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王都の「ゴミ処理」が完了してから数日。
グランヴィル公爵邸は、私の徹底した管理により、かつてないほどの清浄さと効率性を手に入れていた。
使用人たちは私の姿を見るだけで背筋を〇・五度ほど伸ばし、執事長はもはや私の目を見ただけで「今日のホコリ検知予定」を察するレベルにまで成長した。
……まあ、教育の成果ですわね。
しかし、ただ一人。
この屋敷の主であるカシアン閣下だけが、ここ数日、極めて「非効率的」な挙動を繰り返していた。
「……閣下。先ほどからその羽ペンの先で、机を三秒に一回のペースで叩くのはおやめなさい。その音エネルギーは、何の生産性も生み出さないどころか、私の集中力を〇・八パーセント削いでいますわ」
「あ、ああ、すまないミリアーナ。……少し、大事な『プロジェクト』の進捗について考えていてね」
「プロジェクト? 領地の治水工事のことでしたら、昨日私が修正案を出したはずですが。それとも、また何か新しい無駄な装飾品でも買おうとしているのですか?」
私は冷ややかな視線を向けた。
カシアン閣下は、なぜか頬を赤らめ、視線を泳がせている。
「いや、もっと……個人的で、一生を左右するような重大な契約についてだ。……ミリアーナ。今夜、庭園の東屋(あずまや)に来てくれないか? 最高の……いや、最も『効率的な』もてなしを準備させている」
「東屋? 夜風に当たって風邪を引くリスクを冒してまで、外で食事をする合理的理由が見当たりませんが。……。……。……まあ、いいでしょう。あなたのその、不審な挙動の原因を特定するのも秘書の務めですわ」
私は手帳に「二〇時:東屋にて閣下の挙動不審に関する査察」と書き込んだ。
二〇時ちょうど。
私は指定された東屋へと向かった。
しかし、そこに広がっていた光景を見て、私は絶句し、即座に手帳を取り出した。
「……閣下。これは、何の冗談ですか?」
東屋の周囲には、およそ五〇〇個を超えるキャンドルが並べられ、中央のテーブルには、食べきれるはずのない量の薔薇の花束が積み上げられていた。
そして閣下は、いつになく真剣な……しかし、どこか震えるような表情で立っていた。
「どうだい、ミリアーナ。君のために、最高の夜を演出してみたんだが」
「演出?閣下、まず第一に。このキャンドルの数。二酸化炭素の排出量が多すぎて、この空間の酸素濃度が微減していますわ。酸欠で私の脳の判断力が鈍ったらどうするつもりですか? 第二に、この薔薇。トゲの処理が甘いものが数本混じっています。私の指を傷つけ、執務効率を下げるつもりかしら? 不潔で、不安全で、極めて非効率的ですわ!」
「……! 酸素濃度への懸念! トゲによる労災リスクの指摘! ああ、ミリアーナ、君はプロポーズの直前でさえ、私を完璧に論破してくれるんだな……!」
カシアン閣下は、今にも膝をついて悶え出しそうだったが、それを必死にこらえて一歩前に出た。
「……ミリアーナ。ふざけているわけじゃないんだ。私は、本気で君を求めている」
彼は、私の手帳を持つ手を、そっと両手で包み込んだ。
いつもなら振り払うところだが、彼の指先が、目に見えて震えていることに気づき、私は動けなくなった。
「私は、君のその冷徹な言葉に救われた。君が現れるまで、私の世界は退屈な肯定に満ちた、淀んだ沼のようなものだった。……だが、君が私の無駄を削ぎ落とし、正論で叩きのめしてくれたおかげで、私は初めて『正しく生きる』意味を知ったんだ」
「それは、あなたが単なる変態だからでは……」
「そうかもしれない。だが、この変態的な情熱を、私は一生、君のために捧げたい。ミリアーナ・オーブリー。私の公爵夫人として、一生、私の隣で毒を吐き続けてくれないか? 私の人生という不完全な帳簿を、君の赤ペンで永遠に修正してほしい」
