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26:完成より未完成
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(……僕は兄たちの型に嵌まらなかった。それだけのことだろう)
ギデオンは内心で毒づく。同時に昔の記憶がふと蘇った。
幼い頃、年の離れた兄たちの背中は、ひどく大きく見えた。
ただそこに立っているだけで、完成していると思わせる何かが、兄たちには備わっていた。
だがギデオンは体が弱く、すぐに熱を出して寝込んでいたばかりだったのだ。
運動も駄目、剣術も駄目、読書はしたが役に立たない方面ばかりにのめり込む。
どうせ何をやったって、兄たちの劣化版ができるだけだと、病弱な子どもにそんな言葉を教えたのは誰だろう。
多分、誰でもない。ただ、毎日の空気の中で、ギデオン自身が自分に教え込んだのだ。
それならば、努力はやめたほうが楽だ。
期待されなければ、失望させることもない。好き勝手に遊んでいれば、余計な期待は向けられない。
家族に放蕩だの、だらしがないなどと評されて、「ああ、またか」と溜息をつかれる程度で済むのなら、上等ではないか。
何より、その立ち位置は案外居心地がいい。
少なくとも、比べられ続ける場所に立たされるよりは、ずっとマシだった。
「でも、私はギデオンさんの妻になれて良かったと思います」
リネアの声に、ギデオンは思わず顔をあげた。
「彼はとても魅力的なんです。柔軟で、ちゃんと応えてくださる。新しい反応を見せてくださるから、毎日楽しくて、退屈したことがないんです」
ギデオンは、スープの器を見つめたまま動けなくなった。
まさか、リネアにこんなふうに言われる日が来るとは思ってもいなかったのだ。
いつものギデオンなら、そこでふんぞり返って「当然じゃないか、僕と結婚できるなんてリネアは果報者だよ」とでも言った筈だ。
だが今は、そんな言葉を返すことさえできない。
食卓に沈黙が落ち、時間だけが静かに進んだ。その静けさを破ったのは、母の声だった。
「……そうは言っても、本当に、ギデオンで良かったのかしら?」
出てきた言葉がそれだった。その声には、まるで「欠陥品を押し付けてしまったかもしれない」という薄い後悔の色が浮かんでいた。
息子の名を話題にしながら、視線はリネアに向いている。
「はい」
リネアのまっすぐさが、家族の胸に、うっすらと残っていた後ろめたさをなぞるように届いた。
父は咳払いをひとつ。クロードはグラスの脚を指先でなぞり、ノエルはパンをちぎる手を止めた。
気まずさと、どう反応していいか分からない空気が食卓を静かに包む。
「その……。リネアさん…具体的に、こいつのどのあたりが、良いんだい?」
クロードが、一家の代表として最も穏当な問いを投げた……ように見せかけて、その実、中身はなかなかに酷かった。
おそらく兄としては、少しは気を遣ったつもりなのだろうが、「弟の長所が思い浮かばない」という意図が、声色の隙間からうっかり顔を出していた。
リネアは、にっこりと笑う。
「そうですね。毎日、違う反応を見せてくださいますし。私の方針に反発なさることはありますけれど、そのおかげで、こちらも考え方を変えたり、工夫したりしなければいけないので、一緒にいると、とても刺激的なんです」
リネアの言葉に家族の面々の表情は、「不憫」から「驚愕」、そして「呆然」へと変わっていく。
「なんて、素晴らしい娘なんだ」
ぽつりと、クロードが漏らした。
それは決して社交辞令ではなく、心底から感嘆している声音だった。いつも冷静な長兄の眉が、わずかに緩む。
「ギデオンのそんな所を、そこまで好意的に解釈できる人がいるとは……いや、失礼。うちの弟を悪く言うつもりはないんだけれどね」
「充分悪く言っていると僕は思うんだけど」
ギデオンの抗議は、見事に無視された。
クロードは、ふと真顔になってリネアを見つめる。その視線は、兄としての軽い冷やかしを超え、ひとりの男のものになりかけていた。
「……もし、だ」
