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甘い毒薬
昴の告白
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風も冷たくなり大分過ごしやすくなった。
街を歩くと金木犀の花がふわりと香ってくる。この香りがする度に秋が訪れたなといつも思う。
あともう少ししたら紅葉や楓も色を変えていく事だろう。
そしてあっという間に冬になっていく。時の流れの速さを感じる。
この時期の高校生にはイベントらしいイベントがない。
高校2年生のあたしたちにとっては最大のイベントでもある修学旅行もこの間終わったばかりだ。
修学旅行がきっかけでカップルができることも多い。実際にあたしのクラスにも彼氏彼女持ちが増えた。そのせいか最近は恋愛が1番の話題となることが多い。
当然あたしが所属しているグループも例外ではない。
あたしたちは昼休み、ご飯を終えてからはいつもの3人グループでお喋りをしていた。
メンバーはあたしと鹿島真由美、瀬戸久美子の仲良し3人組だ。
2年生の時にクラス替えでたまたま馬があってからはいつも3人でつるんでいた。
「久美子もついに彼氏できたんだ。修学旅行パワー。やったね!」
そう言って真由美が久美子の背中を軽く叩く。
「真由美痛いよ。私、斎藤君のことずっと気になってたから嬉しい」
そう言って久美子は顔を赤らめる。
彼女は修学旅行の時に斎藤くんに告白されたらしい。
斎藤君は隣のクラスの男子だ。
久美子が斎藤くんの事が好きなのは知っていたので私も久美子に良かったねと言葉をかける。
実際に彼女はおしゃれとか頑張ってたからそれが報われるのは友人としては喜ばしい限りだ。
「久美子も彼氏できたし、あとはアンタだけよ、あずさ。このまま彼氏ナシでいいの?せっかくの花の女子高生なのに!」
そう言って真由美はあたしに指をさす。
やっぱり矛先はこうなるか。真由美、久美子、あたしの3人のうち彼氏がいないのはあたしだけなのだ。
しかもあたしは彼氏いない歴イコール年齢なのだ。
「彼氏作るってだけが別に青春ってわけじゃないじゃん。それにあたしの理想の人がいないだけだよ」
恥ずかしい事にあの初恋を引き摺っているせいで好きな人ができたことがないのだ。
高2になってまでも私は10歳の思い出に囚われている。
さらにあたしはあまり女子らしくない性格でよくガサツだのズボラだの言われる。しかも普段の振る舞いのせいで恋愛に興味が無さそうと思われている。
そのせいか全くもって異性から好意を寄せられた事がない。
実際に同級生の男子からは「信濃だけはねーわ。あれ女の皮かぶった何かだろう」と揶揄される。
「理想の人?あんたはメンクイすぎるのよ!あんたの理想の男って黒髪サラサラストレートが似合う美少年でしょ?黒いストレートヘアーが似合う美形なんてそれこそ物語の世界だけよ!そんなの現実にいるわけないでしょ。これだからあずさは」
しかも、あたしはかなりの面食いだ。
昔3人で理想の男の外見はどんな外見と話した時に、初恋のあの人の外見を話したら2人にそんな美形が現実にいるわけないだろうと手厳しいツッコミをいただいた。
「そう言われても。理想は理想だしなー。とにかく今は誰とも付き合う気にはなれないの」
「つまんないのー」
「あずさも好きな人できて、きっとお付き合いしたらわかるんじゃないかしら。恋って切ない時もあるけどすごく楽しくて幸せよ」
そう言う久美子は本当に幸せそうだった。
あたしだって恋くらいはした事はある。だけど幸せとは思えなかった。ただただ切なくてむなしい。
だってあたしが恋の相手として追いかけているのは人格すらはっきりしない亡霊だ。
彼女らにはそんな不毛な初恋に囚われている上に、初恋の相手が故人ですとは言えない。
だってきっと馬鹿にされると思うから。
「久美子、サンキュ。あたしもそんな人に出会えるの楽しみにしてるよ」
それからしばらくは久美子の彼氏の斎藤君の話題で持ちきりだった。
恋愛話に花を咲かせていると昼休みも半分が過ぎた。
「そういえばそろそろあんたのワンちゃん来るんじゃない」
「間違いなく来るわね」
「もうそんな時間だっけ?」
その時、教室の戸がガラガラ空く音が聞こえた。
「あずさせんぱーい!」
「ほら、噂すれば来たよ」
教室の入り口に目をやるとそれはもう目立つ男子がいた。
身長は180cm超える長身で目を引く。体格もスポーツマン体型で程よく引き締まっている。
髪の毛の色はプラチナベージュの金髪とド派手だ。それをワックスで遊ばせていてすごくオシャレな髪型でしかもすごく似合っている。
肌は白すぎず黒すぎず、血色がよく健康的な印象を与える。
顔は女の子が好きそうな甘い顔立ちでぱっちりとした二重の目が愛らしい。思い浮かぶイメージは初々しい男性アイドルと言ったところだろうか。
瞳はくすんだ青っぽい色をしている。カラーコンタクトでもつけているのだろう。その瞳がまた似合っているのだからすごい。
制服は少しだけ着崩していて、ベージュのカーディガンと学校指定のブルーのネクタイがすごく似合っている。
どこか遊んでいる雰囲気を感じさせる。
まあ要するに派手なイケメンって事だ。
あの人が月が似合う夜のような人なら、彼は青空が似合う太陽な人だろう。
彼は能登昴。あたしよりも1つ年下の可愛い後輩である。
あたしと彼は同じ委員会に所属している時に仲良くなった。
件のワンちゃんとは彼の事を指す。
あたしへの懐きっぷりが犬みたいだと評判であたしのクラスではワンちゃんと密かに呼ばれている。