閣下は、ポケットから小さな箱を取り出した。
中には、最高級の、しかし過剰な装飾を排した、凛とした輝きを持つダイヤモンドの指輪が収められていた。
「………」
私は、指輪と閣下の顔を交互に見つめた。
心臓が、私の計算ではあり得ないほどの速度で鼓動を刻んでいる。
顔が熱い。これは、きっと東屋の酸素濃度が低いせいだ。
「閣下。……この指輪、サイズが合わなかったら、金属資源の無駄遣いになりますわよ」
「…あ、ああ。分かっている。だから、君の指の太さを、君が寝ている間にノギスで精密に測定しておいたんだ」
「寝ている間にノギスで……?やはり不潔極まりない変態ですわね、あなたは」
私は、大きくため息をついた。
そして、閣下の手に自分の手を預けた。
「…いいでしょう。あなたのその、救いようのない歪んだ性格を更生させるには、数十年程度の契約では足りないと思っていましたの。……。……。……一生、私の監視下で、私の正論に怯えながら、効率的に私を愛しなさい。……。……。……承諾いたしますわ」
「……! ミリアーナ……!」
カシアン閣下は、私の指に指輪を滑り込ませると、そのまま私を抱き寄せた。
「ああ……。君に『一生監視する』と言われるなんて、これ以上の幸福があるだろうか! ミリアーナ、私は世界で一番幸せな下僕……いや、夫だ!」
「喜ぶのは、明日の朝食のセロリを完食してからにしなさい。……。……。……それから閣下。……。……。……今の抱擁、密着度が高すぎて、私のドレスにシワが寄っていますわ。マイナス二〇〇点です」
「二〇〇点! 最高の罰だ! ……愛しているよ、ミリアーナ」
「不純な発言を口にする暇があるなら、このキャンドルを今すぐ片付けなさい。火災のリスクを放置するなんて、公爵としての自覚が足りませんわよ!」
私は、顔を赤くしたまま、閣下の胸を強く押し返した。
プロポーズでさえ、説教で終わる。
けれど、それが私たちの「正しい」形なのだと、私は確信していた。
私の可愛くない人生に、これ以上ないほど「不器用で、愛おしい無駄」が、正式に加わった瞬間だった。
グランヴィル公爵邸は、私の徹底した管理により、かつてないほどの清浄さと効率性を手に入れていた。
使用人たちは私の姿を見るだけで背筋を〇・五度ほど伸ばし、執事長はもはや私の目を見ただけで「今日のホコリ検知予定」を察するレベルにまで成長した。
……まあ、教育の成果ですわね。
しかし、ただ一人。
この屋敷の主であるカシアン閣下だけが、ここ数日、極めて「非効率的」な挙動を繰り返していた。
「……閣下。先ほどからその羽ペンの先で、机を三秒に一回のペースで叩くのはおやめなさい。その音エネルギーは、何の生産性も生み出さないどころか、私の集中力を〇・八パーセント削いでいますわ」
「あ、ああ、すまないミリアーナ。……少し、大事な『プロジェクト』の進捗について考えていてね」
「プロジェクト? 領地の治水工事のことでしたら、昨日私が修正案を出したはずですが。それとも、また何か新しい無駄な装飾品でも買おうとしているのですか?」
私は冷ややかな視線を向けた。
カシアン閣下は、なぜか頬を赤らめ、視線を泳がせている。
「いや、もっと……個人的で、一生を左右するような重大な契約についてだ。……ミリアーナ。今夜、庭園の東屋(あずまや)に来てくれないか? 最高の……いや、最も『効率的な』もてなしを準備させている」
「東屋? 夜風に当たって風邪を引くリスクを冒してまで、外で食事をする合理的理由が見当たりませんが。……。……。……まあ、いいでしょう。あなたのその、不審な挙動の原因を特定するのも秘書の務めですわ」
私は手帳に「二〇時:東屋にて閣下の挙動不審に関する査察」と書き込んだ。
二〇時ちょうど。
私は指定された東屋へと向かった。
しかし、そこに広がっていた光景を見て、私は絶句し、即座に手帳を取り出した。
「……閣下。これは、何の冗談ですか?」
