太陽の猫と戦いの神

中安子

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巧み

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 キヌンは勢いで姫をぎゅっと抱きしめた。
「無事でよかった」
 作戦は失敗したと、アンリは腕の中で思った。彼にも何か考えがあっての事だろう。本気で心配していたとは思えかなった。ただ、ここで全てを暴露したところで、皆が信じてくれるとも思えなかった。今は、事の成り行きをうかがうしかなかった。
「僕の部屋で少し休むといい」
 立場で言えば、キヌンの方が上らしかった。セヌスは何も言わなかった。アンリは背中を押され、レイも声を掛けられ奥の部屋へと導かれた。逃げたところで同じだろう。まるで牢屋に行く気分だったが、酷い仕打ちをされるとも考えにくかった。アンリはもどかしい思いで彼の後ろ姿を眺めた。
「心を入れ替えてくれた訳ではないよね?」
 部屋に入るとすぐ、キヌンは口を開いた。残念そうな様子もなく、淡々とした調子だった。彼は恐らく、ハルカを捕まえている事も計算に入れているはずだった。二人は何も言えずに視線を外した。どうすれば父とハルカを助けられるか、この状況で答えを見つけるのは至難の技だった。レイも悩んでいるのに気付いたアンリは、覚悟して顔を上げた。
「あなたこそ、思い直してくれてはいませんか?この戦から父を無事に帰してください。そして、ハルカを解放してください。そのためなら、私はなんだってします」
「アンリ様」
 レイがすかさず反応した。アンリは彼を目で制してから、静かに微笑んで首を振った。初めからそうするつもりだったようだ。揺るがない強さがあった。キヌンは感心したように姫を見た。
「僕の立場では、もう引き返せない。だけど、アンリが帰ってきてくれるなら願ってもないことだ。ちょうど、僕も今日戦場へ発つところだった。一緒に行かないか?」
「どういうつもりですか」
 アンリが言うよりも早く、レイが声を上げた。姫を危険な目に遭わせるなど、あってはならないことだった。何か企みがあるはずだった。キヌンは動揺ひとつ見せず、冷静に返した。
「僕の目の届かないところに置けば、また去ってしまうだろう」
 キヌンはわざとらしくアンリを見た。彼は続ける。
「王の無事は、アンリが自分で見届けるといい。だからこそ、僕と戦場に行くべきだ。そして、捕らえられた者は、助けると約束しよう。ただし、解放するのは戦が終わってからだ。そこの神官も同様に」
 ただのでまかせかもしれないが、今は信じるしかなかった。ハルカとレイを助けてくれるのなら、今はそれだけでも十分だった。父はシュウトが救ってくれるはずだった。
「分かりました」
 アンリは感情を殺して返事をした。どうなるか分からずとも、今選ぶ道はそれしか無かった。
「さすが聡明な我が妻だ。陽のあるうちにここを発つ。僕たちは戦に出る準備をしなければならない。まずはその神官を檻へ案内しよう」
 キヌンは頭の切れがよく、アンリの返事を聞くなりそう言った。
 
 部屋を出て外へ進む途中、セヌスが注意深く三人を見送っていた。アンリは精一杯の意志を込めて彼を見た。何かただならない雰囲気を感じ取ってはくれないかと、願うばかりだった。
 いつの間にか後方には兵士が三人付き、いよいよ逃げ出すことはかなわなくなった。周りの兵士達はさっと左右に引いて頭を下げていく。いつに間にか人の道が作られていた。彼らは興味津々の顔でキヌンと姫、神官を眺めた。基本的に戦の場に姫がいるはずがなく、彼らはありがたいと拝むように手を合わせた。彼らはどこまで聞いて、何を守ろうとしているのか。
 しばらく歩くと前方に檻が見えてきた。思っていたより敷地は大きく、適当に区切られた檻にいっぱいの人が収容されていた。囚人達は来訪者に気付くと声を上げて押し合った。助けてくれ出してくれと、命の叫びが聞こえてくるのを、アンリは苦しい表情で流した。今はそれどころではなかった。誰が善で誰が悪か、簡単に見極められるものではなかった。
 奥の狭い檻に、両腕を縛られながらもあぐらをかいてどっしりと座っているハルカがいた。
 彼は三人に気付くと、腰を浮かせた。
「アンリちゃん!レイ!」
 声を掛けられた二人もはっとして彼を見た。目を合わせば、お互いの気持ちが同じであると分かった。無事でよかったと、それぞれが思っていた。ただ、ハルカは傷が治りきっていないのと、切り傷や土埃にまみれていた。気落ちはしていなかったが、健康であるとは言い難かった。
 アンリが口を開こうとするより早く、キヌンが前へ立ちふさがった。彼は淡々と、牢に入れられたハルカを見下げて言った。
「妻は私と戦へ出かける。君はこの神官と共に、戦の終わりをここで待つといい。全てが無事に済んだなら、君達を解放してあげよう」
 ハルカは敵意むき出しの顔でキヌンを睨んだ。仲間内には全く見せることのない、獣が威嚇するのとどこか似た表情だった。
「アンリちゃんに何かしたら許さないからな」
 キヌンはただせせら笑っただけだった。後ろの兵士に合図してレイを同じ檻へ入れた。がしゃんと鍵が閉まると、キヌンは長居は無用とアンリの肩を抱いて歩き出した。アンリは精一杯振り返ろうとしたが、それも許されなかった。せめて悔しさは見せまいと、ぐっと堪えて胸を張るしかなかった。
「なんなんだよ、あいつ」
 ハルカは憤慨してすぐにこぼした。レイはなだめるように彼を見た。
「無事でよかったです」
 お互いの顔を見合わせると、すんなりここにたどり着いたわけではないことが分かった。レイにかなりの疲れを見てとったハルカは、態度を改め向き直った。
「ここはゆっくりできないだろうが、とりあえず休んだ方がいい」
「情けない言われ様ですね」
「意地なんて張るもんじゃないぞ」
「では、お言葉に甘えて少しだけ。ですが、ハルカも心配でしょうから、先に言っておきます。僕達は、神殿を二手に分かれて出ました。アンリ様と僕はここへ。シュウト様と、ユウ様、アマネ様は、メリアメ王を救うため、直接戦場に向かわれています。アンリ様はあなたを救うためにここへ来る決意をしたのですよ」
「そうか…」
 ハルカはすっきりしないながらも、レイの言葉を有り難く思った。
「早く皆の無事を確かめたいが、ここを出るにはお前の頭が必要だ。休むのが最優先だ」
 レイも一通り話せて安心したようで、「すいません」とふっと笑うと、檻に持たれ、落ちるように眠りについた。ハルカはただ気遣わしげに、彼を上から下まで眺めた。まだハルカよりもかなり若いであろう青年。普段の言動がかなり大人びているため、寝顔が極端に幼く見えた。身動きの取れない自分を情けなく思い、ハルカは大きくため息をついた。
 
 日が傾き出した頃、遠くで隊の笛や掛け声が聞こえた。地が僅かに揺れたような気がした。レイを起こすまいと、ハルカは静かに座っている事に努めたが、アンリの様が目に浮かんで仕方なかった。
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