱だった。
開かれた中には、大粒のダイヤモンドが埋め込まれたブローチが輝いている。
「昨日の掃除の礼だ。君の胸元で、その冷たい正論と共に輝いてほしいと思ってね」
私はその宝石を一瞥し、鼻で笑った。
「……閣下。あなたはやはり、救いようのない無能ですわね。これを私に渡して、どうしろとおっしゃるのですか?」
「えっ? いや、身につけてくれれば……」
「これを身につけて、私は床を磨けとおっしゃるの? それとも、これを換金して新しい掃除用具を買い揃えろと? ダイヤモンドは硬度こそ高いですが、窓ガラスの汚れを落とすには不向きです。それに、このような過剰な装飾品は、私の機動力を削ぐ以外の何物でもありませんわ」
私はブローチを箱ごと閣下の手に押し返した。
「第一、私が求めているのは、使い道のない石ころではありません。私が求めているのは、あなたの完璧なスケジュール管理と、ミス一つない計算書です。……愛があるなら、宝石ではなく『正確な数字』を私に献上しなさい。それが秘書に対する最大の敬意ですわ」
「愛……!? 今、愛と言ったか、ミリアーナ!」
「……。文脈を理解できないのも、脳の欠陥の一つですわよ。比喩表現です。さあ、その石ころを今すぐ金庫に戻しなさい。そして、その代わりにこの五ページ目にある税率の矛盾点を、今すぐ論理的に説明しなさい。できない場合は、夕食のメインディッシュをセロリのみにします」
「セロリのみ……! ストイックな食生活への強制! ……いい、ゾクゾクするよ。分かった、今すぐこの矛盾を解決してみせよう。君の望む『正確な数字』こそが、最高の貢ぎ物になるというわけだね」
カシアン閣下は、今までにない集中力でペンを握り直した。
どうやらこの男、まともな褒賞を与えるよりも、「課題をこなさなければ罰(という名のご褒美)を与える」と言った方が、仕事の効率が上がるらしい。
……極めて扱いにくいですが、操縦の仕方は理解しましたわ。
私は閣下の横顔を冷ややかに見守りながら、自らもペンを手にとった。
この屋敷に来て一週間。
私の毒舌は、この公爵邸の隅々にまで浸透し、淀んでいた空気を少しずつ変え始めている。
ふと、私は窓の外……遥か彼方にある、かつての王都を思い浮かべた。
今頃、あのおバカな王子はどうしているかしら。
私のいない執務室で、ネクタイを曲げ、山積みの書類に埋もれて泣き言でも言っているのではないかしら。
「……。ふん、自業自得ですわね」
私は小さく独り言を漏らし、再び目の前の現実に……すなわち、嬉々として罵倒を浴びながら仕事に励む変態公爵の更生に、全神経を集中させることにした。
私の「可愛くない反撃」は、まだ始まったばかりなのだから。
私は彼の隣で、領地の収支報告書を冷徹な手つきで仕分けしていた。
カサリ、と書類をめくる音だけが響く静謐な空間。
……のはずなのだが、先ほどから隣でペンを握っているはずの男が、微動だにしない。
私は視線だけを横に向けると、案の定、カシアン閣下が頬杖をつきながら、うっとりとした目でこちらを凝視していた。
「……閣下。あなたの瞳は、書類ではなく私の顔に固定されているようですが。私の顔面には、領地の納税額でも印字されているのですか?」
「いや、違うんだ、ミリアーナ。君が真剣な表情で赤ペンを走らせるたびに、その指先から零れる効率的なオーラが、私を浄化していくようでね。……ああ、その蔑むような冷たい視線。それだけで、今日の午後の紅茶は砂糖抜きでも十分に甘いよ」
私は手に持っていた報告書を、机の上に叩きつけた。
「砂糖抜きどころか、脳みそが溶け出しているのではないですか? 閣下、あなたがそうして無駄な時間を一秒過ごすごとに、領民三人が路頭に迷う可能性があるという自覚を持ちなさい。公爵という地位は、あなたの変態的な妄想を満たすための椅子ではありませんわ」
