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ウィルフレッド様とルルアさんをその場に残し、私たちは再び舞踏会の中心へと戻った。
カシアン閣下は、上機嫌でシャンパングラスを二つ受け取り、その一つを私に差し出した。
「……乾杯しようか、ミリアーナ。君の完璧な『ゴミ処理能力』と、私たちの未来に」
「……。未来については保留ですが、ゴミ処理の成功については同意しますわ。……ですが閣下、このシャンパン、泡の立ち方が弱いですわね。保存状態が悪く、炭酸ガスが抜けています。このような気の抜けた飲料を提供することは、主催者の怠慢を意味しますわ」
私がグラスの中の哀れな泡を見つめていると、背後から強烈な殺気――いえ、もっと質の悪い、粘着質な嫉妬の気配を感じた。
「……あら。どうやら、まだ学習能力のない害虫が、懲りずに近づいてきているようですわね」
私はグラスの縁に映り込んだ景色で、背後の状況を確認した。
そこには、先ほどの「ほつれ騒動」から立ち直り、顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけるルルアさんの姿があった。
彼女の手には、なみなみと注がれた赤ワインのグラスが握られている。
その視線は、私のミッドナイトブルーのドレスに固定されていた。
(……なるほど。典型的な『わざと転んでドレスを汚す』作戦ですわね。芸がありませんわ)
私は小さくため息をついた。
そんない古臭い手法が、この私に通用すると本気で思っているのだろうか。
彼女の行動予測は、あまりにも単純で非効率的だ。
「……きゃあぁぁ! ミリアーナ様ぁ、危ないですぅ!」
甲高い悲鳴と共に、ルルアさんが不自然な体勢で突っ込んできた。
彼女の足は、何もない平坦な床で「意図的に」もつれている。
手にしたグラスから、真っ赤な液体が私のドレスに向かって放物線を描こうとしていた。
「……。角度が甘いですわ」
私は冷静に呟き、右足を軸にして体を半回転させた。
カシアン閣下にエスコートされたままの優雅なターン。
私のドレスの裾がふわりと舞い、ルルアさんが狙った場所から完璧に退避する。
その結果。
ルルアさんは、目標を失った赤ワインと共に、自らが作り出した運動エネルギーを制御しきれず、そのまま前のめりに床へとダイブした。
バシャァァン! ドサァッ!
派手な音と共に、グラスが砕け散り、赤ワインが床に広がる。
そして、その中心には、ピンク色のフリルドレスを無残な赤色に染めたルルアさんが、カエルのように這いつくばっていた。
会場の喧騒が一瞬で止まり、静寂が訪れる。
そして次の瞬間、クスクスという忍び笑いが、波紋のように広がり始めた。
「……。……っ、う、うぇぇぇん! ひどいですわぁ! ミリアーナ様が避けるからぁ!」
ルルアさんが顔を上げ、涙とワインでぐしゃぐしゃになった顔で私を睨んだ。
私は扇をゆっくりと閉じ、彼女を見下ろした。
「……何を言っているのですか? ルルアさん。あなたが勝手に転んだだけでしょう? 私はただ、あなたの不規則な動きに巻き込まれないよう、適切な回避行動をとったまでです」
「で、でもぉ! 普通は、支えてくれるじゃないですかぁ! ルルア、か弱い女の子なのにぃ!」
「か弱い? ……ルルアさん。先ほどのあなたの突進速度と体重を計算すると、私があなたを支えた場合、私の腕に掛かる負荷は約六十キログラム。それをドレス姿の私が支えきれるとでも? 私はあなたのクッションではありませんわ」
私は手帳を取り出し、サラサラと計算式を書き殴った。
「それに、あなたの転倒原因。それは『悲劇のヒロインを演じるための演技力不足』と、決定的な『体幹の弱さ』ですわ。日頃から腹筋と背筋を鍛えていれば、あのような無様な体勢で崩れ落ちることはなかったはずです。……美しさを保ちたいなら、フリルを増やす前に筋肉を増やしなさい」
「き、筋肉ぅ!? レディに向かって筋肉だなんてぇ!」
「事実です。それから、そのドレス。ピンク地に赤ワインのシミは、色彩学的にも最悪の組み合わせですわね。まるで熟れすぎた桃が腐敗したような、ひどい有様です。修復不可能ですので、今すぐ焼却処分することをお勧めしますわ。不潔です」
「……っ!!」
ルルアさんは、あまりの屈辱に言葉を失い、その場で泣き崩れた。