慎重に言葉を選ぶような声音で切り出す。
「もし、機会が許されるなら、ギデオンではなく、私のところに嫁いでくれても良かったのだけれどね」
「……はあ!?」
思わずイスを引き倒しかけた弟をよそに、長兄はさらりと言ってのけた。
言葉の端には冗談めいた軽さが添えられているものの、その目は笑っていない。むしろ、珍しく本気で名案だと思っている顔だ。
「私は仕事が忙しいから、なかなか結婚の話も進まなくて、ずっと独り身なんだ。だからこそ、これほど堅実で頭の回る女性が傍にいてくれたら、どれほど心強いかとつい想像してしまってね」
「想像だけにしておけっ!」
ギデオンの声が、情けないほど裏返る。
クロードは弟の抗議を、今度こそ聞こえなかったことにしたらしい。ワインを一口含んでから、さらに余計なことを付け足す。
「まあ、今さら取り替えるわけにはいかないだろうけれど。制度上、許されるなら、前向きに検討したいところだった」
「検討するなっ!」
「……俺のところでもいい」
ギデオンの突っ込みを遮るように、すかさず横からぼそりと低い声が転がってきた。
ノエルだった。さっきまで黙々と食事を口に運んでいた次兄が、ふと視線を上げて、淡々と告げる。
「俺も、まだ妻はいない。領地の鍛錬と兵の指導で、そんな余裕がなかった。だから、もし……」
「ノエル兄さんまで、何を言ってるんだ!」
思わず椅子を引き寄せ、ギデオンはテーブルの下で兄のすねを蹴りそうになって、寸前で踏みとどまった。
家族の前で本気の兄弟喧嘩を始めるわけにはいかない。せいぜい、足元で静かに抗議する程度が限界だ。しかし、そのささやかな暴挙さえも、リネアの前では妙に躊躇われる。
そんなギデオンの動揺をよそに、父と母も、なぜか真剣な顔つきになっていた。
悪ふざけの延長ではなく、本当に「選択を誤ったのではないか」と、いま冷静に検証を始めた顔である。
「……もし、最初からリネアさんのような方だと分かっていたら」
父が、厳粛な声で呟く。
「ギデオンなどに渡さず、長男か次男のどちらかに、と考えたかもしれませんな」
「本当に」
母は、惜しむように頷いた。
「こんなにしっかりした、思慮深いお嬢さんだとは……。ねえ、今からでも、結婚のやり直しというのは……」
「母上!」
ギデオンは、さすがに声を上げた。
しかし、抗議のボリュームを上げきれない。本気で怒鳴りつければ、みっともなく嫉妬している男以外の何者でもなくなる。
何より、リネアの前であからさまに取り乱した姿を見せたくはなかった。
リネアは親が勝手に決めた相手だ。だが、それでも彼女を今更、兄たちに譲るなど、あってはならない。彼女は自分のものだ。
繰り返しになるが、それは決して、好きだからではない。そういうことでは断じてないと自分に言い聞かせる。ただ自分のものであるはずの相手が、他の誰かのものになるというのが、理屈抜きに気に入らない。それだけの話だ。
リネアは、そんなギデオンの複雑な心境を知ってか知らずか、穏やかな笑顔を保ったまま、家族の提案に答えた。
「皆さま、ありがたいことを仰ってくださって、もったいないお言葉です」
まずは礼を尽くす。その所作に迷いはない。
「でも、私はギデオンさんが良いんです」
きっぱりと言い切る声音に、父母の肩がわずかに落ちる。
クロードは苦笑し、ノエルも諦め半分、安堵半分という表情を浮かべた。
「……どうしてだい?」
クロードが、興味と少しの名残惜しさを込めて問う。
「私やノエルでは、いけない理由があるのかな?」
「お兄様方は、とても立派でいらっしゃいます。お仕事にも真摯で、領民の方々からの信頼も厚くて。……きっと、どなたにとっても理想のご主人様になられる方々だと思います。でも、ギデオンさんは、お兄様方と違って、まだ完成していない所がたくさんおありです。まだ柔らかい土のようで、それをどういう形にしていくかを考えられるのが、私はとても楽しいのです」
その例えに至って、「僕は焼き物か」と、ギデオンは無言で眉をしかめる。
つまり、不出来な粘土細工を成形していく過程が面白いという意味らしい。しかも彼女の声音に、うっとりとした響きすら混じる。
