正しい駄犬のしつけ方〜浮気性な放蕩夫と没落令嬢の新婚譚〜

山田わと

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35:平手と本音

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「なぁ、ベル。僕の新しい衣装と髪型、どうかな?」

 ギデオンは、期待を隠そうともせずに胸を張る。
 ここでもひとしきり賞賛を浴びて、完璧な一日を完成させるつもりだった。だがベルは、固くこわばった顔つきでギデオンを上から下まで確認し、絞り出すように口を開いた。

「領地が侵犯されたから、ギデオン様とリネア様は境争地へ向かうって聞いたの」
 声は静かだが、硬さが滲んでいる。ギデオンは、肩をすくめて軽く笑った。

「ああ、その話か。本当だよ。でもまぁ、実際に仕切るのはリネアなんだよ。僕は馬の上に座って、顔を見せてくるだけさ。領主がいると分かれば、兵たちも安心するからね」
 リネアに言われたとおりの言葉を、そのままベルに返す。
 ギデオンとしては、これ以上ないほど合理的な役割分担だと考えていた。できる者が前に出て、向いていない者は邪魔をしない。それ以上に賢い選択があるだろうか。
 だが、ベルの表情はにわかに険しくなった。

「現場の舵を取るのも、領主としてそこに立つのも、本当はギデオン様の役目じゃないの?」
「……まぁ、そりゃ本来は僕の役目なのかもしれないけど、無理なものは無理だよ。戦場の勝手なんて分からないし、僕よりリネアのほうが役に立つ。任せるのが一番だと思うんだ」
「それって、ギデオン様は高みの見物で、リネア様だけが前に出るっていうこと?」

 ベルの声は、きっぱりとしていた。ギデオンは「何か文句でも?」と眉を寄せた。

「文句しかないわ。だってリネア様を守るのは、ギデオン様の役目でしょう。奥様を守るどころか、守られて。それで恥ずかしくないの?」
「いや、守られてるんじゃない。リネアが勝手に強いだけだ」

 ベルの直球の言葉に、ギデオンの自尊心は見事に弾かれた。妙な理屈を言い放つが、答えになっているのかいないのか、自分でもよく分からない。
 そんなギデオンを、ベルはいつになく真っ直ぐな目で見つめる。しばらくの沈黙の後、口を開いた。

「もし、それでリネア様が大けがを負ったり、帰らぬ人になったら、どうするつもりなの」
「そのときは、そのときさ」
 ギデオンは肩を竦めて、軽い調子で言う。

「新しい妻でも迎えるよ。今度は、リネアみたいに手強くなくて、僕を慕ってくれて、もっと従順な子がいいな」

 わざとらしいほど軽く口にした。
 そうだ、もともとリネアの事など好きではなかった。いなくなるのなら、それはそれで新しい嫁を迎えればいい。理屈の上では、これ以上なく合理的だ。
 そう思っているはずなのに、胸の奥では鋭い痛みが走った。自分の舌を間違って噛んでしまった時のような、遅れてくる鈍い痛みだった。

 ギデオンの言葉に、ベルの瞳が揺れる。
 ゆっくり右手を持ち上げたかと思いきや、次の瞬間、乾いた音が廊下に響いた。
 頬に走った衝撃で、視界が軽くぶれる。
 ギデオンは反射的に瞬きをした。手のひらで打たれたのだと理解するのに、一息ぶんの時間が必要だった。

「……ベル?」
 名を呼ぶと、彼女は涙を溜めた目で見上げてきた。  小さな肩が震えている。

「もし、そんなことになったら……。ギデオン様の事、絶対に許さないから」
 それだけ言い切ると、ベルは踵を返した。
 廊下を駆けていく足音が、遠ざかるにつれて小さくなっていく。

 残されたギデオンは、その場で立ち尽くしたまま動けなかった。

 しばらくしてから、ようやく頬に手を当てる。
 熱が残っている。痛みは、それほど強烈ではない。だが、皮膚の下から広がるようなじくじくした感覚は、なかなか引かなかった。
 確かに言いすぎたかもしれない。そんな素直な反省と、それでも自分は戦場には向いていないという思いが、胸の内でせめぎ合った。

『もし、それでリネア様が大けがを負ったり、帰らぬ人になったら、どうするつもりなの』

 ベルの言葉が嫌でも頭の中で繰り返される。「一生許さない」と言い放ったあの表情が、思った以上に胸へ重くのしかかった。

 ギデオンはゆっくりと目を閉じた。
 頬に残る熱は、なかなか冷めそうになかった。
 髪も服も、今見事に決まっているはずなのに、鏡を見に戻る気にはどうしてもなれなかった。
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