人懐っこい彼は学年が違うにも関わらずこの場に馴染んでいる。
「1週間ぶりにあずさ先輩に会えて嬉しいです。俺、すっげー寂しかったんすよ」
私たちの席に駆け寄って来る。本当に嬉しそうでその姿は人懐っこい犬のようだ。
きっと尻尾があったらブンブンと揺れているだろう。
彼が近くに来ると清涼感のある香水がふわりと香る。
このやりとりはもう毎日のように行われている。
クラスの皆はまたかと流す。それほどまでに見慣れた光景なのだ。
「ごめんごめん。修学旅行だったからね。これ、お土産」
鞄から小さい箱を取り出す。そして昴に渡す。旅行先で買ったお菓子だ。
「ありがとうございます。部屋に飾って大事にしますね」
目をキラキラと輝かせて嬉しそうにする。その姿は大の男なのに無邪気で可愛らしい。
だけど、渡したものは本来の用途とは全然違う。
「いや、飾っておいたら腐るじゃん。食べなよ」
真由美、ナイスツッコミ。
「だって、せっかくあずさ先輩がくれたんすよ!そんな食べるだなんて勿体無い……」
「昴に食べて欲しくて買ってきたんだから食べて欲しいんだけどな」
「あずさ先輩が言うなら!でもさっき飯食ったばっかなんで家で食べさせてもらいます」
昴はにぱっと満面の笑顔になる。
コロコロと顔の変わる昴は見ていて面白い。
表情豊かな彼はあたしのクラスでも見ていて可愛いと評判だ。
「能登、あんたあずさとアタシたちに対する態度が随分と違うんじゃないの?」
真由美が眉を顰める。
「真由美落ち着いて。能登君があずさと私たちに態度が違うのはわかり切っている事でしょう」
久美子が真由美を宥める。
「わかってるけどさあ。こいつの場合露骨過ぎんのよ」
真由美はムキーと言いながら昴に突っかかる。昴は困ったようにすいませんと笑いながら謝る。
「そういえばあずさ先輩、今日委員会あるの忘れてないっすよね?俺、放課後迎えに来るんで教室で待っててくださいね!」
「うん。わかった」
「もうすぐ休み時間終わるので失礼します。今日も先輩に会えて嬉しかったっす! 放課後楽しみにしてますね!」
昴は教室から出て行った。
***
放課後のチャイムが鳴った途端に昴は言っていた通りに迎えにきた。
その後は委員会に出席し、担当の先生の話と委員長の話をぼーっと効いていた。
委員会が終わった後、帰る準備をしていると昴が声をかけてきた。
「先輩小腹が減ったっす!ファミレス行きましょう!もちろん俺が誘ったんで俺が奢ります」
「いいよ。って後輩にたかるなんてできるわけないじゃん。だから奢らなくてもいいよ」
昴の誘いで2人で学校近くの小さなファミレスでお茶をしていた。
このファミレスはデザートに力を入れており、客層は女性が多めだ。
あたしはカフェオレを昴はコーヒーとホットケーキを注文していた。
ホットケーキにはメープルシロップがたっぷりとかかっていて甘い香りを放っている。
「美味そう~俺甘いもの大好きなんですけど男1人だとめっちゃ行きづらいんっすよ。このファミレスのものって全部美味いんですけど男1人だと入りにくいんっすよね」
「言われてみればここに男の人1人で来店してるのってあまりないかも」
「でしょう?だからこうやってあずさ先輩がいる時じゃないとこの店なかなか行けないんですよ」
「へっへーん。感謝してよね」
注文したホットケーキとカフェオレをウエイトレスのお姉さんは私のところに置いた。そしてホットコーヒーのみを昴の元へとやる。いつもの事だ。
昴は甘党だ。本人が言うにはホットケーキやパフェの類が大好きらしい。
だけど、本人曰く男だと中々ホットケーキやパフェと言った甘いものを注文するのは恥ずかしいらしい。
「いつも付き合ってもらってありがとうございます!俺、あずさ先輩と仲良くなれてめっちゃ嬉しいんっすよ。あとこうやって一緒にお茶できて幸せっす!」
目をキラキラと輝かせ、明るく言う昴の言葉に嘘はないのだと思う。鈍チンで有名なあたしでもわかる。昴があたしの事を慕ってくれているということは。
だけど、こいつがなぜここまであたしを慕ってくるのかがわからない。
「昴があたしのことめっちゃ気に入ってるのは一緒にいたら分かるよ。でもあたしの何が気に入ったの?」
「……やっぱり覚えてないっすよね。実はあずさ先輩と俺、昔1度だけあったことあるんですよ」
「マジ?」
「マジっすよ。1年前の受験生向けの学校見学会の時に俺、あずさ先輩に会ってるんすよ」
1年前の受験生向けの学校見学会といえばジャンケンに負けてボランティアで運営スタッフにまわっていた。
運営スタッフと言っても先生たちの言うことを聞くお手伝いみたいなものだ。
その時に受付だったり、見学者の道案内を担当したのだ。だけど昴を見た記憶はない。
こんなに派手な外見だったら絶対に忘れたりなんかしないはずだ。
「ええー。昴みたいな派手な人見たら忘れないと思うんだけどな」
「先輩、中学生の俺と今の俺全然違うから。当時は髪の毛は黒かったですし、身長だって今より10cm以上小さかったんですよ。しかもこの青っぽい目を隠すために前髪めっちゃ伸ばしてましたし」
「ええー!昴にもそんな時があったんだ。そりゃあわからないわ。昴と言えば金髪ふわふわヘアーの青目だからさ!」
「先輩、俺のこと髪の毛と目の色だけで判断してるでしょ」
「……バレた?」
「今のやりとりでバレないわけないじゃないっすか。多分こうすればわかりますよ」
昴が一呼吸置いてから再び喋り出す。
「あずさ先輩どいるどしったげおもしぇ。いっつもどもな~」
普段聴きなれないどっかの方言。
だけどこの喋りは1度だけ聞いたことある。
思い出した!