周囲の貴族たちの視線は、もはや同情ではなく、完全な嘲笑に変わっている。
そこに、騒ぎを聞きつけたウィルフレッド様が駆けつけてきた。
「ル、ルルア! 何事だ! ……って、なんだその無様な格好は!」
「殿下ぁ! ミリアーナ様がぁ! ルルアを突き飛ばしたんですぅ!」
「なっ……! 貴様、ミリアーナ! 戻らないと言った挙げ句、ルルアに暴力を振るうとは!」
ウィルフレッド様が私に掴みかかろうとしたその時、カシアン閣下が私の前に立ちはだかった。
「……おっと。殿下。私の大切な秘書に、その汚れた手を触れないでいただきたい。彼女は何もしていない。君の婚約者が、勝手に自爆しただけだ。ここにいる全員が目撃者だよ」
閣下の氷のような視線に射すくめられ、ウィルフレッド様がたじろぐ。
「そ、そんなはずは……ルルアは被害者だ!」
「被害者? ええ、そうかもしれませんわね」
私は閣下の背後から顔を出し、冷ややかに言い放った。
「彼女は、自身の『無能さ』と『浅はかさ』の被害者ですわ。……殿下。このような、まともに歩くことすらできない方を王妃に迎えるつもりですか? 外交の場で転んでワインを撒き散らせば、それは国際問題になりますわよ? ……まあ、今のあなたにはお似合いかもしれませんけれど」
「くっ……お前……!」
「さあ、閣下。ここも空気が淀んできましたわ。不衛生な場所に長居すると、私の肌が荒れてしまいます。行きましょう」
私は赤ワインの海に沈む二人を一瞥し、カシアン閣下と共にその場を後にした。
背後で聞こえるルルアさんの泣き声と、王子の怒鳴り声は、私にとっては最高の「勝利のBGM」だった。
「……ふふ。素晴らしい回避行動だったよ、ミリアーナ。君の無駄のない動きは、芸術の域に達していた」
「……。当然ですわ。日頃からあなたの突発的な奇行を避けているおかげで、反射神経が鍛えられていますから」
「……! 私の奇行が君の役に立っている! ああ、なんて生産的な関係なんだ!」
私は、嬉しそうに私の腰を抱く変態公爵を見上げ、小さくため息をついた。
まあ、この男の隣にいる方が、あの泥沼にいるよりは、幾分かマシな人生かもしれませんわね。
カシアン閣下は、上機嫌でシャンパングラスを二つ受け取り、その一つを私に差し出した。
「……乾杯しようか、ミリアーナ。君の完璧な『ゴミ処理能力』と、私たちの未来に」
「……。未来については保留ですが、ゴミ処理の成功については同意しますわ。……ですが閣下、このシャンパン、泡の立ち方が弱いですわね。保存状態が悪く、炭酸ガスが抜けています。このような気の抜けた飲料を提供することは、主催者の怠慢を意味しますわ」
私がグラスの中の哀れな泡を見つめていると、背後から強烈な殺気――いえ、もっと質の悪い、粘着質な嫉妬の気配を感じた。
「……あら。どうやら、まだ学習能力のない害虫が、懲りずに近づいてきているようですわね」
私はグラスの縁に映り込んだ景色で、背後の状況を確認した。
そこには、先ほどの「ほつれ騒動」から立ち直り、顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけるルルアさんの姿があった。
彼女の手には、なみなみと注がれた赤ワインのグラスが握られている。
その視線は、私のミッドナイトブルーのドレスに固定されていた。
(……なるほど。典型的な『わざと転んでドレスを汚す』作戦ですわね。芸がありませんわ)
私は小さくため息をついた。
そんない古臭い手法が、この私に通用すると本気で思っているのだろうか。
彼女の行動予測は、あまりにも単純で非効率的だ。
「……きゃあぁぁ! ミリアーナ様ぁ、危ないですぅ!」
甲高い悲鳴と共に、ルルアさんが不自然な体勢で突っ込んできた。
彼女の足は、何もない平坦な床で「意図的に」もつれている。
手にしたグラスから、真っ赤な液体が私のドレスに向かって放物線を描こうとしていた。
「……。角度が甘いですわ」
私は冷静に呟き、右足を軸にして体を半回転させた。
カシアン閣下にエスコートされたままの優雅なターン。
私のドレスの裾がふわりと舞い、ルルアさんが狙った場所から完璧に退避する。
その結果。
ルルアさんは、目標を失った赤ワインと共に、自らが作り出した運動エネルギーを制御しきれず、そのまま前のめりに床へとダイブした。
バシャァァン! ドサァッ!
