正しい駄犬のしつけ方〜浮気性な放蕩夫と没落令嬢の新婚譚〜

山田わと

文字の大きさ
39 / 39

39:丘上の衝突

しおりを挟む
 ルーソン家との決着の日の朝は、驚くほど澄んだ青空だった。薄雲ひとつない空を見上げながら、ギデオンは内心で、もう少し天気というものに、空気を読む才能があってもいいのにと思った。

 メルローズ私兵の一行は、境の丘へと向かっていた。
 
 先頭には濃紺色の旗が翻る。銀糸で刺繍された蔦と薔薇の紋章が、陽を受けて微かに光った。その下で、鎖帷子と革鎧に身を包んだ兵たちが、整然と列を作る。

 彼らの気配を背に感じながら、ギデオンは馬上で姿勢を正した。

 馬上での姿勢も、練習した甲斐があって、以前のように今にも落ちそうな男には見えないはずだ。少なくとも、自分ではそう信じていたい。

 ギデオンの馬より半馬身ほど後ろ、横に並ぶのが、リネアだった。白馬に跨がる姿は、いつもながら無駄がない。髪はきちんとまとめられ、騎乗用の上着は身体に沿って簡素に整えられている。色味も形も派手ではないのに、なぜか視線を奪う。場に相応しいというのは、こういう姿を言うのだろうと、ギデオンは少しだけ不服に思いながら認めていた。

 その白馬の横を、もう一つの影が歩いていた。リネアの愛犬、キャンディだ。

 キャンディの毛並みは艶を帯び、その下に詰まった筋肉が歩くたびに滑らかに動く。真正面から見たら、誰もが道を譲るだろうと思わす程の迫力だ。だが、キャンディの首には、ふわふわとしたリボンが結ばれていた。しかも薄桃色の。

(あれってリネアの趣味なのかな……)

 ギデオンは、視線をさりげなく逸らした。鍛え上げた怪物じみた犬の首に、菓子箱のようなリボン。見るからにちぐはぐで、リネアのセンスを疑いたくなるが、今日の議題は犬の装飾についてではない。

 やがて一行は、緩やかな斜面の上に出た。そこが、メルローズ家とルーソン家の領地争いとなっている境の丘だった。

 丘の上には、既に別の旗が立っていた。暗い赤の布に、黒く染め抜かれた鴉の意匠。ルーソン家の紋章だ。メルローズ家一行が一定の距離まで近づくと、向こう側の兵たちの姿がはっきり見えてきた。

 ギデオンは、自分の胃の辺りがきゅっと縮むのを感じた。

 双方の兵が静かに隊を止め、前列がわずかに散開する。その中央に進み出たのは、ルーソン家の当主だった。
 壮年の男で、肩幅が広い。髭は短く整えられているが、眼光は鋭く、軽い笑みを浮かべただけで、こちらを射抜くような圧力が生まれる。鎧の上から羽織っている外套には黒い縁取りがあり、紋章布と同じ鴉の刺繍が重ねてあった。

「ずいぶんと静かな顔ぶれだな。ギデオン・メルローズ」

 ルーソン家の当主は唇の端を吊り上げた。声には、あからさまな侮りが混じる。

「見かけだけは立派な行列だと思ったが、父君の姿が見えないな。噂に聞く出来のいい兄貴たちもいない。三番目のお坊ちゃんひとりで、領地の話を仕切るつもりか?」
「ここは僕の領地だ。必要なのは僕の判断だけだよ。父や兄は関係ない」

 ギデオンは言い返す。本音を言えば、背後に父か兄がいたほうが、心強いに決まっている。 ルーソン家の当主は、薄く笑った。

「こちらが呼びたかったのは、家を動かせる頭だ。お前の父か、兄か。女と自分の顔立ちのことしか考えたことのない三男坊に、用事があるほどルーソン家は暇じゃない。お前は鏡の前で髪でもいじっていたほうが、お互いのためだろう。ここは、そういう道楽の場所じゃない」

 兵たちの前で、趣味を的確に挙げられたことには、別の意味で感心すら覚えた。あれこれ調べられた上で「役立たず」と切り捨てられているのだと思うと、胃の重さとは別に、妙な怒りがこみ上げる。

