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15:高慢と貞操
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その後、ギデオンは料理を運び、空いた皿を下げ、樽から酒を注ぎ、客に笑顔を見せないことでささやかな反抗を続けるうちに、少しずつ体が動きに慣れてきた。
慣れてきた途端、余計なものも目に入る。
例えば、店の奥のテーブル。そこでリネアは、年かさの男たちに囲まれて、柔らかく笑っていた。盆を抱え、少しだけ首を傾げながら。
「今日の酒も煮込みも最高だったよ」
「お嬢さん。あんたが持って来ると、余計に旨く感じる」
「まあ。そんなこと仰っても、量は増えないわよ?」
男たちの笑い声が弾ける。
さっきナイフを突きつけてきた女とは思えない、見事な接客だった。肩に軽く手を置かれても、リネアはにこやかで、盆を持つ指先も乱れない。
ギデオンは、グラスを拭きながら、じっとその様子を見ていた。
「ふん。僕には愛想の欠片もないくせに」
こぼれた呟きは、布巾に吸い込まれて消える。
ギデオン本人は嫉妬など認める気はこれっぽっちもない。ただ、不公平だと感じているだけだ。不公平で、理不尽で、腹が立つのだ。
視線を少しずらすと、別のテーブルでは双子が女性客に囲まれていた。
明るく会話を返しながらも、手は驚くほど正確に動き続けている。片方はグラスへ酒を注ぎ、もう片方は注文の皿を受け取り、わずかな隙もなく次の客へと運んでいく。
動きにはまるで無駄がなく、手元は終始きれいに流れている。
この兄と妹は揃いも揃って、どうにも癪に触るほど器用だった。
(……まあ、あれだ。貧乏暮らしが長いと、ああいう手際になるんだろう)
理由づけてみたものの、胸のつかえは少しも晴れなかった。
むしろ、自分だってその気になればあれ位できる、と妙な意地が膨らんでいく。
(僕の本気を見せてやろう)
そう思いついた途端、ちょうど良さそうなテーブルが視界に入った。
座っていたのは三人組の客だった。
手元のボトルはほぼ空で、景気よく飲んでいることだけは分かる。服装は少々けばけばしいが、指輪や小物はそこそこ値の張る品で、金に困っている風ではない。
鮮やかな色のドレスに、巻き髪、しっかりした化粧。遠目に見れば、夜の街の女たちといった出で立ちだ。
先程までの、やる気のなさをひとまず棚に上げて、ギデオンはメニューを小脇に抱え、そのテーブルへと向かった。
背筋を、最も自分が映えると分かっている角度へと整え、口元には艶を含んだ笑みを浮かべた。
「お客様。お飲み物の追加はいかがですか?」
喉の奥で一段階だけ声を落とし、意図して甘やかさを混ぜた。すると三人の客が同時に顔を上げた。
「やだ、かわいい!!」
「ねえ、睫毛長くない?」
「こんな店員いたの?」
黄色い歓声が上がる。ギデオンの自尊心は単純なので、それだけで機嫌を直した。
微笑みを浮かべたまま、椅子の背に手を置き、少し身を屈めて視線の高さを合わせてみせると、三人はますます声を弾ませる。
「横顔きれい」
「腰細いわねえ」
「ねぇ、あなたこっちにいらっしゃいな」
一人にぐいっと腕をつかまれ、そのまま当然のように隣へと引き寄せられた。褒め言葉を浴びて得意になっていたギデオンだが、ふと、胸の奥に小さな引っかかりが生まれた。
声が、妙に低いのだ。
耳に落ちてくるその響きは、娘のものというより、腹の底までよく通る深いアルトだった。酒に少し焼かれたような声色が、妙に存在感を残す。
あらためて三人をよく見た。
化粧はきちんと施されている。睫毛は確かに長く、唇には艶があり、頬には薄い紅が差している。髪も巻かれ、耳元には大ぶりなイヤリング。服も胸元がそこそこ開いた派手めなものだ。
