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「……閣下。あと三十秒で入場です。歩幅は六十センチを厳守し、一分間に百二十歩のペースで進みなさい。心拍数の上昇による発汗は、その高価なタキシードの生地を傷めますわよ。冷静になりなさい」
グランヴィル公爵邸の、白亜の大聖堂前。
私は、機動性を重視して裾を短めにカットした「戦闘型ウェディングドレス」に身を包み、隣に立つカシアン閣下に鋭い視線を投げた。
「……! ミリアーナ。結婚式の入場直前に、歩幅と心拍数の管理を命じられるなんて…。ああ、私の人生でこれほどまでに緊張感と高揚感が効率的に同居した瞬間はないよ。君の白ドレス姿、計算外の美しさだ……視神経が焼き切れそうだ」
「視神経が焼き切れたら、今後の書類確認に支障が出ます。不適切ですわ。ほら、前を向きなさい。三、二、一…時間です。行きましょう」
重厚な扉が開かれ、私たちはパイプオルガンの音色と共にバージンロードを進んだ。
参列者は、私が厳選した一八〇名の精鋭貴族たち。
彼らは私の「二時間以内完結」という厳命を守り、一切の私語を慎み、完璧な姿勢で私たちを迎えている。
ふと、式場の隅に目をやると、そこには不格好なエプロン姿で、山のような汚れた皿と格闘しているウィルフレッド様とルルアさんの姿があった。
「うぅ…。なんで俺が、こんなところで皿を洗わなきゃいけないんだ…。ミリアーナ、綺麗だ…。ああ、あそこに立っているのは俺のはずだったのに……」
「殿下ぁ、お喋りしてないで洗ってくださいましぃ! 監督のメイドさんに、また広背筋を鍛えろって怒鳴られますわぁ!」
彼らの惨めな囁き声が、私の耳に心地よい環境音(BGM)として届く。
…完璧ですわ。
祭壇の前に着くと、困惑した表情の司祭様が口を開いた。
「……え、ええ。では、カシアン・ノルド・グランヴィル。あなたは、このミリアーナ・オーブリーを妻とし、健やかなる時も、病める時も……」
「司祭様。その定型文は省略してください。非効率的です」
私は右手を挙げて司祭を制し、懐から一通のスクロールを取り出した。
「誓いの言葉は、私が作成したこちらの『夫婦間における相互扶助および管理責任に関する契約書』で代えさせていただきます。…閣下、読みなさい。第一条、家計管理の権限について」
会場にどよめきが走るが、カシアン閣下はこれ以上にないほど幸せそうな顔で、朗々と読み上げ始めた。
「『第一条:夫であるカシアンは、全資産の管理運用権を妻であるミリアーナに委ねるものとする。第二条:夫は、妻による日常的な言動の是正、すなわち説教、罵倒、冷徹な指摘を、自らの成長に必要な栄養素として全肯定し、これに感謝する…』ああ、素晴らしい契約だ! 一生、君の赤ペンに縛られることを、私はここに誓おう!」
「よろしい。それでは閣下。最後に、誓いの…いえ、最後にして最高の説教を差し上げますわ」
私は、跪こうとした閣下のネクタイをグイと引き寄せた。
至近距離で見つめ合う。
参列者たちは「いよいよ誓いのキスか!?」と身を乗り出している。
しかし、私の口から出たのは、全く別の言葉だった。
「閣下。あなたのその、私を愛おしそうに見つめる瞳。…焦点が合いすぎていて、周囲の状況把握がおろそかになっていますわよ。公爵として、一人の女性に溺れるあまり、国家の運営に一ミリでも無駄を生じさせたら…。その時は、私があなたの人生を根底から解体(リストラ)して差し上げますわ。…覚悟はできていまして?」
「……! 結婚式の壇上で、人生のリストラ宣告……! ああ、ミリアーナ、君こそ私の運命だ! もちろんだとも。君に解体されるなら、私の骨の一本まで、君の役に立てるというものだ!」
「不潔ですわね。…まあいいでしょう。…では、このネクタイの歪み、一生かけて私が直して差し上げますわ。せいぜい、長生きして私の説教に耐えなさい」
私はキスの代わりに、閣下のネクタイを「キュッ」と完璧な位置に締め直し、彼の胸元をポンと叩いた。
それが、私なりの「誓い」の印だった。
「…式典終了まで、あと四五分。…披露宴の料理、一品あたり三分のペースで食べ終えなさい! もたもたしている時間は一秒もありませんわよ!」
「はい! ミリアーナ様!」
拍手喝采の中、私たちはバージンロードを引き返した。
ウィルフレッド様の「行かないでくれぇ!」という叫び声も、ルルアさんの「皿洗いはもう嫌ですわぁ!」という悲鳴も、今や私の輝かしい未来を彩る祝福の言葉にしか聞こえなかった。
退場する際、私は一度だけ背後の司祭に振り返って告げた。
「司祭様。その聖書の見開き、一ミリズレていますわよ。やり直しなさい」
「ひ、ひえぇぇ!」
