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第2章
黒曜石の瞳
しおりを挟むレオナルドが放った「帰すつもりはない」という言葉の意味を理解した時、ユリウスは思わず声を荒らげた。
「……っ、ブラント卿!貴方が私を憐れんでくださっていることは理解しました。
ですが、ルシエル様があの部屋に帰ってきた時、私が居ないことを知ったらどうなるか……ッ」
立ち上がりかけたユリウスを制するように、レオナルドが静かに、しかし確信に満ちた言葉を被せた。
「……カイエンの命を人質に取られているのだろう?ずっと」
その言葉は、鋭利な杭となってユリウスの胸に深々と突き刺さった。
ユリウスは息を呑み、硬直した。
何故、それを?
それは、誰も知らないはずのことだ。第一王子派も、第二王子派も、誰一人として「ユリウスが脅されているのではないか」などと推測すらしてくれなかった。
ただ、権力に目が眩んだ純粋な裏切り者だと確信して睨みつけ、軽蔑し、そうしてユリウスは十年間、孤独の中で石を投げられながら生きてきたのに。
ユリウスが、本当はカイエンの命を守るために、全てを投げ打って十年もの間身を捧げてきたことを、レオナルドは理解しているというのか?
本当に……?
だが、あまりに都合が良い解釈をすることは、ユリウスの防衛本能が許さなかった。
ここで肯定するのも、否定するのも怖かった。
本当に、ユリウスの変わらぬ忠誠を信じて、そう思ってくれているのだろうか。
だとしたら――その目に、醜悪な裏切り者として映っていたかつての友の姿を見て、彼はどう思っていたのだろうか。
心の底から、哀れだと思ったに違いない。
たった一人で空回りし、カイエンを本当の意味で救い出すこともできず、ただ身体を売るような真似しかできなかった可哀想な存在を見て。
それを想像して、ユリウスはさらに言葉を失った。
カイエンを救うための「力」と「軍隊」を持って帰還したレオナルドから見れば、ユリウス自身の十年間の献身など、あまりにも愚かで、無様で……学友としてはこれ以上ないほど、惨めで可哀想な存在に見えているのだろう。
その残酷な対比が、あまりにも簡単に想像できてしまったからだ。
「…………はは、……ブラント卿は、私を本当に憐れんでくださっているのですね。……理解しました」
自分でも驚くくらい、乾いて枯れ果てた笑い声が出た。
「……でしたら、尚更です。
私が不在だということをルシエル様が見つけて、その怒りの矛先がカイエン様へ向かうこと。
それを一番、貴方は避けるべきだと理解しているはずです」
ユリウスは感情を殺し、淡々と事実を告げた。
私に情けをかけて、あの場所から連れ出そうとすること。それは間違いだ。
誰にだって分かる理屈だ。
なぜ、レオナルドほどの男が、あの部屋に帰さないなどと言ったのか分からないほどに。
「……ブラント卿の計画の全貌は分かりませんが、おそらく私ごときに出来ることは、ルシエル様が、カイエン様が救出されたことにしばらく気づかないほどに……身体を張って気を引くことくらいでしょう。
誰だって分かることです。私の使い道なんて、それ以外に――」
ガタッ。
そこまで言った時、レオナルドが勢いよく立ち上がった。
ヒュッ、とユリウスは喉を引きつらせた。
何か、それ以外に計画があったのだろうか。ここにユリウスがいた方がいい案なんて、全く思い浮かばないのに。
怒られる、あるいは殴られると思い、ユリウスが身体を強張らせて身構えると、レオナルドは――ユリウスを怯えさせないように、ゆっくりと、慎重に近づいてきた。
そして、対面の席ではなく、ユリウスのすぐ隣のソファに腰を下ろした。
近すぎる距離に、レオナルドの体温と匂いが押し寄せる。
「…………あ、あの…………何か、お気に召さないことを、言ってしまったのでしょうか…………」
恐る恐る尋ねる。すると、レオナルドは低く、聞いたことがないくらい怒りを滲ませた声で言った。
「ああ。何もかも、気に入らない」
全否定だった。
やはり、ユリウスがこうして意見を具申することすら、レオナルドには不快だったのだろうか。
そう思い、謝罪の言葉も出てこずに俯くと。
ふわり。
予想もしないくらいに優しい手つきで、頬を撫でられた。
「……っ」
大きな手のひらが、ユリウスの頬を包み込み、そのまま親指で目尻を拭うように撫でる。
驚いて顔を上げると、ふと、目が合った。
黒曜石のような、深く、美しい瞳。
この瞳が、好きだった。
真っ直ぐで、誠実で、揺るぎない彼の性格をそのまま表したような、吸い込まれそうなこの瞳が。
そこで初めて、ユリウスは気づいた。
再会してからずっと、自分が目を逸らし続けていたから。
今、十年ぶりにようやく、彼とちゃんと目が合ったのだということを。
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