太陽の猫と戦いの神

中安子

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手紙

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 月は欠け、また満ちていき、気づけばまた宴の日が訪れていた。
 アンリにとっては何も進展していないのに、時計の針だけがどんどん進んでいく感覚だった。
 
 アンリとアマネはいつものように着飾って参加していた。ただ、今回はユウとキヌンを見かけなかった。少し前から軍隊が整えられ、北の陣地へ次々に向かっているそうだ。キヌンはその指示を、ユウはその下で細かい雑用を任されていた。会議の部屋に閉じこもっており、なかなかアンリたちの前に姿を見せることもなかった。父のもとへ加勢に向かうのであり喜ばしいのだが、歯がゆさが残った。
 アンリは時間があれば部屋を出て、宮中の人々と会話をしていた。不安にあおられ、じっとしていることができなかったのだ。ただ、内容のない話が多く、気力を奪われるだけだった。アマネのことも気がかりで、ユウが面倒を見られない分、一緒に過ごすことが多かった。アマネはもちろん喜んだが、もどかしさが募っていくばかりだった。
「お姉さま?」
 二人は食後に紅茶を飲んでいた。いつものようにあまり人目がない片隅で、並んで会場を眺めていた。アンリが沈んだ様子だったため、妹は心配になったのだった。いつもと変わらないようでいて、ここ最近どこか思いつめたような顔をしていたのはアマネも気づいていた。だが、気を遣わせてしまうため、直接口にはしていなかった。
「気分がよくない?」
「いいえ、大丈夫よ」
 アンリははっとなって、すぐに否定した。妹の前では明るく振舞うように努めていたが、今日はどうも上手くできなかった。この間の宴がよみがえり、人混みの中にあの神官がいるような気がしてならなかった。
「ちょっと疲れただけ。アマネがいいのなら、一緒に部屋へ戻ってゆっくりしてもいいかしら」
「うん、そうしよう」
 アマネは姉が素直に言ってくれたため、嬉しそうに微笑んだ。紅茶のカップを片付けて、会場を出ようとした時だった。ぱたぱたと駆けてくる小さな足音と、「アンリ様」とたどたどしく呼ぶ女の子の声が聞こえた。そちらを見ると、三、四歳ばかりの幼いお姫様が、ちょこんと立っていた。好奇心に溢れた表情でアンリを見つめている。
「どうしたの?」
 アンリには初めて見る女の子だった。しゃがんで目線を合わせると、優しい笑みを浮かべる。
「これ、あげる」
 女の子はそわそわしながらも、頬を染めてアンリに小さくたたんである紙切れを手渡した。
「誰からもらったの?」
 アンリはきょとんとしながらも、女の子の顔を窺う。
「ばいばい」
 女の子は恥ずかしそうに、それだけ言うと急いでその場を立ち去った。追うこともできたが、子供にしつこくするのは気が引けた。たまに似顔絵の描いてある紙や手紙をもらうこともあったため、その類だと思ったのもあった。小さい姿は人ごみにまぎれすぐに消えてしまい、誰が親かもわからない。
「可愛らしい娘だったね」
 アマネも同じように少女が消えていった場所を眺めながら言った。アンリも頷いてくすっと笑った。
「昔のあなたを思い出すわね」
 二人は会場を出て部屋へ向かって歩いていた。アンリはなんとなくさっきもらった紙切れを開いた。ぴたりと足が止まってしまった。それは子供が書いたものではなかった。鼓動が大きく鳴り、それと同時に寒気が走った。
“アンリ姫、お久しぶりです。この前の宴でお会いしましたレイです。お伝えしたいことがありますので、極秘でお会いできますでしょうか。今夜十二時に、宴の会場でお待ちしています”
 あの不敵な笑顔の青年が蘇った。信じていいかわからないものの、キヌンの唯一の手がかりを持っているはずだった。あの青年がアンリを騙しているとは思いにくかった。一人きりで会ったとしても、殺されたりするような、そんな裏切りは想像できない。彼には何の得もないはずだ。しかし、キヌンのことをアンリに伝えて、それこそ何の意味があるのか謎だった。
「お姉さま、顔色が悪いわ」
 アンリが立ち止まっているのに気がついてしばらく様子を見ていたのだが、ついに我慢ならず口を開いた。
「何か書いてあったの?」
 アマネの心底不安そうな瞳は、アンリを現実に引き戻した。気分を換えようと、大きく深呼吸をする。妹に心配をかけさせるなど、不覚極まりなかった。アンリは反省しつつ、調子を取り戻した。
「大したことじゃないの。ごめんなさい、ぼうっとしてて」
 ふっと微笑んでまた歩き始めた。
「今日のドレスがちょっと窮屈だったのかもしれないわ」
「早く部屋で休もう」
 アマネは珍しく自分のことをあとにして、姉の世話をした。ドレスを脱ぐのを手伝い、薬湯を振舞う。先に姉を椅子に座らせたあとで、自分も着替え始めた。アンリも少しほっとして、せっせと動き回る妹を愛おしそうに眺めた。
「ありがとうね、アマネ」
 そう言われたアマネは、にっこりと笑った。
「お姉さま、何か困ってることがあったら、アマネに言ってね。私、お姉さまのためならなんだってするわ」
 
 アマネの言葉は嬉しかったが、何も話すわけにはいかなかった。この先何が起こるかわからない。アンリは紙切れを握ったままベッドに入り、時間が近づくと、そっと部屋を抜け出した。隣で寝ていたアマネは、身動き一つせず深い眠りに落ちているようだった。もし起きていたなら言い訳に困ったが、その心配は無用となった。できるだけ物音を立てずに、静かにゆっくりと足を進めた。護衛に発見されないよう、慎重に道を選んでいた。宴の後ということもあり、少なからず護衛も手薄になっていた。王族たちと同じように酒を飲んで、眠りに落ちている者も多かったのだ。アンリは黒の薄いドレスと素足で、日中誰かに見られたら、はしたないと罵られるだろう出で立ちだった。ただ、闇に紛れるには、これで丁度よかった。暗さは嫌いではなかった。大地が夜醸し出す静けさは、日中の騒々しさを落ち着かせ、心を穏やかにさせてくれる。自然と呼吸は風と重なり合い、溜め込んだ黒い吐息をそっとどこかへ流してくれる。
 宴が行われていた会場は見る影もなく、ひっそりとしていた。月明かりが微かに届き、ぼんやりとベールを作っている。少しだけ余韻が残っているようで、空気が少し乱れている気がした。人影はなかった。落ち着こうと思っても勝手に鼓動は大きく鳴り、握った手に力が込められる。罠ではないはずだった。そう言い聞かせながら、目を凝らして一帯を眺める。
「ご足労いただいてすいません。アンリ姫」
 声は意外と近くから響いた。アンリのすぐ近くの柱の影から、あの若い神官がそっと現れた。
 月光を浴びて、銀髪と色白の肌は自ら輝いているようにさえ見えた。神の使いのような、美しい怪しさを秘めている。アンリは息を飲んで、彼の全身を上から下まで眺めた。
「ご案内したいところがあります」
 油断できない意味深な笑顔を見せてそう言った。
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