派手な音と共に、グラスが砕け散り、赤ワインが床に広がる。
そして、その中心には、ピンク色のフリルドレスを無残な赤色に染めたルルアさんが、カエルのように這いつくばっていた。
会場の喧騒が一瞬で止まり、静寂が訪れる。
そして次の瞬間、クスクスという忍び笑いが、波紋のように広がり始めた。
「……。……っ、う、うぇぇぇん! ひどいですわぁ! ミリアーナ様が避けるからぁ!」
ルルアさんが顔を上げ、涙とワインでぐしゃぐしゃになった顔で私を睨んだ。
私は扇をゆっくりと閉じ、彼女を見下ろした。
「……何を言っているのですか? ルルアさん。あなたが勝手に転んだだけでしょう? 私はただ、あなたの不規則な動きに巻き込まれないよう、適切な回避行動をとったまでです」
「で、でもぉ! 普通は、支えてくれるじゃないですかぁ! ルルア、か弱い女の子なのにぃ!」
「か弱い? ……ルルアさん。先ほどのあなたの突進速度と体重を計算すると、私があなたを支えた場合、私の腕に掛かる負荷は約六十キログラム。それをドレス姿の私が支えきれるとでも? 私はあなたのクッションではありませんわ」
私は手帳を取り出し、サラサラと計算式を書き殴った。
「それに、あなたの転倒原因。それは『悲劇のヒロインを演じるための演技力不足』と、決定的な『体幹の弱さ』ですわ。日頃から腹筋と背筋を鍛えていれば、あのような無様な体勢で崩れ落ちることはなかったはずです。……美しさを保ちたいなら、フリルを増やす前に筋肉を増やしなさい」
「き、筋肉ぅ!? レディに向かって筋肉だなんてぇ!」
「事実です。それから、そのドレス。ピンク地に赤ワインのシミは、色彩学的にも最悪の組み合わせですわね。まるで熟れすぎた桃が腐敗したような、ひどい有様です。修復不可能ですので、今すぐ焼却処分することをお勧めしますわ。不潔です」
「……っ!!」
ルルアさんは、あまりの屈辱に言葉を失い、その場で泣き崩れた。
周囲の貴族たちの視線は、もはや同情ではなく、完全な嘲笑に変わっている。
そこに、騒ぎを聞きつけたウィルフレッド様が駆けつけてきた。
「ル、ルルア! 何事だ! ……って、なんだその無様な格好は!」
「殿下ぁ! ミリアーナ様がぁ! ルルアを突き飛ばしたんですぅ!」
「なっ……! 貴様、ミリアーナ! 戻らないと言った挙げ句、ルルアに暴力を振るうとは!」
ウィルフレッド様が私に掴みかかろうとしたその時、カシアン閣下が私の前に立ちはだかった。
「……おっと。殿下。私の大切な秘書に、その汚れた手を触れないでいただきたい。彼女は何もしていない。君の婚約者が、勝手に自爆しただけだ。ここにいる全員が目撃者だよ」
閣下の氷のような視線に射すくめられ、ウィルフレッド様がたじろぐ。
「そ、そんなはずは……ルルアは被害者だ!」
「被害者? ええ、そうかもしれませんわね」
私は閣下の背後から顔を出し、冷ややかに言い放った。
「彼女は、自身の『無能さ』と『浅はかさ』の被害者ですわ。……殿下。このような、まともに歩くことすらできない方を王妃に迎えるつもりですか? 外交の場で転んでワインを撒き散らせば、それは国際問題になりますわよ? ……まあ、今のあなたにはお似合いかもしれませんけれど」
「くっ……お前……!」
「さあ、閣下。ここも空気が淀んできましたわ。不衛生な場所に長居すると、私の肌が荒れてしまいます。行きましょう」
私は赤ワインの海に沈む二人を一瞥し、カシアン閣下と共にその場を後にした。
背後で聞こえるルルアさんの泣き声と、王子の怒鳴り声は、私にとっては最高の「勝利のBGM」だった。
「……ふふ。素晴らしい回避行動だったよ、ミリアーナ。君の無駄のない動きは、芸術の域に達していた」
「……。当然ですわ。日頃からあなたの突発的な奇行を避けているおかげで、反射神経が鍛えられていますから」
「……! 私の奇行が君の役に立っている! ああ、なんて生産的な関係なんだ!」
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