悪役令嬢、婚約破棄された本日より暴走を開始します 

八雲

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ラルス王国の象徴であった白亜の王城は、今や巨大な「差し押さえ物件」と化していた。


城門には「売却予定」の赤い垂れ幕が下がり、玉座の間にはニーアの派遣した会計士たちが土足で踏み入り、金目のものを一点残らずリストアップしている。


「……ニーア! ニーアはどこだ! 彼女に合わせろ!」


裏門から潜り込み、衛兵の目を盗んでヴァレンシュタイン領の執務室まで辿り着いたアレン王子は、なりふり構わず扉を蹴破った。


そこには、優雅に最高級の紅茶を啜りながら、最新の株価指数を眺めるニーアの姿があった。


「……おや。アレン殿下。許可なく入室されるとは、我が社のセキュリティコストを著しく軽視されていますわね」


ニーアは算盤を一度だけ「パチリ」と鳴らし、冷ややかな視線を向けた。


「ニーア、頼む! この通りだ、助けてくれ! 国が……僕の国が、得体の知れない投資家たちに食い荒らされているんだ!」


アレンは豪華な絨毯の上に膝をつき、額を床に擦り付けた。かつての傲慢な面影は消え失せ、ただの哀れな債務者がそこにいた。


「……あ、殿下。そのまま動かないでくださいまし」


「えっ? す、すまない……許してくれるのか?」


「いいえ。貴方が今踏んでいるその絨毯、昨日のオークションで私が落札した『古代帝国の秘宝』ですの。一秒踏むごとに維持メンテナンス費として金貨十枚が発生いたします」


アレンは弾かれたように飛び起きたが、ニーアの無慈悲なカウントは止まらない。


「はい、三秒経過しましたので金貨三十枚。さらに、今の貴方の悲鳴による騒音被害および精神的苦痛への慰謝料として金貨五十枚を追加請求いたしますわ」


「…っ、金の話はもういい! 国を返してくれ! あんなリリィなんて女、もうどうでもいいんだ! 君が、君こそが僕の真実のパートナーだったんだ!」


アレンの必死の叫びに、部屋の隅で書類を整理していたジークハルトが、静かに歩み寄った。


ジークハルトはニーアの肩に手を置き、凍てつくような笑みをアレンに向ける。


「……真実のパートナー、か。聞き捨てならないな。私の資産を五分で二倍に増やす彼女を、君のような『赤字の天才』と並べないでいただきたい」


「ジ、ジークハルト……! 君だって分かっているはずだ! 彼女は愛なんて信じていない、ただの数字の化け物だぞ!」


「ええ、その通りですわ。愛ではお腹は膨れませんが、数字は嘘をつきませんもの」


ニーアは立ち上がり、一枚の契約書をアレンの目の前に放り出した。


「殿下。貴方の国……ラルス王国は、先ほど正式に『ヴァレンシュタイン公爵領・特別経済特区』として吸収合併が完了いたしました。……つまり、貴方に王位継承権はもうございません」


「な……合併!? 国が……会社みたいに買い取られたというのか!?」


「ええ。国王陛下には、退職金代わりに隣国の養老院への永住権を差し上げましたわ。……さて、残ったのは貴方です。殿下」


ニーアは算盤を構え、アレンの全身を頭の先から足の先まで「査定」するように眺めた。


「………査定完了。アレン・ド・ラルス。市場価値、ゼロ。……いえ、これまでの負債を考えればマイナス五億ゴルドといったところですわね」


「マ、マイナス……!? 僕には、王家の血筋があるんだぞ!」


「血筋でパンは買えません。……ですが、私、無駄を嫌う主義ですの。マイナスの資産であっても、運用次第ではわずかながらの利益を生むことができますわ」


ニーアは不敵に微笑み、窓の外を指差した。


そこには、彼女が以前に提案した「魔力収集プレート」を敷設するための、過酷な土木工事現場が広がっていた。


「殿下。貴方のその立派な体格、穴を掘るには最適ですわ。……今日から貴方は、我が領の『一等開拓作業員』として採用いたします」


「さ、作業員!? この僕が泥にまみれて働けというのか!」


「はい。時給は十ゴルド。食事は麦粥。……計算によりますと、貴方がこれまでの負債を完済するには、およそ三百年ほど不眠不休で働いていただく必要がありますわね」


「三百年……!? そんなの、死んでしまう!」


「あら、安心してください。完済するまでは死なせないのが、私の『債権管理術』ですもの。……さあ、衛兵! この『歩く不良債権』に、新しい仕事道具のシャベルを渡して差し上げて!」


アレンは絶望の叫びを上げながら、屈強な衛兵たちに両脇を抱えられ、引きずられていった。


静かになった執務室で、ニーアは深く息を吐き、紅茶の最後の一口を楽しんだ。


「……ふう。これでようやく、貸借対照表が綺麗になりましたわ」


「……お疲れ様、ニーア。復讐にしては、随分と実利を重んじた結末だな」


ジークハルトが背後から彼女を抱きしめ、その首筋に顔を埋める。


「復讐などという非生産的なことはいたしません。私はただ、不適切な場所に置かれた資源を、最適な場所へ移動させただけですわ」


「………そうか。ならば、今の私のこの行為は、君の帳簿ではどう処理される?」


ジークハルトの熱い体温が、ニーアの合理的な思考をじわじわと溶かしていく。


「……っ。……『代表者による過剰な福利厚生』として……全額、私の幸福利益に計上いたしますわ……!」


ニーアは真っ赤な顔で算盤を置き、ジークハルトの胸に顔を埋めた。


かつて悪役令嬢と呼ばれた少女は、今や一国の経済を支配し、そして一人の男の愛を独占する、最強の勝者となっていた。


ラルス王国の消滅と同時に、彼女の新しい「黄金時代」が、今まさに始まろうとしていたのである。
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