ギデオンの自尊心は、褒められているのか貶されているのか判別できず、ひどく忙しかった。
ギデオンは内心で毒づく。同時に昔の記憶がふと蘇った。
幼い頃、年の離れた兄たちの背中は、ひどく大きく見えた。
ただそこに立っているだけで、完成していると思わせる何かが、兄たちには備わっていた。
だがギデオンは体が弱く、すぐに熱を出して寝込んでいたばかりだったのだ。
運動も駄目、剣術も駄目、読書はしたが役に立たない方面ばかりにのめり込む。
どうせ何をやったって、兄たちの劣化版ができるだけだと、病弱な子どもにそんな言葉を教えたのは誰だろう。
多分、誰でもない。ただ、毎日の空気の中で、ギデオン自身が自分に教え込んだのだ。
それならば、努力はやめたほうが楽だ。
期待されなければ、失望させることもない。好き勝手に遊んでいれば、余計な期待は向けられない。
家族に放蕩だの、だらしがないなどと評されて、「ああ、またか」と溜息をつかれる程度で済むのなら、上等ではないか。
何より、その立ち位置は案外居心地がいい。
少なくとも、比べられ続ける場所に立たされるよりは、ずっとマシだった。
「でも、私はギデオンさんの妻になれて良かったと思います」
リネアの声に、ギデオンは思わず顔をあげた。
「彼はとても魅力的なんです。柔軟で、ちゃんと応えてくださる。新しい反応を見せてくださるから、毎日楽しくて、退屈したことがないんです」
ギデオンは、スープの器を見つめたまま動けなくなった。
まさか、リネアにこんなふうに言われる日が来るとは思ってもいなかったのだ。
いつものギデオンなら、そこでふんぞり返って「当然じゃないか、僕と結婚できるなんてリネアは果報者だよ」とでも言った筈だ。
だが今は、そんな言葉を返すことさえできない。
食卓に沈黙が落ち、時間だけが静かに進んだ。その静けさを破ったのは、母の声だった。
「……そうは言っても、本当に、ギデオンで良かったのかしら?」
出てきた言葉がそれだった。その声には、まるで「欠陥品を押し付けてしまったかもしれない」という薄い後悔の色が浮かんでいた。
息子の名を話題にしながら、視線はリネアに向いている。
「はい」
リネアのまっすぐさが、家族の胸に、うっすらと残っていた後ろめたさをなぞるように届いた。
父は咳払いをひとつ。クロードはグラスの脚を指先でなぞり、ノエルはパンをちぎる手を止めた。
気まずさと、どう反応していいか分からない空気が食卓を静かに包む。
「その……。リネアさん…具体的に、こいつのどのあたりが、良いんだい?」
クロードが、一家の代表として最も穏当な問いを投げた……ように見せかけて、その実、中身はなかなかに酷かった。
おそらく兄としては、少しは気を遣ったつもりなのだろうが、「弟の長所が思い浮かばない」という意図が、声色の隙間からうっかり顔を出していた。
リネアは、にっこりと笑う。
「そうですね。毎日、違う反応を見せてくださいますし。私の方針に反発なさることはありますけれど、そのおかげで、こちらも考え方を変えたり、工夫したりしなければいけないので、一緒にいると、とても刺激的なんです」
リネアの言葉に家族の面々の表情は、「不憫」から「驚愕」、そして「呆然」へと変わっていく。
「なんて、素晴らしい娘なんだ」
ぽつりと、クロードが漏らした。
それは決して社交辞令ではなく、心底から感嘆している声音だった。いつも冷静な長兄の眉が、わずかに緩む。
「ギデオンのそんな所を、そこまで好意的に解釈できる人がいるとは……いや、失礼。うちの弟を悪く言うつもりはないんだけれどね」
「充分悪く言っていると僕は思うんだけど」
ギデオンの抗議は、見事に無視された。
クロードは、ふと真顔になってリネアを見つめる。その視線は、兄としての軽い冷やかしを超え、ひとりの男のものになりかけていた。
「……もし、だ」
慎重に言葉を選ぶような声音で切り出す。
「もし、機会が許されるなら、ギデオンではなく、私のところに嫁いでくれても良かったのだけれどね」
「……はあ!?」