しかし肩幅が妙にしっかりしている。指先もよく見れば節が太く、喉元には、はっきりと喉ぼとけが浮いていた。
「あの……。お嬢、……さん方は……」
「なあに?」
真ん中の客が、やけに艶っぽい上目遣いで覗き込んでくる。目尻に描かれたラインの奥の瞳は、妙に据わっていて、場数の多さを物語っていた。
「い、いえ。なんでも。あの、じゃあ、僕は仕事があるから、これで……」
逃げようと腰を浮かせた瞬間、肩をぐっと押さえ込まれた。その力は、華奢な娘が出せるような軽い引き止めではなく、男の腕力そのものが乗った重さだった。
「つれないこと言わないで、ゆっくりしていきなさいな。ねぇ、あなた名前は?」
「彼女いるの?」
「仕事終わったら一緒に飲まない?」
「はは……。いや、僕はその、妻がいるから」
「やだぁ、それは困ったわねえ」
困ったと言いながら、両側から伸びてきた腕が、腰と手首をしっかりと捕らえた。
太い指先はためらいもなく、くびれに食い込み、形を確かめるようになぞり上げる。もう片方の手は、逃げ道を断つように手首へ絡みつき、じわりと力を込めてきた。
軽く触れた、という甘い距離ではない。触って確かめる気満々の生々しく、そして図々しい距離だ。
「やっ、やめっ……!」
抗議の声を上げても、耳元へ落ちる息がふっと笑いに混じる。
「大丈夫よ。静かにしていれば気付かれないわ」
ギデオンの背筋に冷たいものが走る。
ふと、双子と目が合った。
だがギデオンと視線がぶつかった途端、二人とも何事もなかったかのように、驚くほど滑らかに目をそらした。
助けを求めてリネアを探すと、彼女は少し離れたテーブルで料理を置き終えたところだった。
ちょうど振り向いたその目が、ギデオンと絡む。状況を何かしら察したのか、彼女の瞳が細くなる。
しかし、次の瞬間。
リネアは、にこり、と明るく微笑んで、指先だけでひらひらと手を振った。
(いや違う、助けを求めてるんだ僕は! 応援じゃない!)
心の中で声を荒げても、当然、外の世界には一切届かない。
誰も助けてくれそうもない中で、貞操の危機を感じたギデオンの背中には、冷や汗と悪寒が同時に走っていった。
慣れてきた途端、余計なものも目に入る。
例えば、店の奥のテーブル。そこでリネアは、年かさの男たちに囲まれて、柔らかく笑っていた。盆を抱え、少しだけ首を傾げながら。
「今日の酒も煮込みも最高だったよ」
「お嬢さん。あんたが持って来ると、余計に旨く感じる」
「まあ。そんなこと仰っても、量は増えないわよ?」
男たちの笑い声が弾ける。
さっきナイフを突きつけてきた女とは思えない、見事な接客だった。肩に軽く手を置かれても、リネアはにこやかで、盆を持つ指先も乱れない。
ギデオンは、グラスを拭きながら、じっとその様子を見ていた。
「ふん。僕には愛想の欠片もないくせに」
こぼれた呟きは、布巾に吸い込まれて消える。
ギデオン本人は嫉妬など認める気はこれっぽっちもない。ただ、不公平だと感じているだけだ。不公平で、理不尽で、腹が立つのだ。
視線を少しずらすと、別のテーブルでは双子が女性客に囲まれていた。
明るく会話を返しながらも、手は驚くほど正確に動き続けている。片方はグラスへ酒を注ぎ、もう片方は注文の皿を受け取り、わずかな隙もなく次の客へと運んでいく。
動きにはまるで無駄がなく、手元は終始きれいに流れている。
この兄と妹は揃いも揃って、どうにも癪に触るほど器用だった。
(……まあ、あれだ。貧乏暮らしが長いと、ああいう手際になるんだろう)
理由づけてみたものの、胸のつかえは少しも晴れなかった。
むしろ、自分だってその気になればあれ位できる、と妙な意地が膨らんでいく。
(僕の本気を見せてやろう)
そう思いついた途端、ちょうど良さそうなテーブルが視界に入った。
座っていたのは三人組の客だった。
手元のボトルはほぼ空で、景気よく飲んでいることだけは分かる。服装は少々けばけばしいが、指輪や小物はそこそこ値の張る品で、金に困っている風ではない。
