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ヴァレンシュタイン公爵領の大聖堂は、今日、大陸中の視線を集める「経済の聖域」と化していた。
ステンドグラスから差し込む光が、純白のドレスを纏ったニーアを神々しく照らし出す。
もっとも、そのドレスの裾には、彼女が事前告知した通り「最高級繊維ギルド」の紋章が、極めて上品に、かつ確かな主張を持って刺繍されているのだが。
「……ニーア。君は本当に、今日という日にまで算盤を持ってきたのだな」
祭壇の前で待っていたジークハルトが、呆れたような、しかしこの上なく愛おしそうな眼差しで彼女を迎えた。
ニーアは、ウェディングブーケの陰に隠した「特注の銀製算盤」をチラリと見せた。
「当然ですわ。これほど大規模な式典、いつ何時、突発的な経費が発生するか分かりませんもの。……それに、心拍数の上昇を数的なデータとして記録しておく必要があるのです」
「……。……。……ふ。……やはり君は、私の最高のパートナーだ」
二人が神父の前に並ぶと、厳かなパイプオルガンの音が止み、静寂が訪れた。
「……ジークハルト・ノア・ヴァレンシュタイン。汝は、この女性を妻とし、健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「誓おう。……彼女という存在が私の人生にもたらす価値は、もはや測定不能だ。……私は一生をかけて、彼女に最大の配当を支払い続けると約束する」
ジークハルトの迷いのない宣言に、参列者たちから感嘆の溜息が漏れる。
「……では、ニーア・フォン・アステリア。汝は、この男性を夫とし、愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
ニーアは一度、スッと背筋を伸ばした。
彼女は神父を真っ直ぐに見据え、そして隣に立つジークハルトへと視線を移した。
「……お言葉ですが、神父様。その『誓い』の文言、少々具体性に欠けますわ」
「えっ……?」
神父が困惑して固まる中、ニーアは堂々と口を開いた。
「愛とは、市場の変動に左右されやすい極めて不安定な感情です。……ですから私は、感情ではなく『絶対的な信頼と独占契約』に基づき、彼を生涯の唯一の取引先(パートナー)とすることを誓います」
ニーアの声が、静かな聖堂内に凛と響き渡る。
「……健やかなるときはもちろん、病めるときも、私が彼の健康管理を徹底し、医療コストを最小化いたします。……貧しきとき? そんな事態は、私の算盤がこの世にある限り万に一つも起こり得ませんわ」
ニーアはジークハルトの手を、自ら力強く握りしめた。
「……ジークハルト様。貴方の人生という名の巨大なプロジェクト、私が責任を持って、死が二人を分かつまで……いえ、分かった後も遺産管理に至るまで、完璧にマネジメントして差し上げますわ!」
「……。……。……ははは! ……最高だ、ニーア。……これ以上の誓いの言葉は、この世に存在しないな」
ジークハルトが笑いながら、彼女のベールをゆっくりと跳ね上げた。
至近距離で見つめ合う二人。
ニーアの頬が、ドレスの色とは対照的な林檎色に染まっていく。
「……。……。……ジ、ジークハルト様。……今の誓い、……私の脳内帳簿では、……『確定申告』済みですわよ」
「……ああ。……ならば、最後にこの『契約』の捺印を」
ジークハルトの手がニーアの腰を引き寄せ、二人の唇が重なった。
それは、どのスポンサー契約よりも重く、どの金貨の山よりも価値のある、甘く熱い「誓印」だった。
ニーアの頭の中で、算盤の珠がバラバラと音を立てて崩れ落ちる。
(……。……。……。……。……。……。……。……。……。……っ。……。……。……計算、……不能ですわ……!)
