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34:案ずるより刈るが易し
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翌朝、ギデオンは椅子の背にもたれたまま、逃げ道を探すように天井を見つめていた。
「……本当に君が切るの?」
「ええ。じっとしていて」
背後から返ってきたリネアの声は、落ち着き払っている。彼女の手には細身の鋏と櫛が握られている。街の理髪師より、よほど手際の良さそうな構えだったが、それとこれとは話が別だ。
「いや、待って。というか、まだ間に合うよね。やっぱり腕の良い理髪師を呼んでこようよ」
「そんな暇ないの。いいからじっとしてて」
ふわりと髪が持ち上げられる。耳の横を鋏の刃がかすめ、しゃり、と控えめな音がした。床に、細い束がひとつ落ちる。
「本当に大丈夫なんだよね!? 今ので、取り返しのつかない量が落ちた気がするんだけど!?」
「大丈夫、大丈夫」
「その言い方、大丈夫に聞こえない……。リネア、こういうこと前にもやっていたの?」
ギデオンは、せめて実績を確認しようと試みた。自分の髪が犠牲になる前に、どこか別の頭で経験を積んでいてほしい。
「そうね。毛を刈ったり、整えたりするのは、よくやっていたわ」
「誰の? 君の兄さんのとか?」
「犬」
間髪入れずに答えが落ちてきた。ギデオンは椅子から立ち上がりかけて、鋏の先が危うい位置にあることを思い出し、その場で固まった。
「い、犬?」
「番犬と、狩猟犬と、毛の長い小型犬。放っておくと毛玉だらけになるでしょう。刈って、整えて、洗って。慣れているわ」
リネアは、耳の後ろに指を添えながら、ごく当たり前のことを説明するような口ぶりで続けた。彼女の中では「犬の毛を刈る」と「夫の髪を整える」が、同じ棚に並んでいるらしい。髪をつまんで、長さを見極め、ためらいもなく鋏を入れる。
「暴れないだけ、ギデオンのほうが楽ね」
「犬と僕を比較するのやめてくれないかな……」
顔をしかめるギデオンに、返事の代わりに、しゃきん、とひときわ軽快な音が響く。額のあたりが妙に涼しくなってきた頃、ようやくリネアの手が止まった。
「終わり。鏡を見て」
リネアが鏡を差し出した。恐る恐る覗き込んだギデオンは、わずかに目を見開いた。
そこに映っていたのは、昨日までの自分とは少し違う男だった。
前髪は視界を遮らない位置で揃えられ、眉の形がきちんと見える。横の髪は耳の線がきれいに出る程度に短くなり、襟足も首筋のラインに沿って整えられている。派手な動きはないが、全体に無駄が削がれ、骨格の良さと目鼻立ちの整い方が、そのまま露わになっていた。
(……これは、なかなか、いいかもしれない)
口に出すのは癪だが、心の中でそう思う。
「どう?」
「……まあ。及第点くらいかな」
「そう。なら、成功ね」
素直に褒めるのは気に食わない。実際は気に入ったのだが、それを悟られるのだけは避けたくて、言葉をわざと平らに整える自分がいた。
髪型の問題が片付くと、次は衣装だった。
「服も変えましょう」
リネアが衣装箪笥の扉を開ける。中には、ギデオンが集めてきた服が整然と並んでいる。金糸の刺繍、宝石をちりばめたボタン、光沢のある布地。鏡の前で何度も角度を変え、自己満足を積み上げてきた歴史の一部とも言えた。しかし、リネアの選抜基準は、残酷なまでに実用本位だった。
「これは駄目。光りすぎているわ」
「そこが良いんじゃないか」
「これは刺繍がうるさい。遠目だと服しか見えないわね」
「服を見てもらうための服だからね?」
「これは論外」
「今の一言、ちょっと刺さるんだけど」
リネアはギデオンの抗議を、涼しい顔で受け流しながら、上着を三つの山に分けていく。戦場不適切、場合によっては可、そもそも平時でも考え直したほうがいいという分類らしい。
最終的に彼女が手に取ったのは、深い紺色の上着だった。布にはしっかりとした張りがあり、余計な光沢はない。肩から胸にかけての裁ち方は体の線を拾うが、動きを邪魔しない余裕も残している。襟元には、簡素な飾り紐がひとつ。それだけだ。
「これと、暗い色のシャツ。それから、短めの上着を重ねて。馬に乗ったとき、裾が邪魔にならないように」
リネアは、ベルトも飾りの少ないものを選び、しなやかなズボンを用意した。全体で見ると、派手さはないが、どこか締まった印象になる組み合わせだった。
ギデオンが着替えを終え、再び鏡の前に立つと、部屋の空気がわずかに変わった。深い紺の上着が肩幅を強調し、ベルトが腰の位置をはっきりと区切る。短く整えた髪と首筋のラインが、顔立ちの整い方を際立たせていた。装飾に頼らなくても、きちんと男の格好がついている。
「ギデオン、かっこいいわ」
リネアの一言で、ギデオンの自尊心は、見事に点火した。
「やっぱり? 僕も今、そう思っていたところだよ」
鏡の前で軽く肩を引き、横顔を確かめる。顎の角度を少し上げ、想像上の兵に視線を投げてみる。どの角度から見ても、悪くない。むしろかなり良い。
「これは、みんなにも見せないといけないな」
「みんな?」
「館の者たちに決まってるだろう。僕の姿を見てもらわないと」