思わずイスを引き倒しかけた弟をよそに、長兄はさらりと言ってのけた。
言葉の端には冗談めいた軽さが添えられているものの、その目は笑っていない。むしろ、珍しく本気で名案だと思っている顔だ。
「私は仕事が忙しいから、なかなか結婚の話も進まなくて、ずっと独り身なんだ。だからこそ、これほど堅実で頭の回る女性が傍にいてくれたら、どれほど心強いかとつい想像してしまってね」
「想像だけにしておけっ!」
ギデオンの声が、情けないほど裏返る。
クロードは弟の抗議を、今度こそ聞こえなかったことにしたらしい。ワインを一口含んでから、さらに余計なことを付け足す。
「まあ、今さら取り替えるわけにはいかないだろうけれど。制度上、許されるなら、前向きに検討したいところだった」
「検討するなっ!」
「……俺のところでもいい」
ギデオンの突っ込みを遮るように、すかさず横からぼそりと低い声が転がってきた。
ノエルだった。さっきまで黙々と食事を口に運んでいた次兄が、ふと視線を上げて、淡々と告げる。
「俺も、まだ妻はいない。領地の鍛錬と兵の指導で、そんな余裕がなかった。だから、もし……」
「ノエル兄さんまで、何を言ってるんだ!」
思わず椅子を引き寄せ、ギデオンはテーブルの下で兄のすねを蹴りそうになって、寸前で踏みとどまった。
家族の前で本気の兄弟喧嘩を始めるわけにはいかない。せいぜい、足元で静かに抗議する程度が限界だ。しかし、そのささやかな暴挙さえも、リネアの前では妙に躊躇われる。
そんなギデオンの動揺をよそに、父と母も、なぜか真剣な顔つきになっていた。
悪ふざけの延長ではなく、本当に「選択を誤ったのではないか」と、いま冷静に検証を始めた顔である。
「……もし、最初からリネアさんのような方だと分かっていたら」
父が、厳粛な声で呟く。
「ギデオンなどに渡さず、長男か次男のどちらかに、と考えたかもしれませんな」
「本当に」
母は、惜しむように頷いた。
「こんなにしっかりした、思慮深いお嬢さんだとは……。ねえ、今からでも、結婚のやり直しというのは……」
「母上!」
ギデオンは、さすがに声を上げた。
しかし、抗議のボリュームを上げきれない。本気で怒鳴りつければ、みっともなく嫉妬している男以外の何者でもなくなる。
何より、リネアの前であからさまに取り乱した姿を見せたくはなかった。
リネアは親が勝手に決めた相手だ。だが、それでも彼女を今更、兄たちに譲るなど、あってはならない。彼女は自分のものだ。
繰り返しになるが、それは決して、好きだからではない。そういうことでは断じてないと自分に言い聞かせる。ただ自分のものであるはずの相手が、他の誰かのものになるというのが、理屈抜きに気に入らない。それだけの話だ。
リネアは、そんなギデオンの複雑な心境を知ってか知らずか、穏やかな笑顔を保ったまま、家族の提案に答えた。
「皆さま、ありがたいことを仰ってくださって、もったいないお言葉です」
まずは礼を尽くす。その所作に迷いはない。
「でも、私はギデオンさんが良いんです」
きっぱりと言い切る声音に、父母の肩がわずかに落ちる。
クロードは苦笑し、ノエルも諦め半分、安堵半分という表情を浮かべた。
「……どうしてだい?」
クロードが、興味と少しの名残惜しさを込めて問う。
「私やノエルでは、いけない理由があるのかな?」
「お兄様方は、とても立派でいらっしゃいます。お仕事にも真摯で、領民の方々からの信頼も厚くて。……きっと、どなたにとっても理想のご主人様になられる方々だと思います。でも、ギデオンさんは、お兄様方と違って、まだ完成していない所がたくさんおありです。まだ柔らかい土のようで、それをどういう形にしていくかを考えられるのが、私はとても楽しいのです」
その例えに至って、「僕は焼き物か」と、ギデオンは無言で眉をしかめる。
つまり、不出来な粘土細工を成形していく過程が面白いという意味らしい。しかも彼女の声音に、うっとりとした響きすら混じる。
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