鳴り響く祝福の鐘の音。
かつて婚約破棄され、「悪役」として追放された少女は、今、自らの力で世界一の幸福を買い取ったのである。
……もっとも、彼女が式の直後に「参列者の皆様、こちらに本日の引き出物(スポンサー試供品)のアンケート用紙がございますわ!」と叫び、感動の空気を一瞬で商談に変えたのは、もはや言うまでもない。
ステンドグラスから差し込む光が、純白のドレスを纏ったニーアを神々しく照らし出す。
もっとも、そのドレスの裾には、彼女が事前告知した通り「最高級繊維ギルド」の紋章が、極めて上品に、かつ確かな主張を持って刺繍されているのだが。
「……ニーア。君は本当に、今日という日にまで算盤を持ってきたのだな」
祭壇の前で待っていたジークハルトが、呆れたような、しかしこの上なく愛おしそうな眼差しで彼女を迎えた。
ニーアは、ウェディングブーケの陰に隠した「特注の銀製算盤」をチラリと見せた。
「当然ですわ。これほど大規模な式典、いつ何時、突発的な経費が発生するか分かりませんもの。……それに、心拍数の上昇を数的なデータとして記録しておく必要があるのです」
「……。……。……ふ。……やはり君は、私の最高のパートナーだ」
二人が神父の前に並ぶと、厳かなパイプオルガンの音が止み、静寂が訪れた。
「……ジークハルト・ノア・ヴァレンシュタイン。汝は、この女性を妻とし、健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「誓おう。……彼女という存在が私の人生にもたらす価値は、もはや測定不能だ。……私は一生をかけて、彼女に最大の配当を支払い続けると約束する」
ジークハルトの迷いのない宣言に、参列者たちから感嘆の溜息が漏れる。
「……では、ニーア・フォン・アステリア。汝は、この男性を夫とし、愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
ニーアは一度、スッと背筋を伸ばした。
彼女は神父を真っ直ぐに見据え、そして隣に立つジークハルトへと視線を移した。
「……お言葉ですが、神父様。その『誓い』の文言、少々具体性に欠けますわ」
「えっ……?」
神父が困惑して固まる中、ニーアは堂々と口を開いた。
「愛とは、市場の変動に左右されやすい極めて不安定な感情です。……ですから私は、感情ではなく『絶対的な信頼と独占契約』に基づき、彼を生涯の唯一の取引先(パートナー)とすることを誓います」
ニーアの声が、静かな聖堂内に凛と響き渡る。
「……健やかなるときはもちろん、病めるときも、私が彼の健康管理を徹底し、医療コストを最小化いたします。……貧しきとき? そんな事態は、私の算盤がこの世にある限り万に一つも起こり得ませんわ」
ニーアはジークハルトの手を、自ら力強く握りしめた。
「……ジークハルト様。貴方の人生という名の巨大なプロジェクト、私が責任を持って、死が二人を分かつまで……いえ、分かった後も遺産管理に至るまで、完璧にマネジメントして差し上げますわ!」
「……。……。……ははは! ……最高だ、ニーア。……これ以上の誓いの言葉は、この世に存在しないな」
ジークハルトが笑いながら、彼女のベールをゆっくりと跳ね上げた。
至近距離で見つめ合う二人。
ニーアの頬が、ドレスの色とは対照的な林檎色に染まっていく。
「……。……。……ジ、ジークハルト様。……今の誓い、……私の脳内帳簿では、……『確定申告』済みですわよ」
「……ああ。……ならば、最後にこの『契約』の捺印を」
ジークハルトの手がニーアの腰を引き寄せ、二人の唇が重なった。
それは、どのスポンサー契約よりも重く、どの金貨の山よりも価値のある、甘く熱い「誓印」だった。
ニーアの頭の中で、算盤の珠がバラバラと音を立てて崩れ落ちる。
(……。……。……。……。……。……。……。……。……。……っ。……。……。……計算、……不能ですわ……!)
鳴り響く祝福の鐘の音。
かつて婚約破棄され、「悪役」として追放された少女は、今、自らの力で世界一の幸福を買い取ったのである。
……もっとも、彼女が式の直後に「参列者の皆様、こちらに本日の引き出物(スポンサー試供品)のアンケート用紙がございますわ!」と叫び、感動の空気を一瞬で商談に変えたのは、もはや言うまでもない。
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