リネアは、短く瞬きをしたあと、口元を緩めた。それを了承と受け取ったギデオンは、上着の裾を払ってから、勢いよく部屋を出ていった。
「……本当に君が切るの?」
「ええ。じっとしていて」
背後から返ってきたリネアの声は、落ち着き払っている。彼女の手には細身の鋏と櫛が握られている。街の理髪師より、よほど手際の良さそうな構えだったが、それとこれとは話が別だ。
「いや、待って。というか、まだ間に合うよね。やっぱり腕の良い理髪師を呼んでこようよ」
「そんな暇ないの。いいからじっとしてて」
ふわりと髪が持ち上げられる。耳の横を鋏の刃がかすめ、しゃり、と控えめな音がした。床に、細い束がひとつ落ちる。
「本当に大丈夫なんだよね!? 今ので、取り返しのつかない量が落ちた気がするんだけど!?」
「大丈夫、大丈夫」
「その言い方、大丈夫に聞こえない……。リネア、こういうこと前にもやっていたの?」
ギデオンは、せめて実績を確認しようと試みた。自分の髪が犠牲になる前に、どこか別の頭で経験を積んでいてほしい。
「そうね。毛を刈ったり、整えたりするのは、よくやっていたわ」
「誰の? 君の兄さんのとか?」
「犬」
間髪入れずに答えが落ちてきた。ギデオンは椅子から立ち上がりかけて、鋏の先が危うい位置にあることを思い出し、その場で固まった。
「い、犬?」
「番犬と、狩猟犬と、毛の長い小型犬。放っておくと毛玉だらけになるでしょう。刈って、整えて、洗って。慣れているわ」
リネアは、耳の後ろに指を添えながら、ごく当たり前のことを説明するような口ぶりで続けた。彼女の中では「犬の毛を刈る」と「夫の髪を整える」が、同じ棚に並んでいるらしい。髪をつまんで、長さを見極め、ためらいもなく鋏を入れる。
「暴れないだけ、ギデオンのほうが楽ね」
「犬と僕を比較するのやめてくれないかな……」
顔をしかめるギデオンに、返事の代わりに、しゃきん、とひときわ軽快な音が響く。額のあたりが妙に涼しくなってきた頃、ようやくリネアの手が止まった。
「終わり。鏡を見て」
リネアが鏡を差し出した。恐る恐る覗き込んだギデオンは、わずかに目を見開いた。
そこに映っていたのは、昨日までの自分とは少し違う男だった。
前髪は視界を遮らない位置で揃えられ、眉の形がきちんと見える。横の髪は耳の線がきれいに出る程度に短くなり、襟足も首筋のラインに沿って整えられている。派手な動きはないが、全体に無駄が削がれ、骨格の良さと目鼻立ちの整い方が、そのまま露わになっていた。
(……これは、なかなか、いいかもしれない)
口に出すのは癪だが、心の中でそう思う。
「どう?」
「……まあ。及第点くらいかな」
「そう。なら、成功ね」
素直に褒めるのは気に食わない。実際は気に入ったのだが、それを悟られるのだけは避けたくて、言葉をわざと平らに整える自分がいた。
髪型の問題が片付くと、次は衣装だった。
「服も変えましょう」
リネアが衣装箪笥の扉を開ける。中には、ギデオンが集めてきた服が整然と並んでいる。金糸の刺繍、宝石をちりばめたボタン、光沢のある布地。鏡の前で何度も角度を変え、自己満足を積み上げてきた歴史の一部とも言えた。しかし、リネアの選抜基準は、残酷なまでに実用本位だった。
「これは駄目。光りすぎているわ」
「そこが良いんじゃないか」
「これは刺繍がうるさい。遠目だと服しか見えないわね」
「服を見てもらうための服だからね?」
「これは論外」
「今の一言、ちょっと刺さるんだけど」
リネアはギデオンの抗議を、涼しい顔で受け流しながら、上着を三つの山に分けていく。戦場不適切、場合によっては可、そもそも平時でも考え直したほうがいいという分類らしい。
最終的に彼女が手に取ったのは、深い紺色の上着だった。布にはしっかりとした張りがあり、余計な光沢はない。肩から胸にかけての裁ち方は体の線を拾うが、動きを邪魔しない余裕も残している。襟元には、簡素な飾り紐がひとつ。それだけだ。
「これと、暗い色のシャツ。それから、短めの上着を重ねて。馬に乗ったとき、裾が邪魔にならないように」
リネアは、ベルトも飾りの少ないものを選び、しなやかなズボンを用意した。全体で見ると、派手さはないが、どこか締まった印象になる組み合わせだった。
ギデオンが着替えを終え、再び鏡の前に立つと、部屋の空気がわずかに変わった。深い紺の上着が肩幅を強調し、ベルトが腰の位置をはっきりと区切る。短く整えた髪と首筋のラインが、顔立ちの整い方を際立たせていた。装飾に頼らなくても、きちんと男の格好がついている。
「ギデオン、かっこいいわ」
リネアの一言で、ギデオンの自尊心は、見事に点火した。
「やっぱり? 僕も今、そう思っていたところだよ」
鏡の前で軽く肩を引き、横顔を確かめる。顎の角度を少し上げ、想像上の兵に視線を投げてみる。どの角度から見ても、悪くない。むしろかなり良い。
「これは、みんなにも見せないといけないな」
「みんな?」
「館の者たちに決まってるだろう。僕の姿を見てもらわないと」
リネアは、短く瞬きをしたあと、口元を緩めた。それを了承と受け取ったギデオンは、上着の裾を払ってから、勢いよく部屋を出ていった。
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