「わかったー。1年前、学校見学会に来てたあの子か!あれ昴だったの?!うっそー! 全然別人でしょ!」
去年、学校見学会に来た大人しそうな男の子を思い出した。
彼は少し癖のある黒い髪の毛だった。そして目が隠れるくらいに伸びた重たい前髪が特徴的だった。
印象はよく言えば大人しい。悪く言えば陰気と言えるものだった。
その男の子は今の昴とは似ても似つかなかった。
その男の子は迷ったようにウロウロしていたからあたしが声をかけたのだ。
「ねえどうしたの? 君、見学会に来た中学生だよね。もしかして迷ってるの?」
「そうなんだス。会議室の場所がわからなくて」
「そっか。わかった。案内するよ。着いてきて」
彼が口を開くとかなり訛っていた。
地元では聞き慣れないイントネーションだったし、訛りが強くて時折何を言ってるかわからなかったのを思い出した。
今とは全然雰囲気も振る舞いも違う。わかるはずがない。
「やっぱ気付いて無かったんすか」
「そりゃあそうでしょ。だって全然雰囲気違うんだもん。それに今は訛ってないからわからなかったよ」
「俺も変わりましたからね。新生活に向けて必死で標準語覚えたんで。俺秋田県出身なんです」
「マジ?東北ボーイだったの?!」
「そうっすよ。って東北ボーイってなんなんすか。シティボーイみたいなノリやめてくださいっす」
「ごめんごめん」
初めて聞いた情報だった。
それだったらイントネーションが独特なのも訛りがあるのもうなずける。
「中3の時にこっち来たんですけど、同級生に訛りは馬鹿にされるし、青い目はカラコンしてると思われてたから教師受けも最悪っすよ」
「そういえばその目って本物なの」
「そうっすよ。俺のばあちゃんも同じ色の目してるっす。東北地方だとたまーに俺みたいな青っぽい目の色の人いるんですよ。だから秋田にいた時は誰も気にしなかったんですよ。だからこっちきて青い目で色々言われたのはあまりいい思い出ではないんすよ」
目から鱗だ。日本人といえば黒か茶色の目しかいないと思っていた。
あたしは昴の綺麗な青い目はカラコンだと思っていた。
「そりゃあ大変だったね。そんな昴にいいことを教えてあげよう。あたしは昴の青い目好きだよ。カラコンだと思ってたけど」
「ですよね。先輩に好きと言ってもらえて嬉しい限りっす。話し戻しますけど、俺にとっての中学3年は地獄だったわけなんです。そんな中であずさ先輩は優しく俺に道案内してくれましたし、色々と励ましてくれたのが嬉しくて」
「そうだっけ?」
そういえば短い時間だけど当時中学生だった昴に何か話した記憶はある。
何を言ったか今では思い出せないけど、それが昴にとって嬉しい事ならばよかった。
「いや、そりゃあ学校見学会のボランティアだから見学会に来た中学生に親切にするのはフツーのことじゃん」
「そうですね。あずさ先輩からしたら普通の事なんだと思います。だけどその時頼るものがなかった俺にはボランティアだったからとはいえ親切にしてくれたのってすごく嬉しかったんですよ」
「そうか、そんなに嬉しいと思ってもらえるなら親切にしてよかったよ。感謝されるのは悪いことじゃないしね」
彼があたしに懐く理由がやっと分かった。今まで委員会が一緒なだけの後輩にここまで懐かれるかがわからなかったので実はずっともやもやしていたのだ。
人に嫌われるよりは好かれる方がいいに決まっている。あそこまで先輩として慕われるならあたしも気分がいい。
「じゃあ俺食べ終わりましたし、店出ましょうか」
いつの間にか昴は皿のホットケーキを平らげていた。コーヒーも完全に飲み終わっていた。
甘いものが好きという割に昴が頼む飲み物はいつもブラックコーヒーなのだ。
あたしたちは店を後にした。
お会計はいつの間にか昴が済ませていた。
「男だし俺に格好つけさせてください。だから今日は俺の奢りです」
そう言われるとあたしは何も言えなかった。
金木犀の花が香る道路を2人で歩く。
10月の半ばくらいになると日の入りもそこそこ早くなる。
空は既に紺色に染まり、白い月が街を淡く照らしている。
涼しい風が優しく吹いてきて心地いい。この季節が1番過ごしやすくて好きだ。
「先輩、暗くなったし送っていきますね」
そう言って昴は車道側にズレる。
あたしは歩きだけど昴は自転車通学だ。昴はいつも使い込まれた古い感じのする銀色の自転車に乗っている。
あたしを家まで送ってくれる時はいつも自転車を押してあたしの歩くペースに合わせてくれる。
昴は遊んでそうで派手な容姿だが実はかなり気が利く。
あたしと並んで歩くときは絶対に自分が車道側を歩く。
鞄だって「重いでしょう?」と言われ彼の銀色の自転車の籠に入れさせてもらっている。
昴の鞄は自分自身の肩から掛けている。
あたしは手ぶらで昴の隣を歩いている。
もちろん最初はそんなの悪いと断っていた。
「先輩は女の子なんですから、こういうのは男に任せておけばいいんですよ」
そう言った昴は頑固だった。
なんというか昴が召使いに見えてくる。
「昴ってすごい気が利くよね。昴と一緒にいるとお姫様になった気分。お姫様にちょっとだけ憧れてたから」
「先輩はお姫様になりたいんすか?」
「ちょっとだけね。昔は本気でお姫様になりたかったよ。小さい頃は王子様がいつか迎えに来てくれないかなーって夢見たこともあったっけ」
嘘だ。昔じゃない。今だって本当は憧れている。
子供の頃から女の子らしいレースやフリルは大好きだった。
今でもドレスショップのショーウィンドウを見ると胸がときめく。