鮮やかな色のドレスに、巻き髪、しっかりした化粧。遠目に見れば、夜の街の女たちといった出で立ちだ。
先程までの、やる気のなさをひとまず棚に上げて、ギデオンはメニューを小脇に抱え、そのテーブルへと向かった。
背筋を、最も自分が映えると分かっている角度へと整え、口元には艶を含んだ笑みを浮かべた。
「お客様。お飲み物の追加はいかがですか?」
喉の奥で一段階だけ声を落とし、意図して甘やかさを混ぜた。すると三人の客が同時に顔を上げた。
「やだ、かわいい!!」
「ねえ、睫毛長くない?」
「こんな店員いたの?」
黄色い歓声が上がる。ギデオンの自尊心は単純なので、それだけで機嫌を直した。
微笑みを浮かべたまま、椅子の背に手を置き、少し身を屈めて視線の高さを合わせてみせると、三人はますます声を弾ませる。
「横顔きれい」
「腰細いわねえ」
「ねぇ、あなたこっちにいらっしゃいな」
一人にぐいっと腕をつかまれ、そのまま当然のように隣へと引き寄せられた。褒め言葉を浴びて得意になっていたギデオンだが、ふと、胸の奥に小さな引っかかりが生まれた。
声が、妙に低いのだ。
耳に落ちてくるその響きは、娘のものというより、腹の底までよく通る深いアルトだった。酒に少し焼かれたような声色が、妙に存在感を残す。
あらためて三人をよく見た。
化粧はきちんと施されている。睫毛は確かに長く、唇には艶があり、頬には薄い紅が差している。髪も巻かれ、耳元には大ぶりなイヤリング。服も胸元がそこそこ開いた派手めなものだ。
しかし肩幅が妙にしっかりしている。指先もよく見れば節が太く、喉元には、はっきりと喉ぼとけが浮いていた。
「あの……。お嬢、……さん方は……」
「なあに?」
真ん中の客が、やけに艶っぽい上目遣いで覗き込んでくる。目尻に描かれたラインの奥の瞳は、妙に据わっていて、場数の多さを物語っていた。
「い、いえ。なんでも。あの、じゃあ、僕は仕事があるから、これで……」
逃げようと腰を浮かせた瞬間、肩をぐっと押さえ込まれた。その力は、華奢な娘が出せるような軽い引き止めではなく、男の腕力そのものが乗った重さだった。
「つれないこと言わないで、ゆっくりしていきなさいな。ねぇ、あなた名前は?」
「彼女いるの?」
「仕事終わったら一緒に飲まない?」
「はは……。いや、僕はその、妻がいるから」
「やだぁ、それは困ったわねえ」
困ったと言いながら、両側から伸びてきた腕が、腰と手首をしっかりと捕らえた。
太い指先はためらいもなく、くびれに食い込み、形を確かめるようになぞり上げる。もう片方の手は、逃げ道を断つように手首へ絡みつき、じわりと力を込めてきた。
軽く触れた、という甘い距離ではない。触って確かめる気満々の生々しく、そして図々しい距離だ。
「やっ、やめっ……!」
抗議の声を上げても、耳元へ落ちる息がふっと笑いに混じる。
「大丈夫よ。静かにしていれば気付かれないわ」
ギデオンの背筋に冷たいものが走る。
ふと、双子と目が合った。
だがギデオンと視線がぶつかった途端、二人とも何事もなかったかのように、驚くほど滑らかに目をそらした。
助けを求めてリネアを探すと、彼女は少し離れたテーブルで料理を置き終えたところだった。
ちょうど振り向いたその目が、ギデオンと絡む。状況を何かしら察したのか、彼女の瞳が細くなる。
しかし、次の瞬間。
リネアは、にこり、と明るく微笑んで、指先だけでひらひらと手を振った。
(いや違う、助けを求めてるんだ僕は! 応援じゃない!)
心の中で声を荒げても、当然、外の世界には一切届かない。
誰も助けてくれそうもない中で、貞操の危機を感じたギデオンの背中には、冷や汗と悪寒が同時に走っていった。
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