こうして、歴史に類を見ない「正論と罵倒に満ちた結婚式」は、私の予定通り、一秒の狂いもなく二時間で完結した。
私の可愛くない反撃は、ここに「完璧な勝利」として結実したのである。
グランヴィル公爵邸の、白亜の大聖堂前。
私は、機動性を重視して裾を短めにカットした「戦闘型ウェディングドレス」に身を包み、隣に立つカシアン閣下に鋭い視線を投げた。
「……! ミリアーナ。結婚式の入場直前に、歩幅と心拍数の管理を命じられるなんて…。ああ、私の人生でこれほどまでに緊張感と高揚感が効率的に同居した瞬間はないよ。君の白ドレス姿、計算外の美しさだ……視神経が焼き切れそうだ」
「視神経が焼き切れたら、今後の書類確認に支障が出ます。不適切ですわ。ほら、前を向きなさい。三、二、一…時間です。行きましょう」
重厚な扉が開かれ、私たちはパイプオルガンの音色と共にバージンロードを進んだ。
参列者は、私が厳選した一八〇名の精鋭貴族たち。
彼らは私の「二時間以内完結」という厳命を守り、一切の私語を慎み、完璧な姿勢で私たちを迎えている。
ふと、式場の隅に目をやると、そこには不格好なエプロン姿で、山のような汚れた皿と格闘しているウィルフレッド様とルルアさんの姿があった。
「うぅ…。なんで俺が、こんなところで皿を洗わなきゃいけないんだ…。ミリアーナ、綺麗だ…。ああ、あそこに立っているのは俺のはずだったのに……」
「殿下ぁ、お喋りしてないで洗ってくださいましぃ! 監督のメイドさんに、また広背筋を鍛えろって怒鳴られますわぁ!」
彼らの惨めな囁き声が、私の耳に心地よい環境音(BGM)として届く。
…完璧ですわ。
祭壇の前に着くと、困惑した表情の司祭様が口を開いた。
「……え、ええ。では、カシアン・ノルド・グランヴィル。あなたは、このミリアーナ・オーブリーを妻とし、健やかなる時も、病める時も……」
「司祭様。その定型文は省略してください。非効率的です」
私は右手を挙げて司祭を制し、懐から一通のスクロールを取り出した。
「誓いの言葉は、私が作成したこちらの『夫婦間における相互扶助および管理責任に関する契約書』で代えさせていただきます。…閣下、読みなさい。第一条、家計管理の権限について」
会場にどよめきが走るが、カシアン閣下はこれ以上にないほど幸せそうな顔で、朗々と読み上げ始めた。
「『第一条:夫であるカシアンは、全資産の管理運用権を妻であるミリアーナに委ねるものとする。第二条:夫は、妻による日常的な言動の是正、すなわち説教、罵倒、冷徹な指摘を、自らの成長に必要な栄養素として全肯定し、これに感謝する…』ああ、素晴らしい契約だ! 一生、君の赤ペンに縛られることを、私はここに誓おう!」
「よろしい。それでは閣下。最後に、誓いの…いえ、最後にして最高の説教を差し上げますわ」
私は、跪こうとした閣下のネクタイをグイと引き寄せた。
至近距離で見つめ合う。
参列者たちは「いよいよ誓いのキスか!?」と身を乗り出している。
しかし、私の口から出たのは、全く別の言葉だった。
「閣下。あなたのその、私を愛おしそうに見つめる瞳。…焦点が合いすぎていて、周囲の状況把握がおろそかになっていますわよ。公爵として、一人の女性に溺れるあまり、国家の運営に一ミリでも無駄を生じさせたら…。その時は、私があなたの人生を根底から解体(リストラ)して差し上げますわ。…覚悟はできていまして?」
「……! 結婚式の壇上で、人生のリストラ宣告……! ああ、ミリアーナ、君こそ私の運命だ! もちろんだとも。君に解体されるなら、私の骨の一本まで、君の役に立てるというものだ!」
「不潔ですわね。…まあいいでしょう。…では、このネクタイの歪み、一生かけて私が直して差し上げますわ。せいぜい、長生きして私の説教に耐えなさい」
私はキスの代わりに、閣下のネクタイを「キュッ」と完璧な位置に締め直し、彼の胸元をポンと叩いた。
それが、私なりの「誓い」の印だった。
「…式典終了まで、あと四五分。…披露宴の料理、一品あたり三分のペースで食べ終えなさい! もたもたしている時間は一秒もありませんわよ!」
「はい! ミリアーナ様!」
拍手喝采の中、私たちはバージンロードを引き返した。
ウィルフレッド様の「行かないでくれぇ!」という叫び声も、ルルアさんの「皿洗いはもう嫌ですわぁ!」という悲鳴も、今や私の輝かしい未来を彩る祝福の言葉にしか聞こえなかった。
退場する際、私は一度だけ背後の司祭に振り返って告げた。
「司祭様。その聖書の見開き、一ミリズレていますわよ。やり直しなさい」
「ひ、ひえぇぇ!」
こうして、歴史に類を見ない「正論と罵倒に満ちた結婚式」は、私の予定通り、一秒の狂いもなく二時間で完結した。
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