物語の王子様が自分を迎えにきてくれる事にだって憧れていた。シンデレラや眠れる森の美女とかの童話は大好きだった。
「あずさ先輩の意外な一面が知れてよかったっす。普段のあずさ先輩からは想像できない言葉っす」
「やっぱり似合わないっしょ」
「そんな事はないっす。確かに意外でしたけど。女の子なんだからそう言うのが好きでもいいでしょう」
他愛のない話をしているとあたしの家が見えてきた。
あたしの家に着くと昴は必ずあたしが玄関の扉を開けて、家の中に入っていくまで動こうとはしない。
あたしは昴に手を振る。
また明日といい、家に入った。
***
数日後、昴から話があると言われて空き教室に来るよう言われた。
どことなく緊張した面立ちから告白の呼び出しだと気がついてしまった。
窓から西日が差し込んでいる。その光で教室はオレンジ色に照らされている。
窓から見える夕暮れの空が美しいけれど、遠くに見える黒い雲が不穏だ。そしてあたしの心はその黒い雲のように重たい。
「あずさ先輩、あなたの事がずっと好きでした。俺と付き合ってください!お願いします」
昴はそう言って頭を下げた。
予想通りだった。あれだけ慕われていたら鈍ちんと名高いあたしでも察してしまう。
だけどいざ告白されるとものすごく緊張する。心臓がドキドキって脈客を打っている。
恥ずかしいことに人から告白などされた経験のないあたしはどうすればいいかが全くわからないのだ。
冗談めかして、罰ゲームなのと尋ねられる雰囲気でもない。昴の声と表情は真剣そのものだったから。
だけど昴と男女のお付き合いはできない。昴に対してあたしは恋愛感情が一切ないのだ。もちろん一緒にいて楽しいし、先輩と後輩の関係は最高だ。でも付き合うとなると違う事も求められる。キスとか、それよりも先の男女の接触だ。
昴と「キスしたいと思うか」と聞かれたら答えはいいえだ。
その先にある男女の関係だって足を踏み入れる気にはなれない。
何よりもあたしの心にはあの人がまだ焼け跡のように残っている。
あたしは本気で昴に向き合うことはできないだろう。昴と付き合いながらあの人と比べてしまうのだろう。
こんな気持ちで付き合ってはいけない。それはきっと昴の心を傷つける事になる。
向こうが誠実に思いを伝えに来たのだからこちらも誠実に返すべきだ。
「昴、ごめん。あたし、あんたの事は恋愛対象として見れない。あたしにとっての昴は可愛い後輩でしかないんだ。だけど告白されたのはすっごく嬉しい。こうやって真剣に想いを伝えてくれたのはあんたが初めてだから」
昴の顔が硬くなる。
昴の変わっていく表情に心が痛い。大きい青い瞳に涙の膜が張って、一筋の雫が昴の頬を伝う。
泣かせてしまった。
けれど、下手に付き合って傷つけるよりは絶対にいい。今断った方がお互いの傷は浅いはずだ。
告白を断るのってこんなに苦しいんだと初めて知る。しかもよく顔を見知った仲の良い相手に泣かれるのだから尚のことだ。
「お試しでもダメですか?先輩俺の事嫌いじゃないんですよね?だったら付きあってください!絶対絶対先輩を振り向かせて見せるから!俺、先輩のためならなんでもできますよ!」
予想外の返答だ。まさか諦めてくれないとは。
昴の縋るような声を聞くと罪悪感で胸を掻き毟られる気持ちになる。
今にも泣きそうな声は聞いているだけで罪悪感を煽る。
「先輩なんとか言ってくださいよ!俺、こんなに人を好きになったのあずさ先輩が初めてなんですよ!あずさ先輩以外の人と付き合うなんて考えられない!どうしたら俺とお試しでも付き合ってくれますか?そのためならなんでもできますよ!俺は何をすればいいんですか?答えてください!!」
昴が息もつく暇もなく捲し立ててくる。
早口で喋るから唾は飛ぶし、興奮しているのか目は充血して血走っている。涙がボロボロと溢れている。
昴のあまりの勢いにたじろぐ。
普段ニコニコしていて、犬のように人懐っこい姿からは想像できない取り乱しっぷりだった。
この様子だとおそらく昴はあたしが首を縦に振らないと引く様子は見せないだろう。
だけど昴にして欲しい事が思い浮かばない。だって今の関係性であたしは満足している。昴に求めることなんて何もないのだ。
あたしが何も言えないでいると昴は思い出したかのように口を開いた。
「先輩、前にお姫様に憧れているって言いましたよね?」
数日前の帰り道で昴にポロリと零した事だ。
「言った。でもそれは小さい時の事で」
「いいや、あずさ先輩あなたは本当は今でもお姫様に憧れがありますよね。俺知ってるっすよ。あずさ先輩がドレスショップのショーウィンドウをいつも見てるの」
「……」
「俺が先輩を最高のお姫様にしてあげます。流石に授業中や家にいる時は無理っすよ。だけどそれ以外の時間全てを使って先輩をお姫様にしてあげます。あずさ先輩のことをガサツな男女なんて誰にも言わせない。それであずさ先輩の心が満たされたら俺と本格的に付き合ってください!絶対先輩の事惚れさせて見せます!」
昴の提案に戸惑う。
おそらく何を言っても昴は引き下がらない。
だったらこの話を受けて、早い段階で無理だとわかってもらう必要がある。
時間をかけて定着したキャラクターと言うのはそう変える事はできない。あたしなんかをお姫様にするのはおそらく無理だろう。
「わかった。あたしをお姫様にして」
「絶対あずさ先輩を最高のお姫様にして満足させて見せます。あずさ先輩、その時はお試しじゃなくて本当の恋人にしてくださいね」
「よろしくね、昴」
「こちらこそよろしくお願いします」