「あなたの言うように、鏡の前で髪を整えるのは嫌いじゃない。けれど今は、その前に片づけることがある。もし父や兄と話がしたいなら、まず僕たちが、ここを譲る気がないと理解してもらう必要があるね」
「聞いたか、お前たち。腑抜けと名高いメルローズ家三男坊がお相手してくれるそうだ」

 今度ははっきりとした嘲りが混じった笑いだった。だが、当主の目だけは笑っていない。底の見えない色を宿したまま、片手をわずかに上げる。

「いいだろう。ならば、こちらもやり方を変えるだけだ」

 その合図を受けて、前列の兵の一人が一歩前に出た。背から弓を引き下ろし、手慣れた動きで弦に矢を番える。

(ちょっと待て、話の続きは……)

 抗議は、喉から外に出る前に、弦の鋭い音にかき消された。空気を裂く短い唸りと共に、矢は、迷いのない軌道でメルローズ側の列へ飛んでいく。

 次の瞬間、前列から低い呻き声が上がった。

 胸元を押さえて膝をつく兵の姿が見える。矢羽が鎧の隙間に突き立ち、その周囲の兵たちが反射的に身構えた。その揺らぎが、両軍の緊張の均衡を壊した。

 怒鳴り声が上がる。どちらの陣営の声なのか、ギデオンには聞き分けられない。ただ、その声をきっかけに、メルローズ側の槍が前へと傾き、盾が持ち上がり、ルーソン側の兵も応じるように陣を崩して駆け出した。蹄が土を蹴り、鎧と鎧がぶつかり合う音が重なる。静かに向かい合っていた二つの列が、崩れ落ちる波のように互いへと押し寄せていった。

 ギデオンは、手綱をきつく握り締めた。手が汗で滑りそうになる。心臓の鼓動が、耳の奥で不快なほど大きく響いた。

 すぐ横で、リネアの白馬がわずかに動いた。彼女は、ちらりとギデオンを見遣ってから、何も言わずに馬を走らせる。彼女の後をキャンディが低く喉を鳴らしながら追う。

 ギデオンは手綱を握り締めたまま、せめてその光景を見届ける位置から逃げ出さないように、自分を必死に踏みとどまらせていた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

旦那様の愛が重い

おきょう
恋愛
マリーナの旦那様は愛情表現がはげしい。 毎朝毎晩「愛してる」と耳元でささやき、隣にいれば腰を抱き寄せてくる。 他人は大切にされていて羨ましいと言うけれど、マリーナには怖いばかり。 甘いばかりの言葉も、優しい視線も、どうにも嘘くさいと思ってしまう。 本心の分からない人の心を、一体どうやって信じればいいのだろう。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ロザリーの新婚生活

緑谷めい
恋愛
 主人公はアンペール伯爵家長女ロザリー。17歳。   アンペール伯爵家は領地で自然災害が続き、多額の復興費用を必要としていた。ロザリーはその費用を得る為、財力に富むベルクール伯爵家の跡取り息子セストと結婚する。  このお話は、そんな政略結婚をしたロザリーとセストの新婚生活の物語。

世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない

二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。 ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。 当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。 だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。 ――君の××××、触らせてもらえないだろうか?

あなたの愛が正しいわ

来須みかん
恋愛
旧題:あなたの愛が正しいわ~夫が私の悪口を言っていたので理想の妻になってあげたのに、どうしてそんな顔をするの?~  夫と一緒に訪れた夜会で、夫が男友達に私の悪口を言っているのを聞いてしまった。そのことをきっかけに、私は夫の理想の妻になることを決める。それまで夫を心の底から愛して尽くしていたけど、それがうっとうしかったそうだ。夫に付きまとうのをやめた私は、生まれ変わったように清々しい気分になっていた。  一方、夫は妻の変化に戸惑い、誤解があったことに気がつき、自分の今までの酷い態度を謝ったが、妻は美しい笑みを浮かべてこういった。 「いいえ、間違っていたのは私のほう。あなたの愛が正しいわ」

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

処理中です...