《完結》 どうぞ、私のことはお気になさらず

ヴァンドール

文字の大きさ
3 / 22

3話

しおりを挟む
 あれから離れの小屋の痛んだ箇所や建て付けの悪いところを業者に頼み、修繕もようやく終わった。
 古めかしかった小屋は見違えるほど綺麗に仕上がり、まるで別の建物のようだ。

 (これで旦那様のもとへ訪れるご夫人方も、私を気にせず過ごせるわね。
 本当は、初めからこうすべきだったのかもしれない。
 ただ、旦那様のあの悪趣味は満たされないかもと思い、思わず苦笑した)

 小さいながらも、自分だけの空間ができたことに心から満足していると、カンナが

「奥様、お食事のご用意ができました」

 と呼びに来てくれた。

 向かい合って食卓につき、たわいない話をしながら食事を取っていると、なぜかそんな日常にさえ今までにない開放感を感じた。
 (これが、本当の自由というものなのね)
 ふと、そんな思いが胸をよぎる。

 すべての荷物も離れに運び終え、カンナにも隣の部屋に移ってもらった。

 そして彼女に『これからは友達のように接してほしい』とお願いしたのだけれど‥‥

「私は奥様の侍女ですよ。こうしてご一緒に食事を頂くだけでも恐縮しているんですから」

 と、きっぱり言われてしまった。

「そんなふうに言わないで。私、今までお友達がいなかったの。だからカンナには、友達のように接してほしいの」

 そう告げると、彼女は頬を染めながら小さく息をつき

「もう、仕方ないですね。では、時々だけですよ」

 と照れたように答えてくれた。

「ええ、それで十分よ。ありがとう」
 そう返すと、彼女の頬がさらに赤くなった。

 ーーこうして、私はこれまでにない充実した日々をカンナと共に過ごしている。

 彼女は旦那様のことをあまりよく思っていないが、私は正直、感謝していた。
 だって、この自由を与えてくれたのも、他ならぬ旦那様なのだから。

(まあ、男としても夫としても、駄目なんでしょうけれどね)

 そう心の中でつぶやき、また小さく笑った。

 それからしばらくして、私とカンナは街へ買い物に出かけた。
 ついでに、先日ベッドを運んでくれたお礼も兼ねて、気持ちばかりのお菓子を持ち、アムール商会に立ち寄ることにした。

 馬車を降りようとすると、あの日と同じようにリチャードさんが手を差し伸べてくれた。

「ようこそお越しくださいました。先日はありがとうございました」

「こちらこそ、その節は余計なことまでお願いしてしまい、申し訳ありませんでした」

 そう謝って、お菓子を手渡す。

「心ばかりのものですが、皆様でお召し上がりください」
 と言うと、彼は柔らかく微笑んだ。

「良ければ奥でお茶をご用意いたします。ご一緒にいかがですか?」

「でも、お仕事中ではありませんか? お忙しくはないのですか?」

「いえ、ちょうど暇を持て余していたところですので、大歓迎です」

「それでしたら、遠慮なくお邪魔させていただきますね」

 そうして、彼の案内で店の奥へ進んだ。
 通りすがりに覗いた部屋では、多くのお針子たちが真剣な眼差しでドレスを縫っていた。
 その光景を横目に廊下を抜け、大きな応接室へと案内される。

「奥様、立派なお宅ですね」

 とカンナが小声で囁いたので、私は軽く咳払いをしてソファに腰を下ろした。

「先日はお見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした」 

「いえいえ、貴族間ではよくあることです。お気になさらず」

 そう言ってくれたのに、カンナがつい口を挟んだ。

「あんなこと、貴族間でもそうそうありませんから」

 するとリチャードさんは苦笑し、話題を変えた。

「そういえば来週、友人の屋敷で小さな舞踏会が開かれるのですが、子爵家主催なので高位貴族の方はお見えにならないのですが、気晴らしに私とご一緒にいかがですか?」

「リチャードさんって、もしかして貴族の方なんですか?」

 カンナが身を乗り出したので、私は慌てて注意した。

「カンナ、失礼よ」

「いえ、構いません。貴族といっても、領地を持たない一代限りの男爵位です。
 まあ、世間では“金で買った爵位”なんて噂されてますがね」

 と、冗談めかして笑った。

 カンナは嬉しそうに言った。
「奥様、たまには華やかなところで羽を伸ばしてください! 支度は私が全力でお手伝いします!」

 私は苦笑して言葉を濁した。

「でも、ドレスが‥‥」

 と言いかけた途端、リチャードさんがすかさず言葉を挟んだ。

「ドレスなら、ぜひうちの商品をお使いください。いい宣伝にもなりますし、遠慮は無用です」

「ただ、既製のもので恐縮ですが、どうぞ」

 カンナは目を輝かせて

「奥様、ぜひ! 私の腕の見せ所ですから!」

 と張り切っている。

 私は小さく笑って
(まあ、旦那様にはいつも変装しているし、バレることはないでしょうね)

