看守の娘

山田わと

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Echo53:真実の断片

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 群衆の熱に圧されるように、祭壇脇へ進み出た村長が深く頷いた。
「これは神々の御前においても、立派な誓いであろう」
 朗々とした声が広場に響き渡る。
「炎を証とし、この場に立ち会った我ら皆が証人だ。二人の結びつきは、今日、この夜、この祭壇の前において祝福された」
 村長の言葉に応じるように、再び拍手と歓声が大きく波となって広がっていった。
 だが、アリセルにはその言葉も音も遠く、ただ眩暈のように響くだけだった。
 震える手で彼を突っぱね、必死に自分の足で立とうとするが、足がもつれて大きく揺らいだ。
 視界がぐらりと傾き、地に打ち付けられると思った刹那、強い腕にすくい上げられた。
 ユーグの一方の腕が背を支え、もう一方の手が膝下にすべり込む。
 頭上には、小麦の輪に赤や紫の果実を散りばめた冠がかぶせられた。

「こんなの、認められる訳ないわ!」

 祭壇の下から女性の声が響いた。かつてアリセルを叱責した、両親の知人だった。
 その憤りに震える叫びが、広場の空気を裂いた。ユーグは群衆を見渡し、ゆっくりと口を開いた。

「なぜ?」
「なぜって…それは……」
「俺と彼女は互いに欠かせない存在だ。それでもなお否定されるのは、身分が釣り合わないからだというのか?」
「そうよ! エルヴァン家の令嬢が、あなたのような素性も地位もない男と並び立つなど、あってはならないことだわ!」
「だったら聞こう」
 ユーグは観衆に向き直った。唇に不敵な笑みを浮かべたまま、問いかける。
「ここにいる誰が、まだ身分の差を信じている?」
 沈黙が走り、やがてどこからか「違う!」という声が返る。
 別の場所からも「もうそんなものはない!」と叫ぶ声が重なり、広場にざわめきが広がっていった。

「そうだろう。俺たちは皆、同じだ。愛する相手を選ぶ権利は誰にでもある!」
 その言葉に、群衆は一斉に沸き立った。
 歓声と拍手が波となって押し寄せ、女性の叫びを完全にかき消していく。

 炎の光と熱狂のうねりの中、ユーグはぐったりと力を失ったアリセルを胸に抱いたまま、揺るぎない足取りで祭壇の段を下りていった。
 人々は両脇に道をあけ、祝福の拍手を惜しみなく浴びせかける。ユーグは群衆の喝采を背に、燃え盛る祭壇を後にした。




 広場を抜けると、熱狂のざわめきは次第に遠のいていった。
 祭壇の炎と歓声が背後に沈み、代わりに夜風の静けさが頬を撫でる。

 ユーグに抱かれたまま揺られるように進むうち、アリセルはふと夜空を仰いだ。

 星々が暗闇の中に瞬き、まるで今にも降り注ぎそうなほどだった。
 祭りの喧噪の中では気付かなかった光景に、意識がぼんやりと吸い込まれていった。

 胸に抱かれる感触は、さっきの強引さとは違っていた。
 無理やり縫いとめられるような重さではなく、壊れ物を守るように包まれる確かさだった。

 アリセルは力の抜けたままの身体を委ねながら、次第に落ち着いていくのを感じていた。
 広場から離れた道は人影もなく、石造りの教会の尖塔が星空を背に静かに佇んでいる。
 教会の前でユーグが足を止めた瞬間、アリセルは腕の中で小さくもがいた。

「……降ろして」

 その声に、ユーグは静かに身をかがめて彼女を地面へと下ろした。
 だが足に力が入らず、アリセルはよろめいた。倒れる前にその身を引き寄せられる。
「大丈夫か……?」
 そう問いかけるユーグはいつもの彼だった。
 アリセルは小さく押し返して身を放す。肩で呼吸を整えながら、彼をキッと睨みつけた。

「大丈夫な訳ないでしょう!? なんなのっ、意味分かんないっ……!」

 言葉にした途端、それまで凍りついていた感情が一気に決壊した。
 声は震え、怒鳴っているようでいて、実際には半ば泣き出しそうだった。
 言葉を探すほどに舌がもつれて、混乱はますます募っていった。
「だから、言っただろ? ごめんって」
 ユーグは少し困ったように言った。確かにそうだった。
 祭壇の前で口づけを交わす直前、彼はアリセルの耳元に唇を寄せ、囁くように「ごめん」と謝っていたのだ。
「ごめんって言えばいいと思ってるの!? 全然ごめんじゃ済まないんだからっ!」
 胸に溜まっていた感情が堰を切ったように溢れ、思わず手を振り上げた。
 アリセルの手がユーグの頬に伸びる。

 ぱちん、と小気味よい音が響く。

 確かに音はしたが、それは本気で打ち据える強さではなかった。
 痛みを与えるというよりも、抗議の気持ちをどうにか形にしようとしただけの軽い平手だった。

 頬を打たれたユーグは驚いたように瞬きをし、すぐに口の端を持ち上げる。

 アリセルは顔を真っ赤にして手を引っ込め、拗ねたように彼を睨み上げた。
「ほんとにもう……訳わかんないし! 怖いし……、恥ずかしいし…! みんなの前で勝手にあんなこと言うし、するし!」
 言いかけた途端、頭に蘇ったのは、炎の前で無理やり交わされた長い口づけだった。
 舌を絡め取られ、息もできなくて、涙がにじんだあの瞬間。
 思い出しただけで顔から火が出そうになり、アリセルは両手で頬を覆う。
 胸の奥まで熱が広がり、悔しさと恥ずかしさが入り混じって苦しくなる。

「悪かったよ、アリセル……」

 ユーグは短くひと言だけ口にすると、アリセルが顔を隠していた両手を、自分の両手で包み込むようにして引き下ろした。
 そうしてから彼女の額に自分の額を、こつん、と合わせる。
 重ねられた額は、思いのほか冷たく、火照りと混乱でぐらぐらしていた頭が鎮まっていくようだった。アリセルは思わず目を閉じる。
「なんで、あんなことしたの……?」
 問いかけても返事はなく、合わせた額から伝わる冷たさだけが返ってくる。

 アリセルが不安に目を開けかけた瞬間、ユーグの唇がそのまま重なった。

 先ほどの強引なものとは異なり、今はまるで触れることさえ恐れるような、ひどく柔らかな口づけだった。唇が離れると、ユーグの顔が目の前にあった。
 凛とした輪郭に影が落ち、冬空色の瞳は静かに深さをたたえている。その気配に、アリセルの胸はどうしようもなく波立った。
 悔しくて仕方ないはずなのに、こみ上げる感情は涙となって零れそうになる。

 アリセルは両手でユーグの胸元をぎゅっと掴んだ。
 思い切るように背伸びし、迷いを抱えたまま顔を近づける。
 ためらうように開いた唇は震えていたが、それでも退くことはできなかった。
 凪いだ静寂の中で、自分から唇を重ねる。

 思いがけないその仕草に、ユーグの身体が一瞬強張った。驚きに目を見開き、息を呑む。
  唇が離れた後も、アリセルの頬は紅に染まり、視線を伏せたまま、顔を上げられなかった。
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