「『変態的な妄想』! ついに語彙が一段階上がったね! 素晴らしい。……それで、次は? 次はどんな言葉で私を断罪してくれるんだい?」
「……。閣下、お聞きなさい。あなたは先ほどから、この予算案の三ページ目から一歩も進んでいません。それは、あなたの知能が三歳児レベルで停滞していることを証明しているのか、あるいは単なる職務放棄か、どちらですか? 答える価値もありませんが、私は前者だと確信していますわ」
カシアン閣下は、ガタガタと肩を震わせながら、深く長い吐息を漏らした。
その表情には、もはや隠しようのない法悦が浮かんでいる。
「……ふぅ。最高だ。ミリアーナ、君に『三歳児レベル』と罵られると、自分の存在が根底から否定されるようで、言葉にできない解放感を感じる。……おっと、忘れるところだった。これは今日の分の『ご褒美』だ」
そう言って閣下が取り出したのは、掌に乗るほど小さな、しかし細工が驚くほど精巧な小箱だった。
開かれた中には、大粒のダイヤモンドが埋め込まれたブローチが輝いている。
「昨日の掃除の礼だ。君の胸元で、その冷たい正論と共に輝いてほしいと思ってね」
私はその宝石を一瞥し、鼻で笑った。
「……閣下。あなたはやはり、救いようのない無能ですわね。これを私に渡して、どうしろとおっしゃるのですか?」
「えっ? いや、身につけてくれれば……」
「これを身につけて、私は床を磨けとおっしゃるの? それとも、これを換金して新しい掃除用具を買い揃えろと? ダイヤモンドは硬度こそ高いですが、窓ガラスの汚れを落とすには不向きです。それに、このような過剰な装飾品は、私の機動力を削ぐ以外の何物でもありませんわ」
私はブローチを箱ごと閣下の手に押し返した。
「第一、私が求めているのは、使い道のない石ころではありません。私が求めているのは、あなたの完璧なスケジュール管理と、ミス一つない計算書です。……愛があるなら、宝石ではなく『正確な数字』を私に献上しなさい。それが秘書に対する最大の敬意ですわ」
「愛……!? 今、愛と言ったか、ミリアーナ!」
「……。文脈を理解できないのも、脳の欠陥の一つですわよ。比喩表現です。さあ、その石ころを今すぐ金庫に戻しなさい。そして、その代わりにこの五ページ目にある税率の矛盾点を、今すぐ論理的に説明しなさい。できない場合は、夕食のメインディッシュをセロリのみにします」
「セロリのみ……! ストイックな食生活への強制! ……いい、ゾクゾクするよ。分かった、今すぐこの矛盾を解決してみせよう。君の望む『正確な数字』こそが、最高の貢ぎ物になるというわけだね」
カシアン閣下は、今までにない集中力でペンを握り直した。
どうやらこの男、まともな褒賞を与えるよりも、「課題をこなさなければ罰(という名のご褒美)を与える」と言った方が、仕事の効率が上がるらしい。
……極めて扱いにくいですが、操縦の仕方は理解しましたわ。
私は閣下の横顔を冷ややかに見守りながら、自らもペンを手にとった。
この屋敷に来て一週間。
私の毒舌は、この公爵邸の隅々にまで浸透し、淀んでいた空気を少しずつ変え始めている。
ふと、私は窓の外……遥か彼方にある、かつての王都を思い浮かべた。
今頃、あのおバカな王子はどうしているかしら。
私のいない執務室で、ネクタイを曲げ、山積みの書類に埋もれて泣き言でも言っているのではないかしら。
「……。ふん、自業自得ですわね」
私は小さく独り言を漏らし、再び目の前の現実に……すなわち、嬉々として罵倒を浴びながら仕事に励む変態公爵の更生に、全神経を集中させることにした。
私の「可愛くない反撃」は、まだ始まったばかりなのだから。
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