 と心の中で思いながら

「それでは、よろしくお願いします」

 と答えた。

「本当ですか? では、楽しみにしております」
 と彼も嬉しそうに微笑んだ。

 お茶を飲みながら少し世間話をしたあと、帰り際にリチャードさんが言った。

「こちらの工房にあるドレスの中から、お好きなものをお選びください」

 迷っていると、彼が穏やかに続けた。

「もしよければ、私にお任せいただけませんか?」 

「よろしいのですか? あまりこういうことには不慣れで、では、ぜひお願いします」

 彼は手際よく、落ち着いたブルーのドレスと、それに合う小物を選び出した。
 中には、明らかに高価なアクセサリーも含まれていたので、私は思わず言った。

「こちらは、失くすと大変ですから、お借りできません」

「いいえ、こちらは貸すのではなく、差し上げるのです」

「ですが、そんな高価なものを頂くわけには‥‥」

「先ほども申し上げましたが、宣伝のためです。お気になさらず」

「いいえ、駄目です。舞踏会が終わりましたら、必ずお返しします」

「まったく、貴方という人は」

 と言いかけて

「失礼しました。侯爵夫人に対して」

 と言い直したので、私は微笑んで返した。

「いえ、そのままで構いません。なにぶん、形だけの侯爵夫人ですから」

 その言葉に、彼は言葉を失い、沈黙が落ちた。
 気まずさをやわらげようと、私は急いで話題を変えた。

「このお茶、とても美味しいですね」

 こうして舞踏会の支度を終えた私たちは店を後にした。

 カンナが勝手に

「では当日は侯爵邸の馬車でお迎えに伺いますね」

 と告げてしまったが、店を出てから私は少し不安になった。

「カンナ、旦那様には内緒なのに、侯爵邸の馬車を使ったらまずくない?」

「ご心配なく。その辺は、私にお任せください。御者とはお友達ですし、お屋敷のみんなは奥様の味方ですから」

 頼もしく笑う彼女の横顔を見ながら、私は、一抹の不安を感じたが、カンナに全てを任せることにした。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

ねえ、テレジア。君も愛人を囲って構わない。

夏目
恋愛
愛している王子が愛人を連れてきた。私も愛人をつくっていいと言われた。私は、あなたが好きなのに。 (小説家になろう様にも投稿しています)

貴方の幸せの為ならば

缶詰め精霊王
恋愛
主人公たちは幸せだった……あんなことが起きるまでは。 いつも通りに待ち合わせ場所にしていた所に行かなければ……彼を迎えに行ってれば。 後悔しても遅い。だって、もう過ぎたこと……

私の婚約者は失恋の痛手を抱えています。

荒瀬ヤヒロ
恋愛
幼馴染の少女に失恋したばかりのケインと「学園卒業まで婚約していることは秘密にする」という条件で婚約したリンジー。当初は互いに恋愛感情はなかったが、一年の交際を経て二人の距離は縮まりつつあった。 予定より早いけど婚約を公表しようと言い出したケインに、失恋の傷はすっかり癒えたのだと嬉しくなったリンジーだったが、その矢先、彼の初恋の相手である幼馴染ミーナがケインの前に現れる。

【完結】堅物な婚約者には子どもがいました……人は見かけによらないらしいです。

大森 樹
恋愛
【短編】 公爵家の一人娘、アメリアはある日誘拐された。 「アメリア様、ご無事ですか!」 真面目で堅物な騎士フィンに助けられ、アメリアは彼に恋をした。 助けたお礼として『結婚』することになった二人。フィンにとっては公爵家の爵位目当ての愛のない結婚だったはずだが……真面目で誠実な彼は、アメリアと不器用ながらも徐々に距離を縮めていく。 穏やかで幸せな結婚ができると思っていたのに、フィンの前の彼女が現れて『あの人の子どもがいます』と言ってきた。嘘だと思いきや、その子は本当に彼そっくりで…… あの堅物婚約者に、まさか子どもがいるなんて。人は見かけによらないらしい。 ★アメリアとフィンは結婚するのか、しないのか……二人の恋の行方をお楽しみください。

すべてはあなたの為だった~狂愛~

矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。 愛しているのは君だけ…。 大切なのも君だけ…。 『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』 ※設定はゆるいです。 ※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。

悪役令嬢は毒を食べた。

桜夢 柚枝*さくらむ ゆえ
恋愛
婚約者が本当に好きだった 悪役令嬢のその後

貴方のいない世界では

緑谷めい
恋愛
 決して愛してはいけない男性を愛してしまった、罪深いレティシア。  その男性はレティシアの姉ポーラの婚約者だった。  ※ 全5話完結予定

処理中です...