こうしてあたしと昴は先輩後輩ではなく、お試しとは言え恋人同士と言う関係に変わった。
だけどあたしはまだ知らなかった。
能登昴の本気を。
街を歩くと金木犀の花がふわりと香ってくる。この香りがする度に秋が訪れたなといつも思う。
あともう少ししたら紅葉や楓も色を変えていく事だろう。
そしてあっという間に冬になっていく。時の流れの速さを感じる。
この時期の高校生にはイベントらしいイベントがない。
高校2年生のあたしたちにとっては最大のイベントでもある修学旅行もこの間終わったばかりだ。
修学旅行がきっかけでカップルができることも多い。実際にあたしのクラスにも彼氏彼女持ちが増えた。そのせいか最近は恋愛が1番の話題となることが多い。
当然あたしが所属しているグループも例外ではない。
あたしたちは昼休み、ご飯を終えてからはいつもの3人グループでお喋りをしていた。
メンバーはあたしと鹿島真由美、瀬戸久美子の仲良し3人組だ。
2年生の時にクラス替えでたまたま馬があってからはいつも3人でつるんでいた。
「久美子もついに彼氏できたんだ。修学旅行パワー。やったね!」
そう言って真由美が久美子の背中を軽く叩く。
「真由美痛いよ。私、斎藤君のことずっと気になってたから嬉しい」
そう言って久美子は顔を赤らめる。
彼女は修学旅行の時に斎藤くんに告白されたらしい。
斎藤君は隣のクラスの男子だ。
久美子が斎藤くんの事が好きなのは知っていたので私も久美子に良かったねと言葉をかける。
実際に彼女はおしゃれとか頑張ってたからそれが報われるのは友人としては喜ばしい限りだ。
「久美子も彼氏できたし、あとはアンタだけよ、あずさ。このまま彼氏ナシでいいの?せっかくの花の女子高生なのに!」
そう言って真由美はあたしに指をさす。
やっぱり矛先はこうなるか。真由美、久美子、あたしの3人のうち彼氏がいないのはあたしだけなのだ。
しかもあたしは彼氏いない歴イコール年齢なのだ。
「彼氏作るってだけが別に青春ってわけじゃないじゃん。それにあたしの理想の人がいないだけだよ」
恥ずかしい事にあの初恋を引き摺っているせいで好きな人ができたことがないのだ。
高2になってまでも私は10歳の思い出に囚われている。
さらにあたしはあまり女子らしくない性格でよくガサツだのズボラだの言われる。しかも普段の振る舞いのせいで恋愛に興味が無さそうと思われている。
そのせいか全くもって異性から好意を寄せられた事がない。
実際に同級生の男子からは「信濃だけはねーわ。あれ女の皮かぶった何かだろう」と揶揄される。
「理想の人?あんたはメンクイすぎるのよ!あんたの理想の男って黒髪サラサラストレートが似合う美少年でしょ?黒いストレートヘアーが似合う美形なんてそれこそ物語の世界だけよ!そんなの現実にいるわけないでしょ。これだからあずさは」
しかも、あたしはかなりの面食いだ。
昔3人で理想の男の外見はどんな外見と話した時に、初恋のあの人の外見を話したら2人にそんな美形が現実にいるわけないだろうと手厳しいツッコミをいただいた。
「そう言われても。理想は理想だしなー。とにかく今は誰とも付き合う気にはなれないの」
「つまんないのー」
「あずさも好きな人できて、きっとお付き合いしたらわかるんじゃないかしら。恋って切ない時もあるけどすごく楽しくて幸せよ」
そう言う久美子は本当に幸せそうだった。
あたしだって恋くらいはした事はある。だけど幸せとは思えなかった。ただただ切なくてむなしい。
だってあたしが恋の相手として追いかけているのは人格すらはっきりしない亡霊だ。
彼女らにはそんな不毛な初恋に囚われている上に、初恋の相手が故人ですとは言えない。
だってきっと馬鹿にされると思うから。
「久美子、サンキュ。あたしもそんな人に出会えるの楽しみにしてるよ」
それからしばらくは久美子の彼氏の斎藤君の話題で持ちきりだった。
恋愛話に花を咲かせていると昼休みも半分が過ぎた。
「そういえばそろそろあんたのワンちゃん来るんじゃない」
「間違いなく来るわね」
「もうそんな時間だっけ?」
その時、教室の戸がガラガラ空く音が聞こえた。
「あずさせんぱーい!」
「ほら、噂すれば来たよ」
教室の入り口に目をやるとそれはもう目立つ男子がいた。
身長は180cm超える長身で目を引く。体格もスポーツマン体型で程よく引き締まっている。
髪の毛の色はプラチナベージュの金髪とド派手だ。それをワックスで遊ばせていてすごくオシャレな髪型でしかもすごく似合っている。
肌は白すぎず黒すぎず、血色がよく健康的な印象を与える。
顔は女の子が好きそうな甘い顔立ちでぱっちりとした二重の目が愛らしい。思い浮かぶイメージは初々しい男性アイドルと言ったところだろうか。
瞳はくすんだ青っぽい色をしている。カラーコンタクトでもつけているのだろう。その瞳がまた似合っているのだからすごい。
制服は少しだけ着崩していて、ベージュのカーディガンと学校指定のブルーのネクタイがすごく似合っている。
どこか遊んでいる雰囲気を感じさせる。
まあ要するに派手なイケメンって事だ。
あの人が月が似合う夜のような人なら、彼は青空が似合う太陽な人だろう。
彼は能登昴。あたしよりも1つ年下の可愛い後輩である。
あたしと彼は同じ委員会に所属している時に仲良くなった。
件のワンちゃんとは彼の事を指す。
あたしへの懐きっぷりが犬みたいだと評判であたしのクラスではワンちゃんと密かに呼ばれている。
人懐っこい彼は学年が違うにも関わらずこの場に馴染んでいる。
