太陽の猫と戦いの神

中安子

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「それでは、僕は会議の方へ」
 ユウは二人が部屋に入るのを見届けてから言った。
 今日はアマネもアンリの部屋に泊まることにした。
 アマネはたまにあるこの機会を大変楽しみにしていた。姉と一緒に寝られたのは、幼い頃だけだった。大人になった姫は、一人で部屋で寝るのが当たり前だった。姉とくだらない話をしながら、こくりと眠りの世界に落ちるのだ。一人きりではない安心感が、穏やかな夢を見せた。
 アマネは窮屈だからと、部屋へ入るなりすぐドレスを脱ぎ始めていた。アンリはユウを見送るために廊下まで出た。アンリの部屋の前には、すでに何人かの護衛がいた。アンリは彼らのことをちらと確認してから、廊下をしばらくユウと歩いた。
「アンリ様。ここまでで構いませんので」
 ユウは申し訳なさそうに言ったが、アンリの表情を見て口をつぐんだ。彼女がここまで見送ること自体、初めてだったのだ。
「どうされました?アンリ様」
「お願いがあるの」
 押し殺した声と揺らいだ瞳。ユウは急に心配になって、足をとめて姫と向かい合った。
「何なりと申してください」
 気遣いのある声音だった。アンリのこんな表情を見るのは、少なくともユウは初めてだった。姫はいつも強く何事にも動じないはずだった。ユウは今この瞬間にわかったことがあった。アンリ姫には、頼る場所がなかっただけのだ。彼女は全て自分で飲み込んできたのだ。
「キヌン様の生まれを調べて欲しいの」
「…?キヌン様ですか?」
 ユウがあっけにとられた表情をしたので、アンリはためらって俯いた。妻が夫を疑うなど、あってはならないことだろう。ましてや、父が紹介してくれた人だ。今まで一生懸命培ってきた全てを台無しにしてしまうかもしれなかった。ただ、アンリの何かが警鐘を鳴らしていた。それが何を告げているのかはわからないものの、立ち止まっているわけにはいかなかった。
「ユウはいつからの知り合いなの?」
「そうですね、多分十年ほど前でしょう。武人の家系だとは聞いていましたが、詳しい家名まではわかりません」
 聞かれた内容を不思議がりながらも、ユウは黙り込んでいる姫の顔を覗いた。
「どうされたんですか」
「よくない噂を聞いたの。負担をかけてしまうけれど、誰にも言わずに、極秘で調べてくれるかしら」
 アンリの真剣さは、ユウにも十分すぎるほど伝わっていた。ただ、彼は素直に頷くことができなかった。
「ユウがキヌン様を慕っているのも承知しています。調べることが困難なことも。無理しない範囲でいいですから」
 アンリが深く頭を下げたため、ユウはぎょっとして慌てて彼女の体を起こした。
「おやめください。アンリ姫。大丈夫ですから」
 思いつめた姫は儚げで、瞳はかすかに潤んでいるようだった。
「任せてください。可能な限りで、情報を集めてきますから」
 ユウは根拠がなくとも、励まさずにはいられなかった。キヌンはユウにとって上の位であり先輩だった。ユウを買ってくれており、戦の場ではよく声を掛けてくれる。調べるためには本人には一切気づかれずに、周りから情報を得るしかなかった。ただ、キヌンに通じている者も多いため、下手に聞いてまわることもできない。機転のきくユウでも、頭を抱えたくなる難題だった。
 アンリは不確かなことを言うつもりはなかったのだが、ユウの様子を見て心を決めた。
「さっきの宴で、一人の若い神官が声を掛けてきたの。彼はキヌン様をお兄様と呼んだ」
「えっ?」
 ユウは驚いて声を大きくした。武人に神官の兄弟がいるはずがなかった。それは、王族を騙しているのと同じだ。神官は王宮に住む立場ではなかった。彼らは神に仕えるものであり、神殿にいなければならない。しかし、近年神官の力が大きくなり、政治や戦に介入するようになっていた。
 王族たちの血は守らなければならない。そして、神官に政権を譲るなど、あってはならないことだ。それがキヌンの本当の狙いなのだとしたら、と一瞬考えたユウは、思わず身震いした。
「証明してみせます。キヌン様は正式な武人の生まれであると。少し時間をいただけますか」
「ユウの立場が悪くならないように、それだけは気をつけてね」
 アンリは祈るように、ユウと最後の瞳を交わした。彼は「会議に行って来ます」と駆け足でその場を去っていった。

「どうしたの?お姉さま」
 部屋へ戻るなりアマネが心配して声をかけた。白一色のワンピースを着て、ベッドでくつろいでいた。アンリは心構えしていたため、軽く微笑んで首を振る。
「何でもないわ。アマネのことをよろしくと言ってきたのよ」
「…?」
 アマネを巻き込みたくなかったため、悟らせるわけにはいかなかった。彼女は不思議そうな顔をしていたが、アンリは気にせず着替え始めた。アマネの耳に入れば、姉を助けようとあちこち動き回るだろう。ただ、それほど器用でないため、足がついてしまう。危険な目に合うのは簡単に予想できた。
「アマネはユウをどう思うの?」
 アマネに何か問われる前に、と様子を伺いつつ切り出した。窮屈なドレスを脱いだら、何もかも夢の話だったような気がして、心が軽くなった。アマネは姉の急な質問を怪しがりながらも、話しかけてくれた嬉しさですぐに応えた。
「ユウ?私の面倒を見てくれる護衛さんだけど」
「私はじきにキヌン様と暮らさなければならなくなるわ。アマネにも寄り添う人がいれば、私は安心するの」
 忠告というよりは、心配している口調だった。アマネはじっと姉の顔を見つめる。
「私が父様にすすめれば、きっとユウと結婚もできるわ。あとは、あなたがどう思うかだけよ」
「ユウはこんなわがままな姫は嫌いよ。私は、結婚するなら心から好きになれる人がいい」
 アマネにしては珍しく真面目に答えていた。
「いるの?好きな人」
 アンリはそっと訊ねる。
「ええ。ずっと気になっている人がいるわ。私たちを助けてくれた、あの無愛想な人よ」
 妹はそう言って思いきり笑った。冗談ではなさそうだったが、現実を知らない、夢見る子供のようだった。
 アンリはやれやれと、何回か頷いただけだった。
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