東屋の周囲には、およそ五〇〇個を超えるキャンドルが並べられ、中央のテーブルには、食べきれるはずのない量の薔薇の花束が積み上げられていた。
そして閣下は、いつになく真剣な……しかし、どこか震えるような表情で立っていた。
「どうだい、ミリアーナ。君のために、最高の夜を演出してみたんだが」
「演出?閣下、まず第一に。このキャンドルの数。二酸化炭素の排出量が多すぎて、この空間の酸素濃度が微減していますわ。酸欠で私の脳の判断力が鈍ったらどうするつもりですか? 第二に、この薔薇。トゲの処理が甘いものが数本混じっています。私の指を傷つけ、執務効率を下げるつもりかしら? 不潔で、不安全で、極めて非効率的ですわ!」
「……! 酸素濃度への懸念! トゲによる労災リスクの指摘! ああ、ミリアーナ、君はプロポーズの直前でさえ、私を完璧に論破してくれるんだな……!」
カシアン閣下は、今にも膝をついて悶え出しそうだったが、それを必死にこらえて一歩前に出た。
「……ミリアーナ。ふざけているわけじゃないんだ。私は、本気で君を求めている」
彼は、私の手帳を持つ手を、そっと両手で包み込んだ。
いつもなら振り払うところだが、彼の指先が、目に見えて震えていることに気づき、私は動けなくなった。
「私は、君のその冷徹な言葉に救われた。君が現れるまで、私の世界は退屈な肯定に満ちた、淀んだ沼のようなものだった。……だが、君が私の無駄を削ぎ落とし、正論で叩きのめしてくれたおかげで、私は初めて『正しく生きる』意味を知ったんだ」
「それは、あなたが単なる変態だからでは……」
「そうかもしれない。だが、この変態的な情熱を、私は一生、君のために捧げたい。ミリアーナ・オーブリー。私の公爵夫人として、一生、私の隣で毒を吐き続けてくれないか? 私の人生という不完全な帳簿を、君の赤ペンで永遠に修正してほしい」
閣下は、ポケットから小さな箱を取り出した。
中には、最高級の、しかし過剰な装飾を排した、凛とした輝きを持つダイヤモンドの指輪が収められていた。
「………」
私は、指輪と閣下の顔を交互に見つめた。
心臓が、私の計算ではあり得ないほどの速度で鼓動を刻んでいる。
顔が熱い。これは、きっと東屋の酸素濃度が低いせいだ。
「閣下。……この指輪、サイズが合わなかったら、金属資源の無駄遣いになりますわよ」
「…あ、ああ。分かっている。だから、君の指の太さを、君が寝ている間にノギスで精密に測定しておいたんだ」
「寝ている間にノギスで……?やはり不潔極まりない変態ですわね、あなたは」
私は、大きくため息をついた。
そして、閣下の手に自分の手を預けた。
「…いいでしょう。あなたのその、救いようのない歪んだ性格を更生させるには、数十年程度の契約では足りないと思っていましたの。……。……。……一生、私の監視下で、私の正論に怯えながら、効率的に私を愛しなさい。……。……。……承諾いたしますわ」
「……! ミリアーナ……!」
カシアン閣下は、私の指に指輪を滑り込ませると、そのまま私を抱き寄せた。
「ああ……。君に『一生監視する』と言われるなんて、これ以上の幸福があるだろうか! ミリアーナ、私は世界で一番幸せな下僕……いや、夫だ!」
「喜ぶのは、明日の朝食のセロリを完食してからにしなさい。……。……。……それから閣下。……。……。……今の抱擁、密着度が高すぎて、私のドレスにシワが寄っていますわ。マイナス二〇〇点です」
「二〇〇点! 最高の罰だ! ……愛しているよ、ミリアーナ」
「不純な発言を口にする暇があるなら、このキャンドルを今すぐ片付けなさい。火災のリスクを放置するなんて、公爵としての自覚が足りませんわよ!」
私は、顔を赤くしたまま、閣下の胸を強く押し返した。
プロポーズでさえ、説教で終わる。
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