「1週間ぶりにあずさ先輩に会えて嬉しいです。俺、すっげー寂しかったんすよ」
私たちの席に駆け寄って来る。本当に嬉しそうでその姿は人懐っこい犬のようだ。
きっと尻尾があったらブンブンと揺れているだろう。
彼が近くに来ると清涼感のある香水がふわりと香る。
このやりとりはもう毎日のように行われている。
クラスの皆はまたかと流す。それほどまでに見慣れた光景なのだ。
「ごめんごめん。修学旅行だったからね。これ、お土産」
鞄から小さい箱を取り出す。そして昴に渡す。旅行先で買ったお菓子だ。
「ありがとうございます。部屋に飾って大事にしますね」
目をキラキラと輝かせて嬉しそうにする。その姿は大の男なのに無邪気で可愛らしい。
だけど、渡したものは本来の用途とは全然違う。
「いや、飾っておいたら腐るじゃん。食べなよ」
真由美、ナイスツッコミ。
「だって、せっかくあずさ先輩がくれたんすよ!そんな食べるだなんて勿体無い……」
「昴に食べて欲しくて買ってきたんだから食べて欲しいんだけどな」
「あずさ先輩が言うなら!でもさっき飯食ったばっかなんで家で食べさせてもらいます」
昴はにぱっと満面の笑顔になる。
コロコロと顔の変わる昴は見ていて面白い。
表情豊かな彼はあたしのクラスでも見ていて可愛いと評判だ。
「能登、あんたあずさとアタシたちに対する態度が随分と違うんじゃないの?」
真由美が眉を顰める。
「真由美落ち着いて。能登君があずさと私たちに態度が違うのはわかり切っている事でしょう」
久美子が真由美を宥める。
「わかってるけどさあ。こいつの場合露骨過ぎんのよ」
真由美はムキーと言いながら昴に突っかかる。昴は困ったようにすいませんと笑いながら謝る。
「そういえばあずさ先輩、今日委員会あるの忘れてないっすよね?俺、放課後迎えに来るんで教室で待っててくださいね!」
「うん。わかった」
「もうすぐ休み時間終わるので失礼します。今日も先輩に会えて嬉しかったっす! 放課後楽しみにしてますね!」
昴は教室から出て行った。
***
放課後のチャイムが鳴った途端に昴は言っていた通りに迎えにきた。
その後は委員会に出席し、担当の先生の話と委員長の話をぼーっと効いていた。
委員会が終わった後、帰る準備をしていると昴が声をかけてきた。
「先輩小腹が減ったっす!ファミレス行きましょう!もちろん俺が誘ったんで俺が奢ります」
「いいよ。って後輩にたかるなんてできるわけないじゃん。だから奢らなくてもいいよ」
昴の誘いで2人で学校近くの小さなファミレスでお茶をしていた。
このファミレスはデザートに力を入れており、客層は女性が多めだ。
あたしはカフェオレを昴はコーヒーとホットケーキを注文していた。
ホットケーキにはメープルシロップがたっぷりとかかっていて甘い香りを放っている。
「美味そう~俺甘いもの大好きなんですけど男1人だとめっちゃ行きづらいんっすよ。このファミレスのものって全部美味いんですけど男1人だと入りにくいんっすよね」
「言われてみればここに男の人1人で来店してるのってあまりないかも」
「でしょう?だからこうやってあずさ先輩がいる時じゃないとこの店なかなか行けないんですよ」
「へっへーん。感謝してよね」
注文したホットケーキとカフェオレをウエイトレスのお姉さんは私のところに置いた。そしてホットコーヒーのみを昴の元へとやる。いつもの事だ。
昴は甘党だ。本人が言うにはホットケーキやパフェの類が大好きらしい。
だけど、本人曰く男だと中々ホットケーキやパフェと言った甘いものを注文するのは恥ずかしいらしい。
「いつも付き合ってもらってありがとうございます!俺、あずさ先輩と仲良くなれてめっちゃ嬉しいんっすよ。あとこうやって一緒にお茶できて幸せっす!」
目をキラキラと輝かせ、明るく言う昴の言葉に嘘はないのだと思う。鈍チンで有名なあたしでもわかる。昴があたしの事を慕ってくれているということは。
だけど、こいつがなぜここまであたしを慕ってくるのかがわからない。
「昴があたしのことめっちゃ気に入ってるのは一緒にいたら分かるよ。でもあたしの何が気に入ったの?」
「……やっぱり覚えてないっすよね。実はあずさ先輩と俺、昔1度だけあったことあるんですよ」
「マジ?」
「マジっすよ。1年前の受験生向けの学校見学会の時に俺、あずさ先輩に会ってるんすよ」
1年前の受験生向けの学校見学会といえばジャンケンに負けてボランティアで運営スタッフにまわっていた。
運営スタッフと言っても先生たちの言うことを聞くお手伝いみたいなものだ。
その時に受付だったり、見学者の道案内を担当したのだ。だけど昴を見た記憶はない。
こんなに派手な外見だったら絶対に忘れたりなんかしないはずだ。
「ええー。昴みたいな派手な人見たら忘れないと思うんだけどな」
「先輩、中学生の俺と今の俺全然違うから。当時は髪の毛は黒かったですし、身長だって今より10cm以上小さかったんですよ。しかもこの青っぽい目を隠すために前髪めっちゃ伸ばしてましたし」
「ええー!昴にもそんな時があったんだ。そりゃあわからないわ。昴と言えば金髪ふわふわヘアーの青目だからさ!」
「先輩、俺のこと髪の毛と目の色だけで判断してるでしょ」
「……バレた?」
「今のやりとりでバレないわけないじゃないっすか。多分こうすればわかりますよ」
昴が一呼吸置いてから再び喋り出す。
「あずさ先輩どいるどしったげおもしぇ。いっつもどもな~」
普段聴きなれないどっかの方言。
だけどこの喋りは1度だけ聞いたことある。
思い出した!
