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第1章
事務的な提案
しおりを挟むユリウスが目を覚ました時、部屋の中は奇妙なほど静まり返っていた。
あんなにぐちゃぐちゃになっていたはずの服も、汚れたシーツも、全てが新しく整えられている。汗と体液で汚れていた自分の身体さえも、綺麗に清められていた。
まるで昨夜の出来事が夢だったかのように、痕跡が消されている。
ユリウスが重い身体を起こすと、対面にあるベッドにレオナルドが腰掛けていた。
彼は静かに、ただこちらを見ていた。
何と言ったらいいか、全く分からなかった。
意識は朦朧としていたが、記憶は鮮明だ。何が起きて、どうなったか。
自分がどれほど無様に乱れ、この男に縋り付いたか、その全てを脳が記憶している。
ユリウスはレオナルドに向き合った。
自分の身体に起きた異変について問うべきことは山ほどある。
だが、口をついて出たのは別の言葉だった。
「……ッ、レオ。怪我は大丈夫なのか?痛むか?」
自分を庇って負傷した右肩。包帯が巻かれたそこを見て問うと、レオナルドは意外そうな顔をして目を瞬かせた。
そしてすぐに、いつもの頼りがいのある、安心させるような口調で答えた。
「ああ、この程度問題ない。自分で手当も出来たし、血も止まったよ。俺はアルファだからな、回復も早い」
アルファだから。
その言葉に、ユリウスはガクリと頭を垂れ、俯いた。
そうだ。レオナルドは、アルファだ。
今まで寮生活を共にしてきて、第二性の話をすることはあえて避けてきた。それは極めてプライベートな話題だし、そもそも確認するまでもないことだったからだ。
ここに通う生徒のほとんどがアルファだ。それほど優秀な血筋と、才能が振るい落とされてきた結果、残るのは必然的にアルファとなる。
だからこそ、ユリウスはレオナルドのことを、自分と同じ「側」の人間だと思っていた。
そう信じて疑わなかったのに、自分は違った。
アルファの名門貴族であるローゼンタール家の長男であり、次期宰相である自分が、まさかオメガだなんて。
そんな残酷な事実と、どう向き合えばいいのか。
そして、あろうことかこの男に、自分でも知らなかった醜態を晒し、秘密を知られてしまった。
彼の唾液と、精液を飲んだ時の、あの甘くて蜜のような味。濃厚なアルファフェロモンに支配された感覚が、まざまざと蘇る。
ユリウスが何も整理できないまま、ただ呆然と震えていると、レオナルドが立ち上がった。
そして、ベッドに座るユリウスの目の前まで歩み寄り、見下ろすように立った。
「……ユーリ。君がこのままアルファとして生きたいなら、そうできる選択肢が一つだけある」
そう告げる声は、今までよりも少し低く、どこか「事務的」な響きを帯びていた。
「それは、定期的に俺のアルファフェロモンを摂取することだ。そうすることで、体内のホルモンバランスを強制的に安定させ、突発的なヒートが起きても対処出来る。それに……」
レオナルドは淡々と続ける。
「ユーリのオメガフェロモンが漏れ出てしまっても、俺のアルファフェロモンでマーキングしておけば、周りのアルファたちは俺の匂いの方を強く感じ取る。そうすれば、君がオメガだとは誰にも気づかれない」
それは「選択肢」というよりも、決定事項のように聞こえた。
ユリウスはシーツを握りしめた。
つまり、先程のような行為――キスや、それ以上の接触による体液摂取――を定期的に行わなければ、お前はもうアルファとしてこの学院で生きていくことは出来ない。そう宣告されたに等しい。
顔を上げると、レオナルドの黒曜石のような瞳と目が合った。
何を考えているのか、全く読めない。昨夜のような情熱や欲望は消え失せ、鉄仮面のように感情の読めない顔をしている。
ただ、ユリウスが理解したのは、これは「求愛」ではないということだ。
アルファが、番にしたいオメガを求めて提案しているのではない。
あくまで事務的な、ルームメイトとしての情けか、あるいは仕方がないから協力してやるといった、冷めた義務感からの提案なのだろう。
ズキリ、と。
ユリウスの胸の奥が痛んだ。
その痛みの正体が何なのか、今のユリウスには分からなかった。だが、その冷たい提案が、ナイフのように心を抉ったことだけは確かだった。
だが、拒否する権利などない。
家のため、国のため、アルファとして生きていくしかないのだから。
「……分かった。レオ、協力して欲しい」
ユリウスが力なく、掠れた声で答える。
レオナルドは表情を変えることなく、「ああ」と、やはり事務的に短く頷いただけだった。
その淡泊な態度が、二人の間に引かれた見えない境界線を、残酷なほどに浮き彫りにしていた。
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