「わかったー。1年前、学校見学会に来てたあの子か!あれ昴だったの?!うっそー! 全然別人でしょ!」
去年、学校見学会に来た大人しそうな男の子を思い出した。
彼は少し癖のある黒い髪の毛だった。そして目が隠れるくらいに伸びた重たい前髪が特徴的だった。
印象はよく言えば大人しい。悪く言えば陰気と言えるものだった。
その男の子は今の昴とは似ても似つかなかった。
その男の子は迷ったようにウロウロしていたからあたしが声をかけたのだ。
「ねえどうしたの? 君、見学会に来た中学生だよね。もしかして迷ってるの?」
「そうなんだス。会議室の場所がわからなくて」
「そっか。わかった。案内するよ。着いてきて」
彼が口を開くとかなり訛っていた。
地元では聞き慣れないイントネーションだったし、訛りが強くて時折何を言ってるかわからなかったのを思い出した。
今とは全然雰囲気も振る舞いも違う。わかるはずがない。
「やっぱ気付いて無かったんすか」
「そりゃあそうでしょ。だって全然雰囲気違うんだもん。それに今は訛ってないからわからなかったよ」
「俺も変わりましたからね。新生活に向けて必死で標準語覚えたんで。俺秋田県出身なんです」
「マジ?東北ボーイだったの?!」
「そうっすよ。って東北ボーイってなんなんすか。シティボーイみたいなノリやめてくださいっす」
「ごめんごめん」
初めて聞いた情報だった。
それだったらイントネーションが独特なのも訛りがあるのもうなずける。
「中3の時にこっち来たんですけど、同級生に訛りは馬鹿にされるし、青い目はカラコンしてると思われてたから教師受けも最悪っすよ」
「そういえばその目って本物なの」
「そうっすよ。俺のばあちゃんも同じ色の目してるっす。東北地方だとたまーに俺みたいな青っぽい目の色の人いるんですよ。だから秋田にいた時は誰も気にしなかったんですよ。だからこっちきて青い目で色々言われたのはあまりいい思い出ではないんすよ」
目から鱗だ。日本人といえば黒か茶色の目しかいないと思っていた。
あたしは昴の綺麗な青い目はカラコンだと思っていた。
「そりゃあ大変だったね。そんな昴にいいことを教えてあげよう。あたしは昴の青い目好きだよ。カラコンだと思ってたけど」
「ですよね。先輩に好きと言ってもらえて嬉しい限りっす。話し戻しますけど、俺にとっての中学3年は地獄だったわけなんです。そんな中であずさ先輩は優しく俺に道案内してくれましたし、色々と励ましてくれたのが嬉しくて」
「そうだっけ?」
そういえば短い時間だけど当時中学生だった昴に何か話した記憶はある。
何を言ったか今では思い出せないけど、それが昴にとって嬉しい事ならばよかった。
「いや、そりゃあ学校見学会のボランティアだから見学会に来た中学生に親切にするのはフツーのことじゃん」
「そうですね。あずさ先輩からしたら普通の事なんだと思います。だけどその時頼るものがなかった俺にはボランティアだったからとはいえ親切にしてくれたのってすごく嬉しかったんですよ」
「そうか、そんなに嬉しいと思ってもらえるなら親切にしてよかったよ。感謝されるのは悪いことじゃないしね」
彼があたしに懐く理由がやっと分かった。今まで委員会が一緒なだけの後輩にここまで懐かれるかがわからなかったので実はずっともやもやしていたのだ。
人に嫌われるよりは好かれる方がいいに決まっている。あそこまで先輩として慕われるならあたしも気分がいい。
「じゃあ俺食べ終わりましたし、店出ましょうか」
いつの間にか昴は皿のホットケーキを平らげていた。コーヒーも完全に飲み終わっていた。
甘いものが好きという割に昴が頼む飲み物はいつもブラックコーヒーなのだ。
あたしたちは店を後にした。
お会計はいつの間にか昴が済ませていた。
「男だし俺に格好つけさせてください。だから今日は俺の奢りです」
そう言われるとあたしは何も言えなかった。
金木犀の花が香る道路を2人で歩く。
10月の半ばくらいになると日の入りもそこそこ早くなる。
空は既に紺色に染まり、白い月が街を淡く照らしている。
涼しい風が優しく吹いてきて心地いい。この季節が1番過ごしやすくて好きだ。
「先輩、暗くなったし送っていきますね」
そう言って昴は車道側にズレる。
あたしは歩きだけど昴は自転車通学だ。昴はいつも使い込まれた古い感じのする銀色の自転車に乗っている。
あたしを家まで送ってくれる時はいつも自転車を押してあたしの歩くペースに合わせてくれる。
昴は遊んでそうで派手な容姿だが実はかなり気が利く。
あたしと並んで歩くときは絶対に自分が車道側を歩く。
鞄だって「重いでしょう?」と言われ彼の銀色の自転車の籠に入れさせてもらっている。
昴の鞄は自分自身の肩から掛けている。
あたしは手ぶらで昴の隣を歩いている。
もちろん最初はそんなの悪いと断っていた。
「先輩は女の子なんですから、こういうのは男に任せておけばいいんですよ」
そう言った昴は頑固だった。
なんというか昴が召使いに見えてくる。
「昴ってすごい気が利くよね。昴と一緒にいるとお姫様になった気分。お姫様にちょっとだけ憧れてたから」
「先輩はお姫様になりたいんすか?」
「ちょっとだけね。昔は本気でお姫様になりたかったよ。小さい頃は王子様がいつか迎えに来てくれないかなーって夢見たこともあったっけ」
嘘だ。昔じゃない。今だって本当は憧れている。
子供の頃から女の子らしいレースやフリルは大好きだった。
今でもドレスショップのショーウィンドウを見ると胸がときめく。
物語の王子様が自分を迎えにきてくれる事にだって憧れていた。シンデレラや眠れる森の美女とかの童話は大好きだった。
「あずさ先輩の意外な一面が知れてよかったっす。普段のあずさ先輩からは想像できない言葉っす」
「やっぱり似合わないっしょ」
「そんな事はないっす。確かに意外でしたけど。女の子なんだからそう言うのが好きでもいいでしょう」
他愛のない話をしているとあたしの家が見えてきた。
あたしの家に着くと昴は必ずあたしが玄関の扉を開けて、家の中に入っていくまで動こうとはしない。
あたしは昴に手を振る。
また明日といい、家に入った。
***
数日後、昴から話があると言われて空き教室に来るよう言われた。
どことなく緊張した面立ちから告白の呼び出しだと気がついてしまった。
窓から西日が差し込んでいる。その光で教室はオレンジ色に照らされている。
窓から見える夕暮れの空が美しいけれど、遠くに見える黒い雲が不穏だ。そしてあたしの心はその黒い雲のように重たい。
「あずさ先輩、あなたの事がずっと好きでした。俺と付き合ってください!お願いします」
昴はそう言って頭を下げた。
予想通りだった。あれだけ慕われていたら鈍ちんと名高いあたしでも察してしまう。
だけどいざ告白されるとものすごく緊張する。心臓がドキドキって脈客を打っている。
恥ずかしいことに人から告白などされた経験のないあたしはどうすればいいかが全くわからないのだ。
冗談めかして、罰ゲームなのと尋ねられる雰囲気でもない。昴の声と表情は真剣そのものだったから。
だけど昴と男女のお付き合いはできない。昴に対してあたしは恋愛感情が一切ないのだ。もちろん一緒にいて楽しいし、先輩と後輩の関係は最高だ。でも付き合うとなると違う事も求められる。キスとか、それよりも先の男女の接触だ。
昴と「キスしたいと思うか」と聞かれたら答えはいいえだ。
その先にある男女の関係だって足を踏み入れる気にはなれない。
何よりもあたしの心にはあの人がまだ焼け跡のように残っている。
あたしは本気で昴に向き合うことはできないだろう。昴と付き合いながらあの人と比べてしまうのだろう。
こんな気持ちで付き合ってはいけない。それはきっと昴の心を傷つける事になる。
向こうが誠実に思いを伝えに来たのだからこちらも誠実に返すべきだ。
「昴、ごめん。あたし、あんたの事は恋愛対象として見れない。あたしにとっての昴は可愛い後輩でしかないんだ。だけど告白されたのはすっごく嬉しい。こうやって真剣に想いを伝えてくれたのはあんたが初めてだから」
昴の顔が硬くなる。
昴の変わっていく表情に心が痛い。大きい青い瞳に涙の膜が張って、一筋の雫が昴の頬を伝う。
泣かせてしまった。
けれど、下手に付き合って傷つけるよりは絶対にいい。今断った方がお互いの傷は浅いはずだ。
告白を断るのってこんなに苦しいんだと初めて知る。しかもよく顔を見知った仲の良い相手に泣かれるのだから尚のことだ。
「お試しでもダメですか?先輩俺の事嫌いじゃないんですよね?だったら付きあってください!絶対絶対先輩を振り向かせて見せるから!俺、先輩のためならなんでもできますよ!」
予想外の返答だ。まさか諦めてくれないとは。
昴の縋るような声を聞くと罪悪感で胸を掻き毟られる気持ちになる。
今にも泣きそうな声は聞いているだけで罪悪感を煽る。
「先輩なんとか言ってくださいよ!俺、こんなに人を好きになったのあずさ先輩が初めてなんですよ!あずさ先輩以外の人と付き合うなんて考えられない!どうしたら俺とお試しでも付き合ってくれますか?そのためならなんでもできますよ!俺は何をすればいいんですか?答えてください!!」
昴が息もつく暇もなく捲し立ててくる。
早口で喋るから唾は飛ぶし、興奮しているのか目は充血して血走っている。涙がボロボロと溢れている。
昴のあまりの勢いにたじろぐ。
普段ニコニコしていて、犬のように人懐っこい姿からは想像できない取り乱しっぷりだった。
この様子だとおそらく昴はあたしが首を縦に振らないと引く様子は見せないだろう。
だけど昴にして欲しい事が思い浮かばない。だって今の関係性であたしは満足している。昴に求めることなんて何もないのだ。
あたしが何も言えないでいると昴は思い出したかのように口を開いた。
「先輩、前にお姫様に憧れているって言いましたよね?」
数日前の帰り道で昴にポロリと零した事だ。
「言った。でもそれは小さい時の事で」
「いいや、あずさ先輩あなたは本当は今でもお姫様に憧れがありますよね。俺知ってるっすよ。あずさ先輩がドレスショップのショーウィンドウをいつも見てるの」
「……」
「俺が先輩を最高のお姫様にしてあげます。流石に授業中や家にいる時は無理っすよ。だけどそれ以外の時間全てを使って先輩をお姫様にしてあげます。あずさ先輩のことをガサツな男女なんて誰にも言わせない。それであずさ先輩の心が満たされたら俺と本格的に付き合ってください!絶対先輩の事惚れさせて見せます!」
昴の提案に戸惑う。
おそらく何を言っても昴は引き下がらない。
だったらこの話を受けて、早い段階で無理だとわかってもらう必要がある。
時間をかけて定着したキャラクターと言うのはそう変える事はできない。あたしなんかをお姫様にするのはおそらく無理だろう。
「わかった。あたしをお姫様にして」
「絶対あずさ先輩を最高のお姫様にして満足させて見せます。あずさ先輩、その時はお試しじゃなくて本当の恋人にしてくださいね」
「よろしくね、昴」
「こちらこそよろしくお願いします」
こうしてあたしと昴は先輩後輩ではなく、お試しとは言え恋人同士と言う関係に変わった。
だけどあたしはまだ知らなかった。
能登昴の本気を。
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